英雄の休息

三年

「親父(おやじ)が犬に噛まれたので、会社を休みます」

真面目に生きていると、

(犯罪を犯さない規範をちゃんと持ち合わせているということです)

まれにちゃぶ台をひっくり返すように全てを台無しにする行動が

とっても魅力的に思えることがある。


サラリーマン時代、どうしても仕事に行きたくない念に取り憑かれ

なんとか奮起して家を出る準備を試みたものの、

いつもより窮屈に感じられたスーツに拒否感を感じて

再起不能になるまで心が折れてしまった。

スマートフォンに表示された会社の電話番号を睨みながら

仕事を休む計画を練る。

仮病のくだりで行こうと決めてから

計画を実行に移すまでは早かった。

中小企業に勤めていた私は自分より立場の上の人間は会社責任者しかおらず、

粛々と詫びを入れ代表に「休む」と伝えた。

欠勤することなどこれまで一度もなかった。

日頃の行いに助けられ怪しまれることもないだろう。

しかし自由が懐に舞い込んできた瞬間、本当の恐怖が浮き彫りになる。

24時間後にまたスーツに袖を通し通勤の準備をしている私を想像して

盛大に吐き気をもよおした。

「仕事を休みたかったのではない・・・」

「この生活から抜け出したかった・・・」

これほど簡単な感情に気づくまでにどれだけ時間が犠牲になったことか。

たった一日の自由は、何も解決には至っていないことに気づき途方に暮れた。


私は真面目だ。

(犯罪を犯さない規範をちゃんと持ち合わせているということです)

会社に火をつけたり、会社の金を盗んで姿をくらましたり。

そんな想像は出来ても、

実行に移すようなことは決して、しない。


私は真面目だ。

でもなぜだろう、誰かにぎゃふんと言わせて

混沌とした日々の恨みを晴らしたい。

吐き出す相手のいない、呪怨が私に巣食っているのがわかる。

でもどうにもできなかった。

そうやって真の義になかなか気づけないまま時間が過ぎ、

ついに朽ちてしまった心身。


親父おやじが犬に噛まれたので、会社を休みます」

あの朝、電話でそういえば良かったのだと正解に気づくまでに

それから5年かかった。


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