名前をください




「名前教えて名前教えてよ~」


 師匠が壊れてしまった。

 いきなり私の自室の開いている窓から飛び込んで来たかと思えば、床の上で仰向けになってじたばた手足をばたつかせて、名前を教えてよと言い出した。


「いや、あんた。私の名前知ってるだろう」


 呆れてしまったが、はたと、あれ、もしかしたらと戦慄した。

 まさか十年も一緒に居て覚えてないとかない、よな。

 いや、少なくとも一日に一回は名前を呼んでいる、よな。

 今日も師匠は出かける前に、私の名前、呼んでいた、よな。


「あんた。私の名前を知っているよな?」

「神崎こよみ」

「んだ、知ってんじゃねえか。教える必要ねえだろうがよ」

「うん。君の名前じゃなくて」


 師ばたつきを止めて、すっと立ち上がったかと思えば、たったの一歩で私の間合いに入った師匠は、私の頬の真上に手を添えて、グッと顔を近づけた。


「僕が君に触れたいって、君を見ていたいって、焦れちゃう気持ちの名前、教えてよ」

「………ああ。何だ。そんなの、決まってんじゃねえか」


 しょうがねえ師匠だな。

 そんな簡単な答えもわからないなんて。

 私はふっと、微笑を浮かべると、言ってやった。


「弟子の成長を待ち焦がれている、だよ。へへ。待ってなよ。あんたと出逢って十年だ。もうすぐ、あんたを追い越す………んだその顔?」

「………名前教えてよじゃだめだったか。じゃあ。名前ください名前くださいよ!」

「くださいって何だ?あんたの名前は神崎すぐるだろうが」

「違う!それじゃない!」

「何が違うんだ。あんた、私が知らない内に改名したのか?」

「違う!そうじゃなくて!」




 師匠と弟子以外の関係を示す名前をください!











(2023.10.18)



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