第2話
「キ、キレンジャー?」
「キレンジャクよ」少しむっとしたような声で月田は返す。
おれのユーモラスな問いかけは一蹴されたが、一人落ち込んでいるわけにもいかず、気を取り直しておれは月田への質問を続けた。
「初めて聞く鳥だ」
「冬に日本に来る冬鳥なの。日本での個体数は決して多くはないけれど、群れで行動するから街中でみたら驚くかもしれない。でもこの鳥、日本だと多くは北の分布だから、まだわたしはこの目で本物を見ていないわ」
「おぉ……」
おれは純粋に、月田の口から滑らかに鳥の説明が出てきたことに驚きが隠せなかった。と、いうよりも、普段なるべく目立たないように過ごしているような彼女から、はっきりと意思を主張する姿に若干気圧されたのかもしれない。
そんな月田に興味が出てきたのか、あるいはその「キレンジャク」のことをもっと知りたくなったのか判別しないが、とにもかくにも最優先で気になることは、説明中に顔も上げずひたすら書き込まれているノートの内容だった。
おれは無粋ながらもクラスメイトの椅子をひっぱってきて、月田の横につけてみた。邪魔といわれたらすぐに離れるつもりでいたのだが、幸いおれのことは微塵も気にしていない様子だった。礼儀をわきまえるため、いちおう確認する。「なに書いてるんだ?」
月田はおれの問いかけに「ん」とまさに一言だけ返すと、あれほど熱心に動かしていた手を止め、遠慮がちにノートを机の端によこした。こちらを向くわけでもなく、手持ちぶさたそうに鉛筆をくるくるいじっている。
ノートを手に取った。そこに書かれていたものは——いや、描かれていたというのが正しい。おれが見たこともない、鳥だった。
多分これが「キレンジャク」なのだろうな、と咄嗟に思う。その鳥は、額から後ろに向かって流れるような形のトサカが印象的だった。鉛筆で描かれているためその色彩までは分からなかったが、羽の先端(たぶん風切羽といったような気がする)は細かい色の濃淡が目立つ。一見して出た「かっこいい鳥だ」という、我ながら子どもじみた感想は心にしまいつつ、黒く縁どられたつぶらな瞳になんともいえない愛くるしさを覚えた。
ここまで正確な描写がおれにできるということは、つまるところ月田の図がたいへん精巧ということを意味する。厳密にいうとそこに記されていたのは図だけではなく、その鳥の図から頭や尾羽など、様々な部位から余白に向かって線がひかれ、細かい字で注釈のような説明書きがあったのだ。
「すごい」おれは気の利いた感想もいえずに、ただ一言感嘆がついて出る。「すごいな、これは」
「え」
「いや、だからすごいって月田。こんなのは先生でも書けない」
「そんな、そんな。うん、あの。だから、うん。あ、ありがとう……」
急な会話で驚いたのだろうか。月田はどぎまぎとし、そうかと思うとノートをひったくるようにして取った。まるで自分の身を守るかのようにしてを胸に抱えている。
目を「ぱち、ぱち」としばたたせ、肩で息をしていた。ほんの一瞬ぴたりと月田の双眸に相対した。見据えた切れ長の瞳は、今にも滴るような潤いのベールをまとっているように見える。うす暗い蛍光灯の光が彼女の眼まなこで踊っていた。
しかし数秒後には、彼女の視線がそらされて頭ごと俯く形になった。
「どうした?」
突然様子が変わったように見えて、おれは声をかける。なにか気に障ることを口にしたのかもしれない。
「そろそろ帰る」
月田はそう言うと、そそくさと筆記用具やノートを鞄に仕舞込んだ。慌てているような印象ではないが、どうにもこの場を去りたい意志は感じられた。
おれも帰り支度なりすればいいのだが、一連の出来事に不意を突かれて立ち尽くす他なかった。気の利いた言葉も浮かばず、黙って月田の後片付けを見ていた。支度が済んだ月田は学校指定の学生鞄を肩にかけ、依然俯き加減のまま出口まで歩いていく。
「じゃあ、また」廊下へ出ようとする直前、月田は背を向けたままいった。
「……おう」
おれの返事を聞き届けたのか、彼女はそぼふる雨にまぎれるように姿を消した。
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