消極
あるままれ~ど
消極1
ジタバタと、手足をみっともなく振り回す。
「かひゅ」という苦しげな音が口から洩れた。
思考が赤く点滅し、本能はそれに従い身体全体を以て苦しみから逃れようとする。
無駄な足掻きだ――
――首に太い縄が巻き付いていて、地面に足もついていないのだ。そんな状態で、逃げられるはずがない。
肺は酸素を求め上下し、胃の内容物が逆流してくる。不快だ。
今や身体が伝えてくる全ての感覚が、不快感や苦痛に直結している、否、それは首に縄をくくる前も同じだった。
不快、不快、何もかもが不快。
辛く、苦しい、それだけが全てだ。
視界は徐々に暗くなる。
死は、確実に近づいている。
そうしてとうとう、追いつかれるのだ――
――脳の、身体の、臓器の……細胞全ての電源が、意識と共に消えた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一人で使うにはやや広いベッドの上で、
空は曇天。あまり気持ちのいい朝ではないだろう。
織芽は布団を押しのけ、少し不安定な足取りのまま歩き出した。
寝ぼけ眼のままリビングに着くと、リモコンを手に取りテレビの電源をつける。
織芽がいつも見ているニュース番組にチャンネルを合わせると、朝食の支度をしようと、キッチンへと向かった。
『今日のニュースです。〇✕国の△□州で、行方不明事件が相次いでいます。最近行方不明となったクラウン・ミフスさんですが、クラウンさんの父であるフォースン・ミフスさんも十年ほど前から行方不明となっており〇✕国警察は事件だと推測し、さらなる調査を……』
なんとなくニュースを聞きながら、織芽は朝食を作る。
目玉焼きに卵かけご飯という簡素な朝食を完成させると、ものの一二分で食べきり、身支度を始めた。
歯を磨き、寝ぐせを直してから、制服に袖を通す。
『次のニュースです。昨日の午後5時頃、〇△県の□✕市に住んでいる望月一郎さん17歳が、暴走するトラックに撥ねられ病院に搬送された後に死亡が確認されました。望月さんは――』
身支度を終え、家から出かける。
織芽はテレビの電源を切り、蛇口や戸締りを確認した。特に問題は無かった。
これで――
――また、憂鬱な『今日』が始まる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ジタバタ、ジタバタ、ジタバタ。
残念だ。まだ生きている。
ジタバタ、ジタバタ、ジタバタ。
ジタバタ、ジタバタ、ジタバタ。
私は浅はかだった。だから、報いは受けなければ。
ジタバタ、ジタバタ、ジタバタ。
浅慮浅薄の代償に、私という惨めな命だけでは、足りないかもしれないけど。
ジタバタ、ジタバタ、ジタバタ――
ジタバタ、ジタバタ、ジタバタ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
少し広いベッドの上で今日も、織芽は目を覚ます。
今日の天気は晴れだった。
布団をどかして、またふらふらとリビングまで歩く。
目をこすりながら、テレビのリモコンでテレビの電源をつけて、ニュースを聞き流しながら朝食を作る。
今日はオムレツのようだ。
『今日のニュースです。なんと、〇□区に新しいお店がオープンします!そのお店では、主にゲーム用品が取り扱われており、オープン直後にも関わらず、店内はとても賑わっています。客は主に外国人客で――』
少し形の崩れたオムレツにケチャップをかけて、織芽はオムレツをもしゃもしゃと食べる。
そこまで美味しくはなかったのか、少しだけ顔をしかめているように見えた。
早めに朝食を食べ終わると、身支度をする。
今日も、学校へ行かなくてはならない。
憂鬱だ。憂鬱で仕方がない。
しかし、学校へ行く他ない。
学校へ行かないという選択肢は存在していない。
織芽は今日も、学校へ行くのだ。
何も変わらない日常、変わってくれない日常、これからも変わる筈のない日常。
「ハァ……」
ゆっくり、少し大きな溜息を吐いて、織芽は扉を開けた。
そうして、行きたくもない学校に、自ら歩みを進めるのだ――
――今日も、上履きは無くなっていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
腕に感触が伝わる、首を絞める感覚は、お世辞にも快いとは言えない。
ならば他の方法で試そうかとも考えたが、それは難しかった。
ナイフで切り刻めば血が出てしまうし、悲鳴も上がる。
血が出たら証拠になるし、上がる悲鳴だって、通報される原因となる。
だから首を絞めているだけではあるが、流石に効率的ではないかもしれない。
しかも首を絞めても痕は残るから、きっと私は捕まってしまう。
だが、そうだとしても、私は相手を殺さなければならないのだ。
「がひゅっ、こひゅっ」
首を絞められている相手は、まともに声も出せずに、ただただ酸欠に喘いでいた。
苦しいだろう。悲しいだろう。悔しいだろう。
もうこんな思いはしたくないんだろう。
だから死ね。黙って、罪を償って、死んでくれ。
『復讐なんて、やめるべきよ。そんなもの、あなたのためにならないわ』
私の脳内に、いつか言われた言葉がフラッシュバックする。
いつもとは似ても似つかないような声を出した彼女は、冷たい目で私を見ていた。
なぜ今この言葉を思い出す?
こんな意味のない戯言を、今思い出すことなどないだろう。
背景を知らない勝手な第三者が、
第一、これは復讐などではない。
これは断罪だ。
これは執行だ。
これは清算だ。
こんな奴は死んでしまうべきだ、否、こいつには死んで償う義務がある――
――ジタバタと藻掻く彼女は、いつの間にかピクリとも動かなくなっていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
彼女は運動だって出来たし、勉強だって出来る。
その上、父は政治家、母は医者という優秀な人間。
そんな人間の下に生まれた彼女だって、もちろん優秀に決まっている。
彼女の辞書には、『不自由』という言葉が載っていない、それほどまでに彼女の人生は充実しているのだ。
両親には愛されている自覚があるし、客観的に見ても自身の顔は整っていると彼女は思う。
彼女は不自由を知らない。
だからこそ、惨めな人生を送っている者の気持ちが分からない。
惨めな人生を送ってきた人間の表情は非常に暗い。
彼女にとって、それは滑稽なことだった。
『その暗い表情を、さらに曇らせてやりたい』、ふと、彼女はそう思った。
彼女の満ち足りた人生において、彼女の人生未満の人生は絶好の肴である。
そして、そんな彼女の考えの毒牙のお眼鏡に、東後織芽という人間ほど最適な人間はいない。
東後織芽は常に暗かった。
恵まれていなかった。
だからこそ、絶望の底に、更に堕としてやりたい。
普通の人間では持ちえない残虐性は、佐藤最花にそう囁く。
そして彼女は、その快楽の予感に屈服した。
彼女はその日から、陰湿を嫌がらせを、バレない程度に東後織芽に行うようになった。
始めこそ少しだけあった躊躇いや罪悪感は、今や彼女の嗜虐心を満たすスパイスにしかならない。
佐藤最花は今日も、東後織芽に嫌がらせをするのだ。
次はどんな方法で落ち込ませようか、この前泣いていたのは滑稽だった――
――罪業は必ず裁かれることを、彼女はまだ知らない。
消極 あるままれ~ど @arumama_red_dazo
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