第72日 神様に挨拶する新年
「明けましておめでとう」
幼馴染の彼女がぼくに言った。辺りは真っ暗。時刻はまだ日が昇る前だった。
「おめでとう。今年もよろしく」
適当に挨拶を済ませ、二人で初詣に赴く。ずっと昔はここに親も交じっていたが、これが毎年のしきたりだった。しきたりなんて大袈裟なものでもない気はするけれど。
さっ。さっ。
まだ日の出前の閑静な住宅街にぼくら二人分の足音が響き渡る。年明けなのでぼくらのように外出している人もちらほら見えるが、まばらだ。よく冷え切った空気が寝起きでぼんやりとしたぼくの頭を明瞭にする。
「……ねえ、きみ。神様っていると思う?」
彼女は藪から棒にぼくに問うてみせる。新年早々重たい話題だ。神様か。
「どうして?」
時間稼ぎのためにぼくは質問で返す。卑怯だけれど、彼女の前で曖昧なことは言えない。きっと鋭くぼくの答えを突き詰めてくると思う。きっと彼女の好奇心の餌食にされる。それはいい。彼女がぼくに興味を持ってくれるのはとても心地がいいことだ。
だって、愛の反対は無関心なのだから。
とはいえ下手なことを言って落胆させたくはない。だから質問返しという名の時間稼ぎをしたのだ。
深い意味はないのだけれど、と彼女は始めた。
「わたしたち今から初詣に行くんでしょう? 参拝して神頼みだってしに行くつもりじゃない。でもその神様をきみはどう思っているのかなと思って。
そもそも神様って人によって見解が違うじゃない。世界にいくつも宗教があるようにね。……ねえ、きみは神様を信じる?」
彼女の瞳は好奇心でらんらんと輝いていた。
時に彼女はこういう抽象的な議論を好んだ。残念ながら相手のぼくは何事も大して造詣が深くないので、議論なんて大袈裟なものではないと思うけれど。
「ぼくは深く考えたことなかったな……。でも、神様はいるんじゃないかなとは思うよ」
彼女の瞳がきらりと鋭い光を宿す。全てを見透かしそうな黒い瞳。そして唇から紡がれた言葉がぼくに短い問いを投げかける。
「きみは宗教を信仰していたっけ」
「いいや、無宗教だよ」
宗教とは親や周囲の影響が大きいと言うが、ぼくの両親は無宗教だ。だからぼくも無宗教。当たり前とは恐ろしい。世界三大宗教は学校でも習うくらいなのに、ぼく自身が宗教に入るなんて考えたこともなかった。
ぼくの答えにふうん、と彼女は視線をアスファルトに落として、細い指で薄い唇をなぞる。思案するときの仕草。
「なら、きみはどうして神様を信じているの?」
それこそ深く考えたことがなかった。何とか言語化してみせる。
「まあ……そうじゃないと初詣は行かないからね。それに、困った時に祈る対象がいないと少し不便だし。いない神には祈れないってね」
ぼくがそう答えると彼女はくつくつと笑った。幼子の時から変わらない、屈託ない笑みで。
「ふふ、きみったらまるで不敬ね。裏を返せば、神様がいれば便利だから信じているということじゃない」
そうやって笑う彼女もなかなかに不敬じゃなかろうか。でもそれは口に出さない。そんな小さなことを言うより、彼女の宗教観を聞いてみたかったから。
「はは、そうかもね。じゃあきみは? 宗教を信仰している?」
ぼくらは幼い頃から長い時間を共に過ごしているが、存外彼女に関して知らないことが沢山あった。彼女は自分から多くを語らない。彼女は聞き上手で、気が付いたらぼくばかりが話していることなんてざらだ。彼女のことは、ぼくが訊いてやっとわかることばかり。
言い訳がましいが、ずっと一緒にいるから何でも知っている気になってしまうのだ。だから今更聞くことなんてないなと思ってしまうところもある。
いくら時間を共に過ごしたからといって、相手のことを全て理解することは不可能だというのに。
少し時間をあけて彼女はゆっくりと言葉を継ぐ。存外彼女は答えを用意していなかったのかもしれない。
「そうね……。わたしも無宗教だけれど、今は不可知論を推しているわ……」
「ふかちろん?」
聞いたことのない言葉だった。彼女に比べてぼくの知識はあまりにも浅い。
彼女の口から白い息が洩れるのを見つめることしかできなかった。長い睫毛の際立つ白い横顔は、仄暗い夜明けでもとてもきれいだった。
「そう、不可知論よ。端的に言うと、人間が全てのことを知りえることはないということ。だから
だって不思議じゃない、と彼女は続ける。
「目に見えないものは肯定も否定もできないと思わない? だって、証拠も何も集められないのなら論争すらできないじゃない。仮にね、全知全能の神がいるというのなら、どうして色々な宗教が存在するの?
もちろんわたしはどの宗教も否定するつもりはないわ。だけどわたしは……神様やら目に見えない存在は、敬ってはいるけれど妄信することはない」
まるで世間話をするようにさらりと彼女は言う。ぼくは驚いてしまった。やはり世間話にはなんとも重たい話題。
彼女は思想がはっきりしていた。それを優柔不断なぼくは好ましく思っていたのだけれど。
「すごいね……。そこまで深く考えたことはなかったよ」
何だか当たり障りない返答をしてしまった。彼女の言葉を聞いていなくても答えられる文章。まるで学校に強制で書かされる感想文みたい。でも彼女は気にした風もなく答える。
「まあね。神様の話なんて、わたしも普段はしないわよ。初詣に行く道すがらでなければ、思い付きもしなかったわ」
サッ。サッ。ザッ。ザッ。
アスファルトから砂利を踏みしめる音に変わる。そう、神社についたのだ。
「じゃあ、神様とやらにお願いしましょう」
二礼二拍手一礼。そうやって簡単にぼくらはお
だから、ぼくは神様に祈る。別に叶わなくてもいい。叶ってほしいことは自分で努力して叶えるべきだ。ただ自分への戒めとして神様に祈る。一年の初めに、自分の願いはこうだと確認するための儀式。
参拝を済ませた後、彼女はぼくに問う。
「ねえ、さっききみは何を願ったの?」
申し訳ないが、こればかりは彼女の好奇心を満たしてはあげられない。
でも、ぼくだって彼女の願いをきいてみたい気持ちは山々だった。でも願い事は口にしないのがお約束。口に出したら味気ない、なんてことは沢山ある。
「はは、なんだろうね……」
ぼくの曖昧な誤魔化しに気が付いたのだろう、彼女は好奇の眼差しを伏せた。
「そうね、無粋だったわね。……まあ、きみの願いが叶うことを祈っているわ」
「それはきみもね」
彼女は伏せていた目を上げ、ぱちりと瞬いてみせた。少し驚いたというような表情。そして、瞬時に何もなかったように澄まし顔に戻る。
それを目の当たりにしてぼくは少し笑ってしまった。今年も変わらないなと思って。
そこでさっと光が差した。朝日が昇って来たのだ。今年一番目の朝日。
「わあ、初日の出……」
あっという間にぼくらは柔らかい光に包まれる。遠くの山から顔を覗かせ、鋭い光を放つ。
「綺麗ね……」
きれいな彼女がきれいな声で呟く。白い横顔に白い光が差して、一周回って神々しい。長い睫毛がきらきらと煌めく。
「今年もきみと来れてよかった」
そう言って彼女は今年もぼくを射貫く。本当に、何事もなく今年を迎えられてよかったと思う瞬間だ。いつもは意識さえしない神様にぼくは心底感謝した。なんとも現金だけれど。
「そうだね。来年も来たいね」
その後ぼくらはおみくじを引いた。これも毎年恒例だ。
――結果は吉だった。大吉を期待したが、まあおみくじなんてそんなもの。特段良いことがなくてもいい。普通でいい。
今年も普通の年になりますように。
あわよくば、良い年になりますように。
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