文字病
藤原くう
第1話
カランコロンとドアベルが鳴ったものだから、レジの奥で本を読んでいた花布チリは顔を上げた。
迷彩服を着た女性が逆ムーンウォークしながら店へ入店してきた。
「いらっしゃいませ」
チリは実にやる気のない挨拶をすると、読んでいた本へ栞を挟んだ。
「こんばんわ。ここに天とノドカって人がいるって聞いて来たんだけど」
「こんにちは、父と母に用があるのですか」
女性が頷いた。「そういう君は……」
「ワタシは花布チリといいます。ここの店主をやってます」
「あれ、ご夫妻がやられてたって聞いてたんだけど」
「両親はちょっと前に亡くなりました」
チリが言うと、女性は大きく目を見開き、明後日の方向へと目線をそらす。
「いけない、それは申し訳ないことを聞いちゃった」
「いえ別に……。それよりも一体どのようなご用件でこちらへ?」
「そうだった。でも、あなたに聞くっていうのもなあ」
「ワタシでは不満ですか」
チリの言葉に力がこもる。目の前の女性が、自分のことを侮っているように感じられたのだ。
女性は驚いたように目をぱちくりさせ。
「そういうわけじゃないんだけどねえ。ま、いっか」
女性はレジへ身を乗り出して、チリに顔を近づける。そして、囁くようにこう言った。
「文字の精霊って知ってる?」
女性は都寺あすかだと名乗った。ご丁寧なことに自らの所属までしゃべった。
陸上自衛隊特殊作戦群第六中隊所属都寺あすか中尉。
チリにはピンとこなかった。手製らしい名刺に書かれた達筆な文字を見ても、よくわからない。目が滑ってしまう文字列である。
「何やってるかは教えられないんだけど、新設された部隊なんだー。アノマムラクモっていうんだよ。かっこいーでしょ」
「そうですか」
「そうですとも」
ミリオタではないチリにはピンとこない話だったが、新設された理由からどのような装備をしていてどのような隊員がどのくらい所属しているのかさえわからない謎めいた部隊である。
ちなみに、正しくはアマノムラクモという部隊名だったが、文字の精霊には関与してこないので割愛。
とにかく、そんな軍人さんが、チリの目の前でニシシと笑っているというわけである。
普通なら恐怖か不安の一つくらいしてもよさそうなものだったが、今のチリは寝不足もいいところ。あくびをする元気さえあった。
「ふわあ」
「ふわあああぁ」
「あくびしました?」
「わたしもしたわ」
「はあ?」
「いやだから、私もつられちゃったってこと」
なんとなく、微妙な空気になってチリは咳ばらいを一つした。
「……文字の精霊って言いましたか。それってなんなんです?」
「文字の精霊は文字の精霊だよ」
「哲学の授業ならここじゃなくて、あっちの大学でやってください」
ビシッとチリが指さす方角には、確かに大学があった。ちなみにその大学には哲学科はなく「この大学で哲学できるのはチャックノリスだけ」という謎のサークルはあったがこの情報も話の本筋とはまったく関係がない。
チリは冷徹に言ったつもりだったが、あすかはケロリとした表情で口を開く。
「子どもには言いにくい話なんだけどさ、事件があってね」
「事件」
「そ、事件。言語学者が次々に亡くなった事件なんだけど」
あすかが語ったのは、連続不審死としてちょっとだけ世間を騒がせた大事件である。犠牲者は六名おり、うち全員が倒れた本棚や本の下敷きになって亡くなった。ここ最近頻発している地震によるものらしい……うんぬん。
「事故なんじゃないですか?」話を聞いたチリが言う。
「警察もチリちゃんとおんなじこと言ってるよ」
「でも、貴女はそう思っていない」
「勘だけどね、何者かの意図が介在してるんじゃないかなーって思うわけですよ、この灰色の脳細胞が」
「はあ……『文字禍』も知らないのにですか」
「だって、運動ばっかりしてきたんだもん」
「それはいいのですが、そんなことワタシに話しても……」
「いいよ。どーせ、私しかちゃんと調べてないんだろうし」
それはそれでどうなんだろうとチリは思った。いや、逆に、誰もが事故と考えているということだ。
「私には事件の犯人なんてわかりませんよ」
「それはわかったらでいいよ。チリちゃんには、死因について考えてくれたら」
「地震が原因なのでは」
「正直なところ、私もそう思う」
「だったら――」
「でも、こんな紙が残されていたら、文字の力ってのを調べたくなるよ」
ほら、と言ってあすかが紙束を取りだす。受け取ったチリは、一枚一枚めくって目を通す。
あるものには文字が書かれていた。
『文字の精霊を信じるな』『文字の精霊を信じるなを信じろ』『文字の精霊を信じるなを信じろを信じるな』……などなど。
また別のあるものなんかは、男の腕とくしゃくしゃになった紙を写した写真が印刷されていた。その紙はどうやら「文字禍」の一ページをちぎりとったものらしい。
「それ全部ダイニングメッセージね」
「……地震が文字の精霊が引き起こしたものだと、あなたは思っているのですか?」
「そういう可能性もあるってだけだよ。私としてはそうじゃない方がいいけれど」
言ったあすかの顔には影が差している。何か、すさまじい経験をしたような、そんな表情であった。
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