三分でお前を殺人料理(2) -ブラック労働-
◆
若く色白のほっそりとした男であった。
目は糸のように細く、浮かぶ笑みは柔和である。
どこか狐を思わせるような男だ。
纏っているスーツは白く、汚れ一つ無い。
その純白のスーツと同じ色の絹の手袋で両手を覆っており、その甲の部分には厚生労働省のハートを模して並ぶ赤と青の人の刻印が刻まれている。
男の名はむべの生命保険という。
むべのが名字で生命保険が名前である。
「いらっしゃいました」
穏やかな口ぶりでむべのが言った。
二人の最下層バイトが新たに来店したむべののために人力自動ドアを開く。
彼らは人力自動ドアの左右に立ち、新規来店者のために永遠に人力自動ドアを開き続ける業務に従事し続けることになっている。
逆ジョイフルの異名でお馴染みのファミリーレストラン『喜捨』では、辞書の意味ではなく、店員の喜びを完全に捨て去る行為によって客をもてなそうという恐るべき発想から生じたファミリーレストランであり、店が放つ絶望的なオーラから血の繋がりのあるファミリーは一切寄り付かない。
「いらっ……しゃ……いませぇ……」
店員の絶望をお客の喜びと考える店長の恐るべき経営戦略により、店員は一日に三十時間という矛盾した労働を課せられており、声を出せることが奇跡と言っても過言ではない。
むべのがちらりと店内のポスターに目を見やれば、『開店記念、クレーム入れ放題!』『店員の無給と無休による全品無料!』『アルバイトは募集しません!勝手に増やします!』などの恐るべき文言が躍っている。
むべのは溜息を大きく一つ吐き、両手両足に枷を付けられ四つん這いで品物を運ぶ店員を捕まえて言った。
そのように通路を移動する店員は店内に複数人もいる。
開店早々にして、喜捨の邪悪なる名物であった。
「店長は?」
「しゅ、主神は……」
「主神?」
訝しげに眉をひそめたむべのに対し、テーブル席の玉座に腰掛けた客が罵声を飛ばす。
「後にしてくれよ兄さんよォ!!!!」
「俺等は腹ペコで腹ペコで死にそうなんだからさァ!!!」
客のテーブルはメニューをただ高い順から頼んだかのようにステーキやデラックスパフェが並んでいる。
「……もう注文は届いているようですが」
「店員が遅いから冷めちまってんだよなァーッ!?俺ァ、熱々の内に食べたいのによォーッ!!!」
そう言って、客はステーキの皿を上下にひっくり返し床に落とした。
べちょ、と鈍い音を立てて牛の死骸が床を汚す。
そのサマを見て、店内の客が一斉に嗤う。
「良かった」
ぼそ、とむべのが言った。
「良かったァ?俺が腹ペコペコで何が良いってんだ?」
ステーキを落とした客が立ち上がり、むべのの前に立った。
身長は二メートルほど、大柄な男である。
「怖い人を呼んでおいて良かった、と言ったんです。私が貴方を相手にするのは少々面倒ですからね」
「何言ってるかわからねぇなァ……殺してから考えるかァーッ!!!」
大柄な客の拳が猛スピードでむべのの顔面に到達せんとした、その時である。
「あっ……?」
恐るべきキリングオーラに気づいた男が、その拳を咄嗟に止めた。
バックステップでむべのから距離を取り、男はボクシングの構えを取る。
むべのの背後に二人の新たな客が立っている。
長身の男と小柄な少年。
長身の男は店内の喧騒を意にせず、スタスタと大柄な男の横を通り抜け――床に落ちたステーキを拾い上げ、一口で体内に収めた。
そして少年は、店内禁煙の注意書きを意にせず、葉巻に火を付けてゆっくりと味わった。甘い煙が周囲に広がる。
「いけませんねェーッ!!!食べ物を無駄にしては!!」
「落ちたものは食べないほうがいいと思うなぁ」
躊躇なく落ちたものを食べる長身の男に少年がぼやく。
「さっ……殺戮刑事だァーッ!!!!」
店内の喧騒が一斉に恐怖へと変わった。
殺戮刑事――殺人鬼を法廷を通さずに処刑することで残された遺族と自分の恨みを晴らしつつ自身の殺人欲求も満たす一石二鳥のお得刑事の殺死杉謙信とバッドリ惨状の二人であった。
「じゃ、じゃあ……あいつも」
客の一人がむべのを指して言った。
怖い人を呼んでおいて良かった――むべのはそう言ったのである。
つまりは殺戮刑事をこの店に連れてきたのはむべのということになる。
ならば、この男もまた――客が恐るべき想像に身を震わせていると、むべのは穏やかな笑みを浮かべたまま「私は管轄が違いますので……」と言って、ゆっくりと首を振った。
「貴方達のような客を相手にするのは、私の仕事ではありません」
剣。トンファー。柔剣。槍。マシンガン。魔力。拳。
客の武器が一斉に殺死杉に向いた。
殺戮刑事に命を狙われた者が取れる選択肢は、死ぬか殺すかの二択のみである。
バッドリの吐き出す煙が店中に広がる。
煙幕――客がそう判断するよりも早く、殺死杉が言った。
「ファミリーレストランの玩具とかお菓子ってアレ、誰が買ってるんでしょうねェ?」
「あっ?」
あまりにも日常的な会話に一瞬だけ、客のタイミングがずれた。
それだけで十分であった。
バッドリの吐き出す煙に混じって、殺死杉が次々に客をナイフで刺していく。
「グギェーッ!!!」
「グベェーッ!!!」
「ボグァーッ!!!」
「ケヒャヒャァーッ!!!命も無駄にしてはいけませんよォーッ!!!!!」
客の悲鳴と、悲鳴にも似た殺死杉の歓喜。
煙に隠れて見えないが、殺死杉は夜闇に欠けた月のように笑っていたのだろう。
反撃を――そう考える客たちであったが、思考に靄がかかったようになり、体が蕩けるような甘い痺れに包まれている。その答えをバッドリの吐き出した煙に求めようとしたが、やはり思考は曖昧で答えには届かなかった。
そんな店内の惨劇に動じることなく、やはり穏やかな口ぶりでむべのは「驚いたな」と言った。
「やっぱり、落ちたステーキをそのまま食べちゃうのは驚きますよねぇ、僕なら消毒ヤクを……」
「そうではなく」
懐から何かを取り出しかけたバッドリを制して、むべのは言葉を続ける。
「店員に被害が出ないようにする手際の良さに驚いたんですよ」
「ああ」
「これなら私も定時に終われそうです」
むべのはそう言うと、しゃがみ込んで四つん這いの店員に視線を合わせた。
思考は蕩け、余計な考えを挟む余地はない。
「労働災害対策局のものです、店長の居場所を教えて下さい」
◆
お客様は神様――では、その神様をもてなす店員を統べる店長は何か。
やはり、神ではないか。
それも神を招く主人の立場であるのだから、主神と言っても過言ではないだろう。ファミリーレストラン喜捨の店長、苦労之巣はそのように思っている。
なれるならなっときたいな、主神。
かくして、苦労之巣は十年勤めた企業を退職し、店員を虐げるの一本槍で飲食業界に乗り込み、三日前に喜捨を開店したのである。
客が神ならば己の存在は神殺しである。
そのように自身を定義した殺
薄暗い部屋である。
壁も扉もその全てが分厚い金属で構成されており、バズーカヤクザの襲撃にあってもびくともしないだろう。
苦労之巣は喜捨の奥深くにある店長室で、監視カメラの映像を見ながら玉座に深く腰掛けワインを煽っていた。
凄まじいスピードでなされる神殺しに対し、主神は動じない。
八百万の神という言葉がある通り、神は――そして俺の店の客となりうる神はこの世に溢れている。
今はサド趣味の犯罪者がメイン客層であるが、この業態を日本中に――いや、世界中に広め、ゆくゆくは世界中の客に店員を虐げさせてみせよう。
いつかそんな成功の日が来る――苦労之巣はそれを確信している。
ゆりかごから墓場――いや、精子だろうが、幽霊だろうが客にしてみせよう。
己は飲食業界のトップに立ってみせる。
鉄の門によって閉ざされていた店長室に光が射し込む。
その細腕のどこにどれほどの力があったのか、むべのが鋼鉄の扉を開けたのである。
「労働災害対策局のむべの生命保険です」
慇懃にむべのが頭を下げた。
その側でバッドリが葉巻を吸っている。
バッドリの外見は未成年のようにしか見えないが、煙草ではなく規制する法律が現状存在しない薬物であるので法的な問題はない。倫理的な問題は――店内で楽しそうに人を殺している男のものから解決しなければならないだろう。
「いらっしゃいませ」
苦労之巣もまた、頭を下げて言った。
「申し訳ございませんが、この部屋は関係者以外立ち入り禁止なものでして……」
そう言って、苦労之巣が苦笑する。
「貴方に人災認定が下りまして……もう貴方も関係者じゃないんですよ」
労働災害対策局は労働災害認定された生命、組織、自然現象、その他諸々に対する対応義務を有する。
今回の場合、客として訪れていた犯罪者に対しては殺戮刑事が応じたが、苦労之巣に対しての業務改善命令は労働災害対策局が出すことになる。
「ははぁ、じゃあアナタは招かれざる客というワケですか……」
「どうします、苦労之巣さん。その部屋から自分で出てきますか、それとも追い出されますか?」
バッドリが葉巻を咥えて、細く柔らかな両腕で力こぶを作るように肘を曲げた。
「そっちの少年は?」
「応援に来てもらった殺戮刑事です、一応……貴方は店員を虐げただけで、殺戮刑事案件ではないので、彼はまだ貴方を殺しません、あそこの殺死杉さんもですが」
法的に繊細な部分はあるが、殺戮刑事は法的にフワフワとした存在であるので、動こうと思えば殺死杉もバッドリも動くことは出来る。しかし、殺戮刑事はふわっと人が殺せる存在であるので、殺人に関しては理性的かつ倫理的な判断が求められるため、今回の件ではあくまでもサポートの立場なのである。
ふわふわサポート刑事であった。
「じゃあ、ぼくがアナタを殺したら……」
「本気の殺戮刑事二人を敵に回すなんて愚かな真似は私の命のためにもやめて欲しいですが……まあ、そういうことになりますね」
「ははあ……」
苦労之巣が困ったように鼻の頭を掻いた。
「まあ、しかし今の飲食業界は厳しいですからね……愚かな真似こそが未来を切り開くんですなぁ」
気づけば、苦労之巣がガスマスクを装着していた。
店内に充満するバッドリの煙への対策だろうか。
苦労之巣の全身から血のように赤いオーラが漲り、その髪の色までもが赤く染まり、そして逆立った。筋肉ははち切れんばかりに膨張し、その膨張に衣服が耐えきれず苦労之巣の上半身が顕になっている。
「……なるほど、私の手には余りそうですね」
冷たい汗がむべのの頬をつたった。
それでも表面上の笑みは崩さぬまま、むべのはゆるりと下がる。
「では……行け!
「ピカ!」
バッドリは葉巻を苦労之巣の顔に当てるように放り投げた、投げつけられた葉巻に苦労之巣の視線が咄嗟に向かう――と同時に苦労之巣の顔面を蹴りに行った。
凄まじき疾さのそれを――苦労之巣はバックステップで、僅かに背後に下がって回避している。
葉巻が床に落ちる。
先程まで店内を覆っていたものとは違うドス黒い煙は、開戦の狼煙のようである。
バッドリは葉巻の火を靴で消し、苦笑する。
「
「避けろ!
むべのが指示を出して刹那――苦労之巣の中段回し蹴りがバッドリの腹部に命中していた。勢いよく吹き飛ばされ、壁に叩きつけられたバッドリ。しかし、大した怪我をした様子もなく、バッドリは立ち上がる。
「もうちょっと具体的に指示を出してほしいな――」
どれほど疾いというのか、10メートルほどの距離があったはずの苦労之巣はバッドリのすぐ前に迫っていた。
目にも止まらぬ疾さで、苦労之巣の乱打がバッドリを打ち付ける。
一撃、一撃が壁に穴を穿ち、破片を宙にばら撒く。
だが、バッドリを死に至らしめるには届かない。
「硬い……!」
「んん……殺していいなら楽なんだけどなぁ」
バッドリは鼻血を垂れ流しながら言った。
肌に痣、僅かに滲む血――効いていないワケではない。
このまま攻撃が続けば、その内にバッドリは倒れるだろう――だが、今すぐではない。
「避けろ!
「避けたいんだけど……どうも、疾すぎるね。なんだろう……結構目は良い方なんだけどなぁ」
バッドリが頭を掻く。
(わかるわけがない)
ガスマスクの内側で苦労之巣がほくそ笑む。
元はブラック企業に勤める一介の社員であった。
家に帰れるのが一ヶ月に何回で数えられるほどの残業に、出ない残業代。
幾らあっても足りない時間。破壊された時間感覚。
時間を寄越せ――その心の底からの願いが苦労之巣を覚醒させた。
十秒の時間停止――それが苦労之巣が得た能力である。
殺戮刑事が如何に疾くとも、止まった時間の中で動く生命は認識できない。
如何に硬くとも、水滴は石をも穿つ――殺戮刑事であろうとも殺しきれないことはない。
「これがぼくの神対お……」
瞬間、苦労之巣の視界が揺らいだ。
異様な寒気と発熱、そして嘔吐感。
苦労之巣はその場に膝から崩れ落ちた。
「ど、毒……?何故だ……どこからだ……」
室内を覆っていた煙はガスマスクで防いでいた――バッドリの黒い煙も吸ってはいない。
「なるほど、経皮毒」
むべのが納得したように頷く。
バッドリの葉巻の不意打ちは蹴りを当てることが目的ではなかったらしい。
苦労之巣の上半身――むき出しの皮膚に煙を当てることが目的であったということだ。
如何なる成分であったのか、それが苦労之巣を昏倒せしめた――ということになる。
そして、そんな薬物を平然とキメていたバッドリである。
正気ではない。
「君に何があって、こんな店を経営するに至ったのか……その気持ちはわからない」
バッドリが右足を高く掲げた。
「やっ……やめ……」
「だけどね……これだけは言える……お客様も、そして君も神様なんかじゃない……神様って言うのは……」
「ぐおおおおおおおおおお!!!!」
バッドリの踵落としが苦労之巣の頭部を打った。
殺さない程度には手加減してあるが、意識を刈り取るには十分すぎる一撃である。
「いつだって、僕の視界の端にチラチラ映っているんだから……」
バッドリにしか見えない神であった。
「……終わりましたかァーッ!?」
「疲れましたよ……」
満足げな笑みを浮かべる殺死杉に対し、疲弊した表情のバッドリ。
その強さ以上に、好き勝手に殺せなかった精神的疲弊のほうが大きかったのだろう。
「いやあ、助かりました。この度は本当にありがとうございました」
気がつけば、苦労之巣の姿がない。
逃げたか――そう判断するにはあまりにもむべのの姿は落ち着いている。
「店長は?」
「調伏しました」
「ハァ?」
「まぁ、なんか解決したみたいだから僕は良いよ」
意識がふわふわとした店員を店の外に出し、後々の処理はやってきた後続に任せて、今回は解散ということになる。
店を出てすぐに、むべのが言った。
「どうでしょうか、皆さん。私の奢りで飲みに行くというのは……いい店を知っているんですよ」
「……言うほど、飲みたいですかねェ?」
殺死杉がバッドリを見ながら言った。
「……僕もそう思うなぁ」
バッドリも殺死杉を見ながら言う。
自分はまともな方であるが、酒の席で殺戮刑事と友好を深めたいものだろうか。
そのようなことを二人は同時に思っている。
「殺人ありの店ですよ」
「ゆきますよォーッ!!!」
「ゆくよ」
そういうことになったのである。
【つづく】
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