殺戮警察犬を飼いたいの巻
◆
「殺戮刑事課にも警察犬がいたらいいと思うんですよね」
スターバックスタブコーヒー(バックスタブ――それは裏切りを意味する言葉)のテラス席でバッドリ惨状が言った。
新雪を人の形に切り出したかのような白く滑らかな肌をした天使のように中性的な美麗の少年である。
赤いベストに黒いコートを羽織り、白いレースのクラヴァットを首周りに卷いていた。
そのように着ている服は時代錯誤なロココ風の貴族衣装であったが、その時代に生まれた貴公子であるかのような見事な着こなしであった。
身体のラインを隠す華美なブリーチズ(ズボン)は膝下までを隠すに留まっており、彼の細くしなやかな脚を覆う役割は白い絹の長靴下であるホーズの役割である。
瞳は夢色に輝き、蕩けているかのように潤んでいる。
薬物の力である。
バッドリは現在規制する法律のない合法的な気持ちの良くなる薬物を常時キメている。
薬物の方に依存性は無い、バッドリが悪い。
「はァ?」
バッドリの向かい側に座る殺死杉謙信が呆れたように言った。
二十代後半から三十代前半に見えるスーツの男だ。
いつも人を殺したがっていることでお馴染みである。
「殺戮刑事課にも警察犬がいたらいいと思うんですよね」
「別に聞き返したワケではありません……ウチで警察犬を?」
「殺戮警察犬……いいと思いません?」
「警察犬って課単位で勝手に用意して良いものでしたかァ?」
「公安だってパンダ飼ってるからいいんじゃないですか?」
殺死杉の脳裏に頭にランプを着けたパンダの姿が浮かぶ。
パトロールカーは俗にパンダと呼ばれることがあるが、公安のとある課では実際にパンダが警察車両としても利用されている。『も』を付けたのは警察車両以外の役割も果たしているからである。正気の沙汰ではない。
「……しかし、わざわざ殺戮警察犬なんて用意しなくても、警察犬が必要なら都度派遣してもらえばいいだけじゃありませんか?」
そう言って殺死杉がとんこつラーメンを啜る。
スターバックスタブコーヒーの期間限定商品である。
店主が寝る間も惜しんで仕込んでいる本場仕込のスープは、客から「へー、とんこつラーメンの臭いしかしないけど、居抜き物件で新しくラーメン屋始めたんだ」と評判である。
「甘いですよ殺死杉さん……確かに警察犬の捜査能力はその都度用意すればいいだけのことでしょう、けど……」
そう言って、バッドリが甘ったるい煙を吐き出す。
スターバックスタブコーヒーは店内禁煙であるが、バッドリの吸引しているクスリはタバコではない上に、規制する法律もない。ルールの穴をついて常用をやめない薬物中毒者の鑑と呼べるだろう。
「あっ」
殺死杉が何かに気づいたように声を上げた。
「ワンちゃんにまで殺人の味を覚えさせるつもりじゃないでしょうねェ!?」
眉を吊り上げて、バッドリを睨むように殺死杉が言った。
殺人が趣味ではあるが、愛玩動物が人間を殺すのはイヤだなぁぐらいの感覚は抱いている男である。
殺人以外は一般的な倫理観を有しているからこそ、殺死杉は殺戮刑事なのである。
「ヤダなぁ、殺死杉さん。ただでさえ殺しても良い犯人を奪い合っているのに、なんでライバルを増やさないといけないんですか?」
そんな殺死杉にバッドリは諭すように言うと、バッドリは得意げな顔をした。
「可愛いワンチャンにはマスコットとしての役割があるんですよ」
「殺戮警察犬って名前ついてる時点でマスコットキャラクターとしては終わりでしょうねェ……」
殺死杉の皮肉を無視して、バッドリは熱を入れて言葉を続ける。
バッドリは目に見えない不思議な光景が見えたり、あるいは普通ならば目に入るものが目に映らなかったりする。
聴覚についても同じである。
それがクスリのせいなのか、バッドリの生まれ持っての性格であるのか原因はハッキリとしない。
「いいですか、殺死杉さん。僕たち殺戮刑事課は世間一般的には殺人中毒者の巣窟、社会に適応できているだけの邪悪集団と思われています」
「由々しきことですが、まぁまぁ合ってるんですよねェ」
バッドリの顔を見ながら、殺死杉が言う。
「世間様に適応できているのは僕だけですよ」
己の可愛らしい顔を両の人差し指で指してバッドリが言う。
殺死杉が乾いた笑いを漏らす。
「私も他の人も法は犯してないですけどねェ……世間様に適応できているバッドリくんと違って」
殺戮刑事の殺人は法的にフワフワとしているので、日本国の法的上罪にはならないが、バッドリの薬物乱用はたまに法律に引っかかってしまうのである。
ただし、販売に関しては手を出していない。
買うことはないし、売ることもない。
バッドリは常に自家製中毒である。
「これじゃあ捜査もロクに出来ません。そこで僕なりに何が足りないかを考えてみたんですが……やっぱり殺戮刑事課には愛らしさが足りないと思うんですよね。僕なんか可愛らしくて、人にすぐ好かれちゃいますから」
「まあ、私達はバッドリくんと違って薬物に手を出していませんからねェ」
民間人に恐れられ、聞き込みすらロクに行えないことすらある殺戮刑事だが、バッドリに関しては例外的に民間人から友好的に接されることが多い。
バッドリの容姿のためではない、バッドリの薬物の副流煙で周囲の人間も気持ちよくなっているだけである。
「というわけで殺戮警察犬の出番なんですよ、殺死杉さん!」
「殺戮警察犬って名前ついてる時点で出番は終わりでしょうねェ……」
「愛くるしいマスコット、殺戮警察犬で民間人に親しみを持ってもらう……どうでしょう!?」
「まず、その名前を変えないと動物愛護団体に憎しみを持たれそうですがねェ……」
そう言って、殺死杉はとんこつラーメンに残る麺の最後の一本を啜り上げ、丼をテーブルの端に置いた。
そして口直しをするかのように、ナイフを取り出してその刃を舐めた。
とんこつラーメンの濃厚さが、刃の鋭利さによって洗い流されていく。
「あー……ちょっと替え玉取ってきますね」
そう言って、殺死杉は席を立った。
カウンターのショーケースの中に、ケーキやパイ、焼き菓子と一緒に替え玉が並んでいる。
味は美味いがあまりにもイカれた衛生管理だ――殺死杉は頭の中で独りごちると、替え玉を購入し、自分の席へと戻る。
「っていうか、マスコットキャラクターが必要なら、それこそ実際の動物じゃなくても、ゆるキャラとかを作ればいいんじゃないですかァ?」
席を離れている間に、考えがまとまった。
勿論、法律的にフワフワしているとは言え殺戮刑事も組織の意味分からない形をした酔っ払いが作った雲形定規みたいな歯車の一つである。あまり勝手な動きをするワケにもいかないが、バッドリの言うことにも一理ある。殺戮刑事の支配者である業魂課長も広報用のキャラクターを作るぐらいならば許可を出してくれる可能性は高い。
「まぁ……そうなんですけどね……」
そう言うと、バッドリは何かを言いたげに指を組んで俯き――そして数十秒ほどして、意を決したように殺死杉を見た。
「実は犬を飼うか悩んでいるんですよ……」
「結局、公費で犬を飼いたかった……ってコトォ!?」
「ワ……」
バッドリが顔を赤らめ、それから慌ただしく両手を振り始めた。
「と言っても、違うんですよ!?そりゃ、僕なんか一人暮らしですし、やっぱり殺戮刑事として出張もしないといけませんから、ワンちゃんを飼うのは難しいので、課の方で面倒を見てくれらなぁ……って色気はありますけど、でも、めちゃくちゃ優秀なワンちゃんで……きっと殺戮警察犬になっても活躍できると思うんです!!」
そう言って、縋るような瞳でバッドリは殺死杉を見た。
雨に濡れた捨て犬のような瞳である。
「普段は大人しくしてるのに、僕の姿を見た途端にすぐに寄ってきちゃって……放っとけないんですよ……」
バッドリの絞り出すような言葉を聞き、殺死杉は溜息を吐き、言った。
「しょうがないですねェ……」
「えっ!?」
「一応言ってはみましょう。おそらく、警察犬にするのは不可能でしょうがね。ま、そうなったら、里親を探すことぐらいは手伝って上げますよォーッ!」
そう言って、殺死杉は「私だってワンちゃんは嫌いじゃありませんからねェ……」と言葉を結ぶ。
バッドリくん――見た目が良いだけの薬物中毒者のカス人間であると思っていたが、周囲に被害しか出さない無差別クズ野郎でも、動物に対する情はあるらしい。ならば、犬とのふれあいを通して薬物を止めるということもあり得るかもしれない。ならば出来る限りの協力はしてやろうと殺死杉は思う。
「で、そのワンちゃんって言うのはどこにいるんですか?」
「ああ……今、呼びますね」
「呼ぶ……?」
バッドリが懐から白い粉の入ったビニール袋を取り出した。
次の瞬間、「わん!わん!わん!わん!わん!わん!わん!わん!わん!」凄まじい咆哮と共に駆けてきたドーベルマンがバッドリの右腕に噛み付いた。
「グッドボーイ!」
「わん!わん!わん!わん!わん!わん!わん!わん!わん!」
決して犯人を逃さんと、その鋭い牙でバッドリの右腕をもがんばかりに噛み付いているドーベルマン、そんなドーベルマンを優しく撫でるバッドリ。
「どうでしょう……殺死杉さん。この子なら優秀な殺戮警察犬になれるんじゃないかな……?」
「もう優秀な麻薬探知犬みたいですねェ……」
ドーベルマンを追う麻薬取締官を見ながら、殺死杉は遠い目で呟いた。
【終わり】
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