第2-3話 秋田犬ハチの耳の謎を追え!【解決編】
ありがとう、とホームズさんは微笑むと、まず渋谷駅のハチ公像の話をした。
「渋谷駅のハチ公像の姿を想像できるかい?」
「待ち合わせ場所だべ?」
「そこの青ガエルもそうだったのだが、まぁそれはそれだ。大館駅の銅像と姿が違う」
「あー、そいで銅像を見て違うってがー。どごだすべ?」
「渋谷駅の方は、左耳が下がっている」
それは知らなかった。
というか、私は渋谷駅のハチ公像を見ていない。
あれ、あの銅像の左耳はどうだったっけ?
「あ、秋田犬会館!」
「この銅像のことかい」
探偵エルフは、iPhoneで証拠写真を撮っていた。
桂城公園から赤い橋を渡ると秋田犬会館である。
あー、初めて私と会った日に、ちゃっかり写していたのか。抜け目がないのが、探偵の調査らしい。
その画面の写真をよく見る。
「左耳が下がっている!」
「そういうわけさ。だがね、そのハチの出生地である、大館市。ハチの左耳が下がっていなかった頃に戻して、威風堂々とした銅像を造ると思わないかい?」
「ん、怪我したんだが?」
「私も流石に、昭和7年頃の生きたハチを見ていない。だが証言では、野犬と闘ってハチは左耳をかじられ、それ以後、下がっているというね」
はぁ、かわいそうにな。
探偵エルフ・ホームズさんの調査報告に、私も率直な思いがこみ上げた。
地元愛が薄くなっていた私でさえも、ハチに同情が起きた。
そうか、なるほど。ハチ公の銅像を造る人なら、立派に造ってやろうという気概はもっとあるのか。
私の反応を確認してから、ホームズさんは、ポケットからスナック菓子『ギンビス枝豆味』を取り出して食べながら話す。
「それが人の思いの誇張だ。だがね。銅像は銅像であって、本人や本物と一緒とは限らない、と私は思っている。別の価値観が働く……そう、金字塔と書いてモニュメントだ!」
「金字塔だば、ピラミッドだな。だから、観光?」
私の考えには、渋い顔で首を少し傾げた。
うーん、と言葉を探して唸るエルフさん。
本人や本物の範疇を越えているのは分かった。
別の価値観では、観光資源なのだ。
で、ホームズさんが言う観光とは何のことなのだろうか。
「
「うーん? 中国の古典?」
「そうだ、
「うん、さっぱり分がんねぇ!」
「おっと、失敬。易経の話は置いておこう。観光とは元々、余暇時間で遊ぶことではない。他の国や地域の自然、文化、産業、風俗、人々の暮らしなどを見て回ることで、その国や地域の統治者に知恵ある客人として重宝されるのが良い、が解説だ」
「んんん。せば、物見遊山が目的じゃねぇんだな」
「あぁ、金字塔を見る私の行為でなく、金字塔を見たという私の存在に価値がある」
私は色々、見聞してきた存在! つまり大賢者である!
あなたの下で働かせてくれ! ドヤ顔のお願いッ!
おーう。何だか、鼻につく話だ。
ただ100回聞いたより、1回見た方が、物知りとは言える。
うーん、間違ってはいない。
主体は、観光の内容でない。観光という行為を経験した、私が主体だ。
というので、お金で買えない価値を『観光』という体験で私たちは得るのだ。
違和感あるような、違和感ないような。とても不思議な感じだ。
とりあえず、点と点がつながった。
線が複雑になっていくと、今回も風景が見えて来た。
観光のモニュメントを知ろうと、私たちが現地を訪ねるのは、私たちを大賢者にしてくれるのだ。
ホームズさんが日常の謎を追い続けて、現地調査にこだわるのは、エルフらしい知的好奇心なのだ。
彼女の人なりは徐々に分かってきた。
小難しい考え方をするけど、私に悪い影響を与える人ではない。
私はとんでもない勘違いをしていた。
ホームズさんとの距離感、少し分かった気がする。
それに大館の金字塔を、私のために知ろうとも思えた。
友好の木の下に、私たちはいた。
その木のあるエリア、秋田犬の里の芝生広場は、犬のための遊び場を兼ねている。
飼い主を引っ張って、大柄の
ベンチに腰をかけていた探偵エルフさんが、恐怖で怯えた顔になる。
まるで蛇に睨まれたカエルのように固まっていた。
私の勘違い。今、ようやく分かった。
今朝、私と父が楽しげに、秋田犬トークをしていたのに、彼女はヤケクソに叫ぶくらい苛立っていた。
それから、道をダラダラと歩きながら、わざと時間をかけて進んでいた。
最後に、秋田犬の里の館内に入って、枝豆ソフトクリームを2つ買って来たときの挙動不審だ。
【少々やっかいな案件】と、イギリス人らしく建前で、強がって言っていた。
本音はエルフさん、大きい犬が苦手なのだ。
【少々やっかいな案件】=【苦手な犬と頑張って会おう案件】なのだと、私も今さら理解できた。
自分が秋田犬のような大きい犬が好きだから、自分自身の価値観で、自分が正しいと私は思っていた。
父が忙しく仕事をする職人でなければ、面倒見るのを私が1人でしっかり出来れば、と現実世界の私は、ずっと秋田犬を飼えないので悶々としていた。
自分の脳内、お花畑か! どうして探偵エルフさんの気持ちを考えない!
あぁ、なんて、なんて、なんて自己中心的な存在なんだろう、私は!
ホームズさんの細い手を私は強引に引っ張り、その場を離れて、秋田犬の彫刻がある橋まで戻っていた。
色々あった間、エルフさんは驚きすぎて声を失っていたようだ。
川が見える橋まで来ると、犬が苦手な探偵エルフさんも落ち着いてきたようだ。
申し訳なさそうに、ただ私の様子をうかがう。
「あの、大丈夫かい?」
「全然、大丈夫じゃないッ! 大丈夫じゃなんだからッ!」
「君が泣いてしまうのは、最初から分かっていた。私は、君の大切な価値観を傷つけてしまうのは嫌で……もう言い訳は止める。……ごめんなさい」
私は涙のせいで視界が歪んでいた。
感情がどんどん涙で流れていくのは、私にとってうれしいことだった。
だけど、ホームズさんが困惑した目で、私を見るのは心苦しかった。
あの枝豆ソフトクリームを買いに行く根性は、動く犬にも怯まないという、私に対する本気だ。
そんな探偵エルフさんの誠心誠意に、我慢できずに癇癪を起して泣きわめく子供より、ひどいことを私はしている。
この事件は……厄介だ。
少々どころか、かなり厄介な案件になった。
ついに私の心の壁は、件の涙で決壊した。
私が泣いた理由は、この時の自分がした最大規模の勘違いを心の底から憎かったからだ。
お互いを知るきっかけ。
それであるならば、私はちゃんと本音を話して、ホームズさんと向き合わなければならない。
これからどうする。
私のことを知ってもらいたいけど……どうやって……私には自信がない。
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