野苺は鳥が啄ばみ、嘴の色で染めた紐でお見送り
黒須 夜雨子
第1話
奈津は小さな市だ。
人口は15万弱で、歴史的遺物も見つからず、これといった観光が存在するわけでもない。
列車の路線と路線を繋ぐ、乗り継ぎ地点の駅に商業施設があるのと、国道沿いの閑散とした土地を活用した大型ショッピングセンターがあるぐらい。
だからといって広大な田畑が広がるわけでなければ、見応えのある山景が拝めることもない。
都市と田舎の真ん中にある無個性な場所。それが奈津だ。
「あら、ゆう君。今年も来たんかい」
「お久しぶりです」
玄関で祐樹を出迎えてくれた叔父と叔母は、持参した手土産に顔を綻ばせる。
「まあまあ、このフルーツゼリー、先日テレビで紹介されているのを見て気になっていたのよ」
「いやあ、ここと違って都会に住んでると土産も全然違うか」
こんな場所じゃ通販に頼るしかないと嘆く叔母は、祐樹が現在住んでいる都市部の出身だ。
叔父と結婚してから暫くは叔母の実家の近くに住んでいたらしいが、この家に移り住んで久しい。
「今日はこっちに泊まるんかい?」
そう聞いてきた叔父には、首を横に振って答える。
「明日も予定があるので、すぐに帰るつもりです。
ここには挨拶だけで」
「そうか。仕事が忙しいんか。しっかり働いているのはええことだ。
無理することはないが、実家だと思って遠慮なく来たらいい」
叔父の言葉の後ろを掻き消すかのように、背後の階段から騒々しい音を立てて従弟が姿を見せた。
「ゆう兄、山に行くなら一緒に連れてって。
そのまま駅まで運んでくれると更に助かるんだけど」
旅行なのだろうか、大きなスポーツバッグを肩にかけて背にはリュック。
途端に叔母が渋面になる。
「真人、また出かける気?
ろくに勉強もせずにバイト明け暮れては旅行ばっかり!」
年一回の対面では見せないような素の声を張り上げるも、すぐに祐樹の存在を思い出したのだろう、取り繕った笑みを浮かべながらもちらちらと真人を睨みつけていた。
「ほらほら、おかんが鬼ババアだって気づいてしまう前に行って行って!」
気にした様子のない真人が玄関へと下りてくれば、広くないスペースは窮屈で、祐樹は外に押し出される形になった。
玄関から一歩外に出れば、靴を履き終えた真人が祐樹の肩を押す。
「じゃあ、いってきまーす。お土産は期待しないで」
祐樹は視界から消えていく叔父と叔母に頭を下げた。
真人のいう『山』はそのままの意味ではなく、大半のスペースが切り出した石の並ぶ墓地のことを指す。
規則正しく数メートルの四角形に区画整備がされた土地に、各家の墓地が並ぶも木々は残されていることから、遠目に見れば緑に覆われた普通の山にも見えるので地元の人間は 『山』と呼ぶのだ。
途中にあった案内板を見ながら山へと続く道へと入れば、入り口には花屋や石材屋といった店舗が複数並んでいる。
管理事務所に挨拶をして、花と水の入ったバケツを受け取れば、管理人が忘れていたと柄杓をバケツに差し入れてくれた。
そのまま墓地の間を縫うようにしてアスファルトの道を上がること少し、5分も経たないうちに車を停めれば両親の眠る場所はすぐそこだ。
車から下りれば、湿気を帯びた夏の熱気が肌を這う。
車の行き来ができる道は舗装されているが、区画として分けられている墓地と墓地の間にある道は山を削りだした地面のまま。
人間が踏み固めたことによって道の形をしているが、歪に隆起した道は雨にもなると足を滑らせやすくなる。
注意深く割り当てられた場所へと辿り着けば、古い墓石と比較的新しい墓石が出迎えてくれた。
曾祖父母の時からの墓だけに当然だが、それは祐樹にとっては遺跡に似た感覚に近い印象を与えるだけで、正直、ここに両親が眠っているという感慨もわかない。
管理事務所で定期的に清掃がされるお陰か雑草はさほど目立たず、葉が落ちているのも多くない。
持参した軍手で目立つ雑草だけ引き抜き、木々の落とした葉を拾っていく。
「俺、伯父さんと伯母さんの顔、あんま憶えてないんだよな。
ガキの頃だったし」
ついてきていた真人が手慣れた様子で墓の前に花を挿した。
「あの人達が亡くなったのは真人が幼稚園の頃だから、憶えてないのが普通だろ」
真人の言葉が薄情だとも思わない。祐樹だって二人の声を忘れつつあるのだから。
「どんな人達だった?」
「普通の父親と母親をしていたと思うけど」
言われて思い返してみても、ごくありきたりな日常しか思い出せないでいる。
「ふうん、伯母さんって天涯孤独だったらしいじゃん。
ゆう兄のことをめっちゃ可愛がっていたのかと思ったんだけど」
「ないな。溺愛もなければ無関心でもなく、虐待もなかったよ。
何を普通の基準にするのかはわからないけど、日常生活は普通だとは思う」
ばしゃり、と柄杓で掬われた水が墓へとかけていく。
最初は先祖の墓へ。次は両親の墓へ。
それが終わればロウソクに火を点け、線香を立てる。すぐにロウソクの火は消した。
2年前に高校生達が起こしたボヤ騒ぎで、ロウソクは消して帰るようにルールが変わったのだ。
手を合わせて合掌すれども、隣の賑やかな声は途絶えない。
「あの家、何もしないの?」
「……別に」
「親父もおかんもゆう兄にあんなこと言ってるけど、実際には名義変更とかできてない。
ゆう兄が無害だと思って好きにしているけど、あの家はゆう兄のものだから」
目を開けても隣は見ない。
きっと妙な正義感溢れる従弟は、自分の両親にも、何も行動を起こさない祐樹に対しても不満があるのだ。
だからといって諭したところで、存外頑固な真人が納得しないのも今更な話で。
結局は適当に聞き流すのが早い。
「俺が一人になったとき、色々とやってくれたのは叔父さんと叔母さんだし、一緒に育ててもらった時に差別されることもなかった。
相続にかかったお金もどうしてくれたのか聞いてないけど、少なくとも手をつけずにいてくれた保険金があったから、高校と大学も卒業できた」
口にした言葉に偽りはない。
「ここに帰ってきたいと思わないから、あまりあの家に執着していないんだ」
今の年齢は親を亡くした14歳のちょうど2倍だ。
既に両親と一緒に過ごした思い出は家から消え失せ、擬似家族との思い出で上塗りされている。
それを寂しいとか悲しいとか思うには年月が経っていた。
本当の家族にはなりきれないものの、部活に明け暮れた時期には弁当を作ってくれたり、大学入試で電車が遅延したときには会社を休んでまで送り迎えをしてくれた。
それが家を手に入れたい下心や罪悪感だとしても、十分な対価を貰ったと思っている。
「それよりも、さっき叔母さんが言っていたけど、そんなに旅行に行っているのか?」
「両親希望の大学に入ったし、単位を落とさないなら多少羽目を外しても許されると思うんだけどね。
おかんは『大企業』に入るまでがゴールだと思ってるから」
視界の端で肩をすくめてみせた真人から汗が一つ落ち、それを合図にしたかのように二人は車へと足を進める。
よろしくはないと思いつつ、エンジンをかけたままにしていた車内は涼しくて、それでも汗が引くには時間がかかるだろう。
助手席に座った真人が「極楽極楽」と爺めいたことを言いながら、スマホで時間を確認してから祐樹を見る。
「ところでさ、ゆう兄が持っていた本、っていうか和綴じの冊子のこと覚えてる?
伯母さんの形見から勝手に一冊借りちゃったんだけど」
「え、どれのことだ?」
急に変えられた話題に記憶を探るが、母親の遺品であった冊子の数は多くはないものの二桁はあったことから、譲った冊子のことを言われても思い出せない。
そういえば真人に強請られたが、断ったことがあるのを思い出した。
「ほら、赤い鬼灯が表紙のやつ。
なんかローカルな民謡とか、昔話とかまとめられたやつ」
「言われたらあったような気もするけど、全部読んだわけでもないし」
全部読んでいないどころか、大半に目を通していない。
両親を見送った後には遺品整理が必要で、家財道具などは叔父と叔母がリストを作って確認してくれたが、両親の個人的な所有物は祐樹がいるかいらないかで判断するように言われたのだ。
「それより勝手に持ち出したのか」
やや険のある言い方で横に座る真人を見れども、「一冊ぐらい」と、飄々とした様子で悪いことをしたと思っていない様子だった。
妙な正義感を持ち合わせながらも好奇心には勝てずにいる。
子どもゆえの歪さだが、許されると思っているだろうくらいには過ごした時間は長いのだ。
母の所有物は思った以上に少なかったと言っていたのを聞いていたわけでもないだろうに。
アルバムがあればいいと思っていたが、父親の思い出を語る人間はいれども母親のことを教えてくれる人がいない。
日記をつけるタイプの人間でもなかったようだったし、携帯電話に何も残していなければ、パソコンの履歴を確認しても何かしらのコミュニティに属していたりはしなかった様子だった。
だからと思ってサイズ的に残しやすいかと、母親の所有物だった薄い冊子をダンボール箱に入れたのを覚えている。
確認しようと頁を開いてはみたものの、あまりにも流暢な筆跡を目にして早々にページを閉じてしまったのだが。
どうやら真人はしっかり読んでいたらしい。
「多分、素人学者っぽい人が地元とか出先で見聞きした覚書をまとめたと思うけど。
どこにも著者名や参照元とか書いてなくてさあ」
今どきの学生にしては珍しく手帳サイズのノートを引っ張り出して、白紙のページを開いた。
カチリ、ボールペンのペン先を繰り出す軽い音が車内に響く。
そのまま読みやすい文字がノートに綴られた。
『野苺は鳥が
三色ボールペンの赤を使って文字は、『野苺』という言葉を強く印象付けられる気がした。
「冊子の中に書かれていた一文なんだけど、なんというか日本の童謡や言葉遊びの言い回しよりも、海外のマザーグースとかにありそうな言葉使いなんだよね。
あ、マザーグースって知ってる?」
祐樹が無言で真人を見れば、知らないかぁ、とにんまりと笑う。
「簡単に説明するとイギリスで伝承された童謡とか歌謡のことね。
マザーグースって童謡なんだけど、なぞなぞの歌や手遊び用の歌、早口言葉を歌にしたものまであって、バラエティ豊かなんだけどさ」
そうしてから口を噤んで、ノートに綴った言葉の下に線を引く。
「まじないの歌もあるんだ。」
バサリ、と音がした。車の外で。
それは鳥が羽ばたく音に似ているが、それよりも大きく、重たく感じる。
車から視線を走らせても、生き物の姿は見当たらない。
「車、出して」
真人の言葉にエンジンをかける。
その間にも決して大きいわけでもないのに、奇妙な程に耳へとクリアに届く羽ばたきの音。
ゆっくりと車を走らせる。そのまま墓地の間を縫うようにしてアスファルトの道を降りていくこと少し、5分も経たないうちに車を停めれば山の入口へと辿り着くのだが。
車は動いている。走っている。
けれど後少しの距離が縮まらない。
いつの間にかフロントガラスの前で赤い紐が揺れていた。
左右を誰かに持たれているかのように横に一線引いた赤は、真人がノートに引いた赤い線を連想させる。
どうしたものかと真人に視線だけ送れば、ニッと笑う唇が見えた。
「『お見送り、ありがとう』」
真人がそう言った瞬間、紐はたわみなく横へと引っ張られる。
ぶつぶつと音が聞こえそうな様子で紐が千切れていく。
最後に繋がった細い糸が切れたとき、赤い紐は消えていった。
と同時に車は山の入口へと辿り着く。
車を脇へと寄せて真人を見れば、「面白いよね」と好奇心を隠さずに笑っていた。
「今の、ボールペンの黒や青じゃ何も起きなかったんだよ。
それなのに赤だけ。気がついたのも偶然赤のボールペンしかなかったからだった」
真人が助手席から祐樹の方へと身を乗り出す。
「ほんと、伯母さんって何者なんだろうね。
──ねえ、本当に普通の親だったの?」
その声には仄暗い陽気が入り混じっている。もしかしたら狂気なのかもしれないが。
「教授がこういったことが好きでさ、しょっちゅう連れ歩いてくれんの。
気がついたら興味が無かったはずの俺もこんな感じで。」
と叩かれたスポーツバッグ。
バッグへと向けた視線を真人へと戻せば、純粋な好奇心だけで目を輝かせていた。
「他にも冊子を持ってたよね?
教授も興味があるみたいで、譲ってくれとは言わないからさ、貸してくれない?」
「駄目だ」
祐樹の即答に真人の顔が不満で歪んだ。
「でも、」
「あんなものを『面白そう』という理由だけで迷いなく試してみるのならば、駄目だ」
真人の抗議を遮って拒否の言葉を投げ捨て、アクセルを踏んだ。
駅まで時間はそうかからなかった。
ぶつくさと文句を言い続ける真人をいなし、駅のロータリーの端へと車を停める。
今日のところは諦めたらしい真人が助手席を出て扉を閉めたのを確認してから、助手席側の窓を開けた。
「真人、一つだけ教えてやるよ」
恨みがましい目が祐樹を見るも、そんなことぐらい気にもならなかった。
「紐は横じゃない、本来は丸にするんだ。
試した後の責任は取れないからな、よく意味を考えろ」
返事を待たずに窓を閉めてアクセル側の足へと少し力を入れる。
サイドミラーに立ち尽くしたままの真人が見えたが、気にせずロータリーを離れて車の速度を上げた。
真人が深く考えずに遊んで不幸を招かなかったのは、単に運がよかっただけだ。
まじないは使用者が意図を理解できていなければ、望む結果を得られることはないのだから。
真人の見せてくれた呪い歌は文字に線を引くのではない。
本来丸を描くのだ。
木の幹に赤でまじないと対象者の名前を刻み、丸を描く。
そうすれば、まじないが相手を赤い紐の括られた枝へと誘い出してくれる。
人の首を招き入れた紐は引き絞られ、お見送りした枝で鳥が
その肉を啄むために。
まじないなんて呼べるものじゃない。
これは、呪術だ。
読んだという割には何のためのまじないか想像がつかなかった真人よりも、興味がある癖に危機感のない教授とやらに嫌悪が湧く。
多少なりとも知識や経験を持ち合わせているのだろうが、それで全てをわかった気でいる傲慢さが気に食わない。
母は耳が痛くなる程にまじないは危険であることを、その一つ一つの対処や、そもそもまじないを使う必要がないことを教えた上で、祐樹に全てを引き継いだというのに。
全て記憶しているから母が遺した冊子をわざわざ読む必要なかったのだが、冊子が揃っているか確認せず、管理がおろそかになった祐樹にも非はある。まさか堂々と盗んでいたとは思わなかったが、そういったことも含めて、やはり母から教わった知識は碌なものではない。
溜息を一つ。
「早々に返してもらったほうがいいな」
叔母に連絡して、祐樹が貸した冊子が旅行に出る原因だと伝えれば、すぐに真人から取り上げて送ってくれるはずだ。
そうしたら全部データ化して処分しよう。冊子を確実に廃棄ができるサービスも探しておかないといけない。
『ねえ、本当に普通の親だったの?』
不意に別れたばかりの真人の顔が思い浮かんだ。
「知っているというだけで、異常扱いされる覚えはないな」
知見を得、対処を知り、そして正しく知れば知るほどに関わろうと思わずに、得体の知れないモノとは線を引く。
少なくとも冊子に書かれたことを知る以外は全く普通なのだ。
両親と過ごした14年で、母親の冊子を語り継ぐのにかけた時間なんて大した割合ではない。
寝て起きて、朝ご飯を食べて学校に行って勉強して、帰ったらゲームをして宿題を終わらせて風呂に入って、また寝る。長期休暇で旅行に行った、海も山も何もかもが思い出として残された。
そんな日常が大半を占める時間を水に喩えるならば、真人の考える『普通じゃない』時間は濃縮果汁なのかもしれないが、日常と割ればレモン水のように希釈されたものにとなる。
限りなく日常に近いレベル。それはもはや日常と言って過言ではないのではないか。
少なくとも浅慮のままに、人の範疇を越えた場所に足を踏み入れるようなことはしない。
ダッシュボードから煙草を取り出して火を点ける、
本来の意味を知ったとき、真人がどういった行動を取るかは知らない。
できれば周囲で自殺と勘違いされるような死体が出ないことを祈るばかりだ。真人本人も含めて。
冷房が効いた車内は、不吉を纏わりつかせるように紫煙に染まり始めていった。
野苺は鳥が啄ばみ、嘴の色で染めた紐でお見送り 黒須 夜雨子 @y_kurosu
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