076:復讐の番人

『第4層90マス』の本が立ち並ぶ図書館のような空間に黒田の泣き叫ぶ声が無情にも響き渡る。


「うぅ……あぁあうぅ……ぁ……な、なんでだ……」

「何がだ?」

 黒田の鋭い眼光は案内兎のクロに向けられた。今にも目の前のウサギを狩ろうとしている肉食動物のように。

 そして黒田の質問に対してピンときていないクロは目の前で人が死んでいるのにもかかわらず冷静沈着だ。


「なんで、ヒナコは……死ななきゃいけないんだよぉお、軽い罰じゃないのかよぉお」

「誰が軽い罰だと言った?」

「!?」

 両足で立っているクロは腕を組み下等生物を見るような冷たい瞳を黒田に向けた。その視線に黒田はゾッと背筋が凍るのを味わった。


「90マスを超えてからの罰は今までと比べものにならないんだよ。もし6の目が出てたら2人とも即死だったな。お前だけでも生きてたんだ。運が良かったな」

「運が良かっただと……ふ、ふざけるな」

 クロの心のない言葉に吠える黒田。それでもクロの冷たい目は変わらない。


「恨むんなら負けた自分を恨むんだな。いーや、この世界の場合は、自分を負かした相手を恨め、だな」

 冷たく黒い目のまま表情を変えなかったクロは凶悪な表情へと変貌した。


『第4層90マス』のチェス対決で敗北した黒田カップル。2人が受けた罰は『黒田の左腕の切断』そして『ヒナコの内臓の破裂』だった。

 左腕を失った黒田には意識はある。自分の左腕の痛みよりも衝撃的な光景が目の前にあり、かろうじて意識を保っていたのだ。しかし内臓が破裂しているヒナコは即死だ。内臓が破裂し飛び出してもなお生きている生物はそうそういないだろう。血の量や無残に飛び散る内臓がそれを物語っている。


 左腕を失い大量の血を流しすぎた黒田の意識も流石に限界に近い。右腕でヒナコ亡骸を抱き抱えながら倒れ込んでしまった。

 冷たいヒナコを下敷きにしまいとどうにか体勢を変える黒田。左半身だけでなく右半身も血塗れ状態だ。

 そんな冷たい絶望の中、黒田は憎悪が膨れ上がっていた。


(俺が、俺が負けなきゃよかったんだ。あいつに、あいつに……金宮に。あいつ笑ってやがった。笑ってやがった。クソクソクソクソ。ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな)

 黒田の憎悪はどんどんと膨れ上がり心を蝕む。流れる涙は血と交わり赤い。


「復讐しろ。復讐心を燃やせ。この気持ちを忘れるな。神様が作った盤上遊戯ボードゲームの世界でお前は復讐のために生きるんだ」

「うるせェエ! 黙ってろがクソがァ」

 復讐のために生きるのだと呼びかけているクロの言葉を黒田の咆哮がかき消した。


(クソが、クソが、クソが、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す! 金宮を殺す!)

 かき消し聞こうとしなかったはずの言葉は黒田の心には響いていた。そして金宮ユウジへの復讐を決めて意識がプツリと途切る。それはまるで死と誕生だ。優しい青年が死に復讐のために生きる凶悪な男を誕生させた瞬間だったのだ。


 叫び声も泣き声を止み静まり返った『第4層90マス』にコツンコツンと足音が響き渡った。その足音はもふもふの毛皮をかぶっているウサギのものではなく先端が尖り黒く光ビジネスシューズから鳴らされた足音だ。


「おやおや、神様ではないですか。お目にかかりましたか?」と、クロは現れた男に向かって言った。

「ああ、さすが90マスまでたどり着いただけはある。この男の復讐心は相当なものになっただろう」

 スーツ姿の神様はうつ伏せで倒れている黒田を軽く蹴り上げて仰向けにさせ顔を見た。


「それではこの男を治療します。女の方はどうしましょうか? すでに死んでいますがアンデッドにするのは可能かと」

「いいや、女は消して構わない。どんな形であれ女の姿があれば、この男の復讐心が薄れてしまうかもしれないからな」

 神様の指示を受けたクロは黒田を死なせないために治癒魔法をかけて治療を始める。


癒しの波動ヒールパルス

 クロが治癒魔法を唱えた瞬間、小さな手のひらから緑色の光が黒田の失った左腕の肩を包み込んだ。すると見る見るうちに傷が塞がり止血された。

 傷は完全に塞がったが失った左腕は帰ってはこなかった。


「黒田ショウゴ。お前は復讐の番人として私のコマになるといい。そして私を楽しませてくれ」

 神様は気を失っている黒田に声をかけた。もちろん黒田からの返事はない。しかし神様は仰向けにした黒田の表情を見てニヤッと口元が緩んだ。その後、音もなく姿を消したのだった。


 これが黒田ショウゴが復讐の番人になった出来事だ。

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