第2話 上屋敷緋色は理解する
「……黄泉国、だな」
目を覚ました緋色はまず、周囲を探索。
十数分の観察と魔素濃度、どこからか聞こえる魔物の声から、ここが紛れもなく黄泉国であると確信した。
つまり、死後の世界ではない。
死後という馬鹿げた概念が実在していなかったことに安堵しつつも、緋色は首を傾げる。
裂かれた腹に、一切の痕跡がなかった。治療と戦闘で使ったはずの薬剤も、すべてが突入時の状態に戻っている。
そして、自分がどこにいるのか分からない。ここが黄泉国であることは確かだが、意識を失うまで活動していた浅層とは景色と空気が違う。
何もかも、分からないことだらけ。
緋色はため息をつくと、ひとまずは拳銃を取り出す。そして、自分の口内に銃身を突っ込んで発砲。自害した。
「は、ははっ、ははは! こりゃたまげた! 今回のもとびきりイカれてやがる!」
甲高い笑い声。頭の中でキンキンと反響する声に顔を顰めて、緋色は身体を起こした。
確かに脳を撃ち抜いたはず。けれどやはり、確かに感じた痛みの一欠片も残っていないし、銃弾も減っていない。
ならば、と今度は腰の双剣を抜く。同時に、小型カメラを取り出して地面に固定。録画を開始した。
白銀に光る双剣は耐久力こそ難点だが、薄い刃は軽く、切れ味も良い。医療探索者として勤め始めてからの愛剣で、自ら首を切断。自害した。
「……意味はなかった、か」
再び目を覚ました緋色は、ポーチの中に戻っていたカメラにため息をつく。録画映像も残っていない。何が起きているかの把握はできそうになかった。
「ああ、ンなことしても無駄だぜ。お嬢ちゃんの所有物も、お嬢ちゃんが死ぬたびに戻るんだ」
声が聞こえて、振り向く。
何もいない。幻聴だったのだろうかと考えた矢先、またもや声がした。
「気のせいじゃねえよ。俺にはお嬢ちゃんみてえな身体が無いってだけだ」
「そう、迷宮意思か」
「おうよ。人間たちはそう呼ぶな」
納得し、頷く。
難度の高い迷宮の深層では、時折「声」が聞こえるという報告が昔からあった。
いかなる方法を用いても録音は不可能。
けれど、何も関係ないはずの探索者たちが、同じような声を聞いたと報告を上げてくる。
いつからか迷宮意思と呼ばれるようになった、詳細不明の怪現象。それを体感しているのは間違いない。
「私に何が起きているか、知ってるのか?」
「ああ、もちろん」
声は言う。
表情など見えるはずもないが、楽しんでいるのは明らかだった。
「ここは、死にたがりには死を許さない。ここで死にたいのなら、心の底から『生きたい』って望まないといけないのさ」
「そう」
頷く。表情こそ普段と変わらない能面だが、緋色の内心には焦燥が生まれつつあった。
何せ、生まれてこの方、生を望んだことがない。上屋敷緋色は、死へ焦がれている。
医療者として、探索者として、死体は何度も目にしているが、そのたびに羨望を覚えていたほどなのだ。致命傷の痛みを体感してもなお、あっさりと自害できる人間が、どうすれば生を渇望できるというのか。
「脱出、か」
どの程度の深さにいるのかも把握できない中では、地上へ戻るのにどれほどの時間がかかるのかは想像もできない。
けれど、そちらの方がまだ現実的なはず。呟く緋色へ、声はまたもや楽しげに話しかけてくる。
「そりゃ無理な相談だな。殺すために生き返らせているのに、わざわざ逃がすと思うのか?」
「……それもそうか」
とうに超常的な現象が起きているのだ。脱出不可能と言われても、さほど驚きはしない。
これが黄泉国。世界でも五指に入る危険地帯、その本領。
とはいえ、脱出を諦めるなら自分で体感してからでもいいだろう。
緋色は立ち上がると装備を整え直し、迷宮を進み始めた。
緋色の強みは医療魔術を修める中で獲得した、高い魔素操作技術だ。
勉学にも時間を費やす必要があったために、肉体の練度では専門の探索者たちと比べるとどうしても劣る。
その弱点を身体強化で補った上で、魔薬剤を使ってのドーピングを行う。
医療活動を主にするからこそ、戦闘は出し惜しみのない短期決着で終わらせてきた。
つまり、危険地帯に踏み込む実力こそあれど、本格的な迷宮攻略は緋色にとって初めての経験だったのだ。
「……まずは地力を上げるしかないか」
迷宮攻略を始めてから六度目の死に戻りを経て、そんな結論に達した。
魔薬剤が残っている間は順調に進めるが、ドーピングが切れた途端に討伐速度が落ちる。
すぐさま敗北することこそないものの、手間取っている間に魔物が増えて、やがて手数に殺される。その繰り返しだった。
これではいつまで経っても脱出などできない。
死ぬために鍛える。矛盾にため息をつきつつも、緋色は双剣を手に取り、黄泉国へ挑み続ける。
時間だけは、いくらでもあった。
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