ネオンの監獄

なぬか

第1話

 雨は、穢れた繁華街のネオンの色をその雫の中に逆さまに閉じ込めながら、黒い地面へと重力に任せて、真っすぐに落ちてゆく。



 5人の男が路地裏の出口へと必死に急ぐ小さな人影を追っていた。子供はすばしっこかった。ある男はできる限り腕を伸ばしてその細い首根っこを掴んでやろうと何回も試みたが、髪にすら届かなかった。

 もうずっと走っていた。子供の尽きることがない体力に恐ろしさも感じていた。そしてとうとう、先頭を走る黒いパーカーの男がこれ以上走っても無駄だと判断し、迷いもなくピストルを取り出した。もっと早くこうしておけば良かったとさえ思った。後に続く仲間たちへと、「撃つ」とサインを送った。

 走りながら絶えず動く細い足を狙った。

 引き金を引いた。

 銃声の後に上った青白い硝煙が揺れた。

 何かに当たったのは間違いないが、どこか違和感を感じた。長い経験で培った、「目標」に当たったという感覚がしなかった。男が銃を構えた手を下ろすと、血を吐いて倒れていた、汚れた野良猫がいた。

 

「…くそ!散らばって探せ!」男は吼えるように叫んだ。


 この路地裏は一本の大きな道から細い小道がまるで体内に張り巡らされた血管のように、細かく何百も分岐している。子供は小道に逃げ込んだに違いないと踏んで探そうとしたが、不可能なのは誰の目から見ても明らかである。しかし誰も口に出さないのは、やはりそれ相応の理由があるからなのだった。

 男は立ち止まり、どんなに微小な物音や体温でも、どこかに潜む人間を捉える為に全神経を集中させた。


  雨音、都市の喧騒が排除される、何か音がする、かなり遠くからだ、呼吸音だろうか、それ以外に音はしない。おそらく8個奥の右側の小道だ___うん、確実だ、行こう


 男は足音を立てずに目的の道へ走った。


 細い息の音は近づいてもなお続いた。男は確信した。しかし男が5番目の小道に差し掛かった時、その音が途絶えた。

 

赤いジャージの若い女が建物の僅かな突起を雨避けにしながら古びた焼却炉の上に座っていた。

 


「老鼠(ジャシュ)?!お前、ここにガキが来なかったか?目が紫で、12くらいの女だ。白いワンピースを着てる」


 

 

「聞いてんのか?」

 顔に血色を感じられない女は小さな口からもうもうと上がる煙草の煙をふーっと吐き出した。目の前の男など眼中にも無い様子だった。まもなく女は箱から最後の一本を取り出し、ライターで丁寧に火をつけた。再び、くさい煙が上がり始めた。見かねた男が女の寄りかかる鉄製の大きな焼却炉を血管の浮き出た拳で叩いた。女は顔をしかめた。

「てめえ無視してんじゃねえよ!」

 屋根に隠れきれずにいた焼却炉の端の方で水しぶきが上がった。跳ねた水滴にジャージを濡らされた女は無表情でまだ火をつけたばかりの煙草を男の足元に投げ捨てた。水を含んだタバコは音もたてずにその火を失った。

「…………老鼠って誰の事だった?私は雅娟(ヤージュェン)だけど」

 深夜の黒い雲のような、深い声であった。

「わかったわかった、で、ここにガキ通らなかったか、急いでるんだよ!」

「通らなかったよ」

 雅娟は男に向けて、まるで悪戯を成功させた子供のような笑顔を向けた。男は地面に座ったかと思うと、そのまま大の字になって地面に寝転んだ。雅娟は再び焼却炉の上に深く腰かけた。

「…もうあのガキは捕まえられない。2億塊だ、奴の値段」

「うわーやっちゃったね」

 絹娟は男の顔を植物でも観察するかのように覗き込んだ。男は大粒の雨に打たれながら、眠るように目を閉じていた。いや、本当に眠りそうであったのだ。

「子供一匹逃がすなんて、まったくこれだから色狼(スーラァン)は」

「うるせーよ老鼠、坏蛋(ファイダン)だよ…」 

 坏蛋は聞き取れるかギリギリの声量で、寝言のように呟いた。

「あーあ、もうちょっと生きたかったわ、俺の人生」

 雅娟は一瞬考えるような様子を見せたが、やはり彼女は薄情であった。

「残念だったねー、まあでも、いくら幼馴染とはいえ、私にはどうすることも出来ないよ!」

 雅娟がひょいと元気よく立ち上がった。坏蛋は少し目を開けて雅娟を見たがすぐにまた目を閉じた。汚れた雨水が目にしみたのだ。

「たまにぼーっとするのもいいけど…場所を選んだらどう?あんたは住処に帰りな」

 雅娟は焼却炉の蓋を開けると、中から革製の鞄を取り出した。

「あと数日の命なんだし、好きにさせてくれよ」

「逃げればいいじゃん、ていうか私これからここでやる事あるからさ、言いたいことわかるよね」

「また取引か。お前も懲りないな」

 坏蛋はだるそうに言った。雅娟はじれったそうに追い払う真似をした。

「あー、もうほら早く行きな」

「焼却炉の中を見せてくれたら帰るよ」

 雅娟が好きにしたらと言うと、坏蛋は全身からずぶ濡れになったままゆっくりと起き上がって、焼却炉の蓋につく取っ手をあげて中を確認した。

「何か細工は?」

「鞄を入れてただけだよ」

 坏蛋は何か考えるような素振りを見せたがそれも一瞬のことで、再びいつものどこか緩んだ表情に戻った。

「……そうか、じゃあな」

 坏蛋は雅娟に、目線こそ合わせないものの軽く手を振ると、小走りで小道を抜けていった。



 雅娟は完全に自分が男の視界の外に出たことを確認すると、錆びた音をたてないよう慎重に、焼却炉の蓋を開けた。

 「あいつも馬鹿だなあ……」

 そう空にぽつりと呟くと、雅娟は焼却炉の暗い穴の中へと身軽に飛び込み、吸い込まれるように落ちていった。


 



 

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