改なる剣聖

第1話 とある小屋の寝室にて

 意識を取り戻した時、俺がいたのは小さな小屋にあるベッドの上だった。

 小屋の中にあったのは僅かばかりの保存食と、衣類がいくつか。俺が着用した記憶のないようなものばかりで、中には剣や金属鎧のようなものもあった。


そのあまりにもファンタジーな光景を見て、俺はこう思う。



「夢か」



 それならこの夢を楽しもうと考え、剣を持って外に出てみた。

 流石に鎧は趣味ではないうえに重かったので、全身を覆うサイズの黒い外套を羽織る。


 どうやら、この小屋は森の中に立てられたものらしい。どこか見覚えがある光景な気もするが、夢なんだからそんなものなのかもしれない。

 ポツンと建てられた小屋の他に建築物は見えず、どうやら夢の中の俺は一人暮らしをしているみたいだ。



「何もこんな場所で住まなくても……夢は自分の願望が発露する場所って聞いたことがあるが、一人の時間が欲しいとか内心では思ってたりするのかね」



 流石にこの歳で隠居したいと思ったことはないが、一人で生活していきたいと思ったことは無限にある。そう思うと、あの話もあながち眉唾ではないのかもしれない。


 夢はまだ醒める様子がないので、森の中を出歩いてみる。

 大抵、夢は夢と認識したあたりで起きるものだが、俺のが正しいのであれば少し長い夢を見てもおかしくない。というか、永遠に眠っていてもおかしくない。



「WOOOOO……」


「……へ?」



 森を歩いてしばらく、一匹の生物と遭遇した。

 赤黒い体毛に、凶悪さを覗かせる鋭利な牙。そして何より特徴的なのは、二又に分かれた尻尾だろう。

 俺は現実で見たことも無い、それどころか存在しない生物の名前を良く知っていた。



「ブラッディウルフ……」



 それは『グラドマギス・ワールド』において、多くのプレイヤーが最初に躓くモンスターの名前だ。

 狼の名に恥じない敏捷性もそうだが、コイツはHPが一定以下になると逃走を図りながら周囲の仲間を呼ぶという習性があるため、初見殺しとしてベータテスターの間で一時期話題になった。

 俺は予め情報をメンバーから聞いていたので大丈夫だったが、もし一人で初見だった場合は初デスをコイツにくれてやったかもしれない。



「WOOOO!」


「夢のくせにゲームよりリアルな質感だな……殺る気か」



 俺はそう言って、腰元の剣に手をかける。本物の剣、いや正しい意味では本物とは言い難いが……とにかく鉄製の剣を持つのは初めてのはずなのに、この剣は不思議に思うくらい手に馴染んだ。



「WAUUU!」


「お?」



 先に行動したのはブラッディウルフ、この一か月で何度も見た飛びかかり攻撃だ。

 攻撃自体は単純なものだが、受けてしまうとそのまま組み掴まれてしまい、噛みつき攻撃で継続的にHPが減少させられるため油断は禁物だ。

 『出血ブラッド』のデバフが付くとコイツの攻撃を躱すことは難しくなる。


 だが、俺の知る限りブラッディウルフの飛びかかりはもっとキレのあるはずなんだが、随分と鈍い……いや、俺が速いのか?


 グラマギでの敏捷度は基本的に相対判定だ。分かりやすく言うと、自分より速い攻撃は早送りのように見えるし、遅い攻撃はスロー再生されているかのようにプレイヤーの視覚に反映される。

 こうしないとプレイヤーの速度が上がった時に、現実の自分との差異で思うような動きができなくなるらしい。



「どうやら相当強力なアカウントでプレイしているらしいな、俺は!」


「WAUN!?」



 ゆっくりと近づいて来るブラッディウルフに対し、俺は慣れた動作で剣を抜くとそのままブラッディウルフを両断する。真っ二つに割られたブラッディウルフは一瞬血を吹き出したのち、光の粒子となって世界から消失した。


 目の前に現れる討伐を知らせるメニューログ。グロテスク表現をONにしていると一瞬だけ血が流れることも、討伐したMOBが粒子となって消え、討伐者のインベントリにドロップアイテムが入れられることも、俺が知っているグラマギの仕様そのまま。



「だが……」



 ブラッディウルフを斬った時のあの感覚。今も手に残る肉を斬る感触は、グロテスク表現をONにしていてもグラマギでは再現されていなかったはずだ。

 夢だから、という解答をすることもできるが、俺は包丁以外で生き物を斬った経験はない。


 ──本当に、ここは夢の中なのだろうか?






♢ ♢ ♢






 結論から言うと、ここは夢の中ではなかった。


 そう判断した理由は大きく二つ。

 一つはいつまで経っても醒める様子がないということ。この世界で目覚めてから既に二週間が経過したが、未だに覚醒の兆しは見られず、夢だと仮定すると再現が細か過ぎる。

 胃袋が空になれば体は空腹を訴えるし、しっかり出すものは出さなければならない。誰が一回の夢で何度も何度もトイレに行くんだ。俺は頻尿じゃない。


 もう一つに、あまりに再現された世界があまりにもリアルすぎる、ということ。

 グラマギの世界は確かに今まで生まれてきたVRMMOに比較できないほどのリアリティがあったが、それでも現実との差異は確かに存在していた。大きいところで言えば、雨で服が濡れた時の感覚がそれだ。

 他にも敵に攻撃されたときの痛みとか。一度わざとブラッディウルフの攻撃を喰らってみたが、あの牙が肌に食い込む感覚はグラマギの世界でもなかったし、俺は現実で獣に噛まれた経験はない。


 以上のことから、俺はこの場所が夢の世界ではないと判断した。

 ではここはどこだというのか。それは後で語るとして……その前にについても話さなければならない。



「ハイト・グラディウス……随分と強キャラになったもんだ」



 それは『グラドマギス・ワールド』において、ベータ版で確認された中で最強のNPCの名前だった。

 元王国第一騎士団副団長にして、【剣聖】の異名を諸外国まで轟かせる名実ともに最強と謳われた存在。純粋なステータスの総合値で言えばハイスケルトンジェネラルの方が上となるだろうが、戦っていて強いと感じるのは間違いなく【剣聖】の方だ。


 そんな最強の男が、何故山奥で隠居生活を送っているのか、というのはベータテスターの間でも少し話題になっていたことだ。年齢的にも隠居するような年齢ではないというか、設定では前世の俺と同じだったので全盛期を超えてすらいない。


 だが、その身体を手に入れた今なら分かる。ハイト・グラディウスという人間が若くして手に入れた副団長の席を捨て、この森に住み続ける理由が。



「……今日も来たか」



 小屋の外に自然ではない音が発生した俺は、剣を手に取り外套を羽織る。

 少し話が逸れてしまったが、つまり俺は最強と呼ぶにふさわしい肉体を手に入れたということだ。これがベータの時であれば、あの骨将軍も絶対勝てたんだが……いや、無理か。


 そして最後に、ここはどこか?ということ。これが物語の世界であればゲーム世界に転生した、というのが定番なのかもしれない。ストーリーの重要NPCに転生し、悲劇の筋書きをプレイ時の記憶を頼りに書き変える。うん、ありがちと言えばありがちだし、そういうのはラノベで一時期好んで読んだ記憶がある。


 俺は残念ながらベータ版しかプレイしていないので、知識無双なるものをすることができないが、それでも出来ることはあるだろう。そう思っていた。



 だがその認識は間違っていた。

 俺はハイト・グラディウスに転生した。これは正しい。

 俺はゲームの世界に転生した、これは間違っている。いや、解釈次第では正しいのだが、恐らくこう表現した方がより正確に伝わるだろう。



 



 この世界は『グラドマギス・ワールド』に似通った世界などではなく、そのものだ。

 感覚的な差異は所々に存在しているが、俺がプレイしていた、するはずだった『グラドマギス・ワールド』そのものだと断言できる。


 なぜなら、



「おい剣聖!俺と勝負しろ!」






 ────いるんだよな、向こう側の人間プレイヤーが。

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