第2話 執事見習いの正体
ヤマトを執事として迎え入れた翌朝、彼は早速アーリーモーニングティーを持って部屋にやってきた。
「おっはよー、お嬢様! 今日はいい天気ですよん。散歩でも行きますか?」
「……はぁ」
満面の笑顔の誘いに、私は深くため息をついた。
当然、使用人を新しく雇う時は、私の病状を説明しているはずなのに……。
キョトンと、ヤマトは悪びれる様子もない。
「あなた、私のこと何も聞かされていないの?」
「あっ……。ごめん」
途端に、ヤマトは申し訳なさそうに、しゅんと肩を落とした。
「いいの。気持ちは嬉しかったわ。私も、本当は太陽の下を歩いてみたいし」
「あっ、じゃ、じゃー、着替えたら食堂に……。朝食はもうできてるから」
ヤマトは、気まずそうに部屋を出ていった。
本当に、いつになったら……ね。
食堂に行くと、ヤマトが椅子を引いてくれた。そして、食事中は私の斜め後ろに待機していてくれた。一応、ちゃんと仕事を覚えてくれているのね。
「……なあ」
ヤマトが話しかけてきた。
「なに? 食事中の私語は慎んでいただきたいのだけれど」
「いつも、こんな広い所で一人で食事してるの?」
確かに、食堂は広くテーブルも無駄に大きい。10人は掛けられるテーブルだ。
「一人じゃないわよ。今日はあなたがいるしね」
「じゃなくて、みんなと一緒に食べないのかってことだよ。毎食じゃなくてもいいからさ。こんなの、寂しすぎるよ……。お嬢様は、そう思ったことないの?」
「そうね……。そう言われてみれば、寂しいかもね」
「じゃあ、みんなで一緒に食べよう! 早速、明日からでも! ……あ、俺、今から自分の分持ってくる!」
ヤマトは、笑顔で厨房の方に走って行ってしまった。
「え、あ、ちょっと……。もう食べおわっ……」
って、本当に人の話を聞かない人ね!
……まあ、食後のティータイムも悪くない、かな?
私は、少し考えて思い直し、ヤマトの食事に付き合った。
夜になった。今日は、綺麗な満月だった。
私はこんな体故に、昼間出歩くことはできないけれど、気分のいい時の夜は散歩するようにしている。
そうだ、ヤマトも誘って散歩に出てみよう。ベルでヤマトを呼ぶと、彼はすぐに来てくれた。
「お呼びですか? お嬢様」
「散歩がしたいから、付き合って」
「えっ、今から?」
「そうよ。私は夜しか外に出られないんだもの」
「あーっ、でも、ほら、今日はもう遅いし……」
ヤマトはなぜか渋い顔をした。
「今朝、私を散歩に誘ったのはどこの誰よ? ほら、行くわよ!」
私は、かまわずヤマトの手を引いて館の出口へ向かった。
「お、お嬢様ぁ〜」
館の外に出ると、心地よい風が吹いた。
久々の開放感。私は、目一杯のびをした。
先ほど窓から見えた見事な満月は、雲に隠れてしまっている。
「お嬢様ぁ……。もう、戻ろうよ」
「だめ! 今日は敷地の外に出るんだから」
「ええっ、冗談でしょ!? そんなことしたら、俺が執事長に怒られるよ!」
「ヤマトがいるから、大丈夫よ」
病や体力のこともあって、いつもは敷地内しか散歩させてもらえない。でも、今日はヤマトがいる。こんなチャンス、滅多にないわ。
私は、灯りを持って敷地外の森の方へと歩いて行った。
「ああもうっ! 待ってよ、お嬢様~」
私とヤマトは、森の中を歩いていた。いつもより奥深い場所だ。現在月は雲に隠れており、灯りを持ってきたとはいえ、足元は心許ない。
「なあ、お嬢様、これ以上はヤバいんじゃない? せめて道のある所へ……」
「来たことないのよ」
「……え?」
「昼間、普通に子供達がかくれんぼや鬼ごっこをしているこの場所に、私は来たことがなかったのよ」
「お嬢様……」
「ごめんね、無理に付き合わせて。もう、いいわ。戻りましょ……」
体力的にも、これくらいが限度だろう。私は、ヤマトに向き直った。
その時、風が吹いて満月が
木々の間から差し込んだ月の光が、私たちを明るく照らした。
「ヤマ、ト……?」
満月の光に照らされたヤマト。銀髪がキラキラと輝いて見えた。
その美しさに、私は一瞬目を奪われた。
しかし、それよりも。
ヤマトの頭に、耳が。
そして、背後には尻尾がついていた。
そう、まるで狼のような──。
「あっ、あの、こ、これはっ……!」
あわてて弁解しようと手を伸ばすヤマトを、私は……。
「かっ……かわいいーーーー!!」
「へっ?」
「ねぇねぇ、どうなってんの、これ!? ホンモノ? ニセモノ? 尻尾ふわふわ~~!!」
ヤマトの姿に興奮し、思わず耳や尻尾に触れてしまった。
「ちょ、ちょっと、ちょっと! お嬢様!!」
「なによ? ちょっとくらい、いいでしょ?」
「じゃなくて! その……怖く、ないの?」
「怖いって、ヤマトが?」
「そうだよ。だって、こんなのおかしいと思わないの?」
「そうね、言われてみれば、おかしいかも」
「がくっ」
「でも、ヤマトはヤマトでしょ? 怖いとは思わないわ」
「お嬢様……」
「で、それって本物なの?」
「ん、本物だよ」
ヤマトは、満月の光に照らされた時だけ獣人になるらしい。光が陰ると、元に戻ってしまうようだ。先ほど夜の散歩を拒んだのは、これが理由だったのかもしれない。
「さて、そろそろ戻りましょうか。この先は、行っても崖になってるし」
私はここまで来れて、そしてヤマトの獣人姿を見て満足していた。
「待って、お嬢様」
「ん?」
「せっかくだから、いいもの見せてあげるよ」
「いいもの……?」
「崖のあたりまで歩ける?」
「歩くだけなら、問題ないけど」
「よし、じゃあ行こう!」
ヤマトは、なんだか嬉しそうだった。
私たちは、崖のところまで来た。かなりの高さに、目がくらみそうになる。
「うわぁ……。話には聞いていたけど、結構高いんだね」
「そうねぇ。ここを渡るには、向こうの橋まで行かなければならないんだけど……。そこまでも、結構距離があるのよね。どうするの?」
その橋を渡って森を抜ければ街へ出るが、私は滅多に行ったことが無い。
「んー、どうしよっかなー」
ヤマトは、意味ありげに笑いながら、私の方へ近寄って来る。
「な、なに……?」
「とうっ!!」
「……っ!? えええええぇぇぇぇっっっ!!!?」
ヤマトは、一瞬にして私を抱きかかえ、満月をバックに宙をとんでいた。いわゆる、お姫様抱っこというやつだった。おそらく、傍から見ればとても幻想的な出来事なのだろう。しかし私は、突然のことに景色を見る余裕などなく、ただただヤマトにしがみついているだけだった。
そして、あっという間に崖の向こう側へ着地していた。足はフラフラ、脈拍は上がり、私は声が出ないでいた。
「はははっ、驚いた?」
「笑いごとじゃないわよ!! 死ぬかと思ったわよ!!」
「ごめんごめん。獣人になると、普段ではありえない力が出るんだ。お嬢様、きっとこっち側には来たことがないだろうと思って。獣人になれば、時間短縮でこっちまで来れるよ」
「二度とごめんだわ!!」
「ちぇっ、せっかくお嬢様に喜んでもらおうと思ったのに」
気持ちはとてもありがたいけど、もっと安全な方法が良かった。
「さて、戻ろうか。すっかり遅くなっちゃったね」
「戻るって……。まさか、またここを飛び越え……」
「だって、橋まで行ってたら夜が明けちゃうよ? ささ、お姫様」
「仕方ないわねぇ……」
ヤマトに身を委ねた時、急にヤマトの腕の力が抜け、私はしりもちをついた。
「いっ……たたたた。ちょっとヤマト、まさか私の体重が重いなんて言い出すんじゃないでしょうね?」
ヤマトの顔を見上げると、耳と尻尾がなくなっていた。
雲は先ほどよりも厚く、完全に満月を覆い隠していた。
「まずい……。曇ってきた」
「で、でも、少し待てば、また月が出てくるわよ」
「……違う。雨雲だ。急ごう、お嬢様」
時間はかかるが、橋まで行くしかなかった。
急げば夜明けまでには帰れるはずなのに、とても不安になった。
「お嬢様、大丈夫?」
「ええ、なんとか……」
ヤマトに手を引いてもらっているとはいえ、私の疲労は限界まで来ていた。
そもそも、普段はこんなに歩いたことがない。
私が、散歩で敷地の外に出るなんて言い出さなければ、ヤマトにだって迷惑かけなかったのに……。
「ごめん」
「えっ?」
「俺が、崖まで行こうなんて言い出したから、こんなことになっちゃって」
「…………」
彼も、同じことを考えていたのか。
「それは、お互い様よ。私だって、敷地の外に行こうってワガママ言ったんだから」
「ん、でも……」
「はいはい。この話はこれでおしまい。それより、疲れたわ。ちょっと休憩しましょう?」
私が木の根元に腰を下ろすと、ヤマトもそれに倣って座った。
「お嬢様、顔色が悪い」
「そう? 暗いから、そう見えるだけじゃない?」
暗くても、わかってしまうのか。
「俺、おぶって行くよ」
「…………」
私は、少し考えた。
このまま強がっていても、結局は迷惑をかけてしまうだろう。
ありがたく、好意に甘えることにした。
「ん、ありがと」
ヤマトの背に乗ろうとした時、冷たいものが頬に当たった。
「雨だ。まいったな……」
「小降りのうちに、少し進みましょう」
少しでも雨を凌ごうと、 崖沿いに森の中を進んだ。しかし、数分も経たないうちに雨は本降りになって来てしまった。
雫は避けられても、雨のせいで気温はどんどん下がっていく。
「大丈夫、お嬢様?」
「ん……」
私は、返事をするのも億劫になるほど、発熱していた。
でも、それをヤマトに悟られるわけにはいかない。
これ以上、彼に迷惑をかけるわけにはいかない……。
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