第5話 兄妹間の呼び方について
「はいっ! これから、兄妹の呼び方について会議を始めます!」
朝食を食べ終えて着替えを済ませた俺たちは、再びリビングで顔を合わせていた。
クリーム色のロングスカートと、モスグリーンの半袖のブラウス姿の雪原に対して、俺は綿パンとワゴンセールの中で見つけた部屋着用のTシャツ姿。
パジャマ姿とのギャップも相まって、俺はあまり雪原を直視できないでいた。
「まず初めに、『雪原さん』呼びはあまりにも他人行儀過ぎると思います!」
雪原はずっとそのことが引っかかっていたのか、満を持してようにそんな言葉を口にした。
そういえば、ずっと『雪原さん』と呼ぶ度に機嫌が斜めになっていた気がする。
なるほど、これは結構長い間ずっと気にしてたな。
「いや、分かって入るんだけどさ。俺としては、初めにクラスメイトとして雪原さんと会った訳だし、どうしてもその呼び方が抜けないんだよ」
確かに、雪原の意見はもっともだと思う。
血は繋がっていないけれど、家族になったのに名字+さん付けは距離間を感じると思う。
母親の明美さんのことは、『明美さん』って呼んでるわけだしな。
「私は『お兄ちゃん』って呼んでるのに、それだと全然兄妹って感じしないんだけど?」
雪原はこちらにジトっとした視線を向けながら言葉を続けた。
「妹に造詣が深いお兄ちゃんに質問です。お兄ちゃんが好きなラノベの中で、お兄ちゃんのことを『名字+さん』で呼んでる妹キャラはいましたか?」
「うっ……」
妹に造詣が深いとか初めて聞く単語だが、見事に的を射ていやがる。そして、そんな俺からしても、兄のことを『名字+さん』で呼ぶ妹キャラには出会ったことがない。
それもそのはず、妹キャラなのに自分の萌え要素を封印するヒロインなんていないからだ。
そうなると、今後は名字で雪原のことを呼ぶのは控えた方がいいのかもしれない。名字以外で呼ぶとなると、選択肢はほぼ一択になる。
「えっと……み、美優さん」
「私、お兄ちゃんよりも誕生日遅いんだけどな~」
美優は演技がかった口調と共に、悪戯をするような笑みを浮かべていた。
ちらちらとこちらを見てくる視線は、早く呼び名を変えることを急かしているようだった。
「……み、美優」
「えへへっ、よろしい。非常によろしいですっ」
ただ俺に名前を呼ばれただけ。それだけのことだというのに、美優は心の底から喜ぶように表情を緩めていた。
いや、『お兄ちゃん』と呼ばれただけで顔を緩ませている俺が指摘できることではないのかもしれないが、そんなに喜ぶことでもないだろ。
美優は俺の視線に気づくと、見つめ合っている目を細めて笑みを浮かべていた。
「お兄ちゃん」
「な、なんだい? み、美優」
「えへへっ」
……なんだこれ、兄妹って言うよりもバカップルだろ。
「いや、待ってくれ。これはさすがに恥ずかしすぎるって」
名前を呼ぶくらいならまだいいんだけど、そのあとの美優の表情を見てしまうと、こちらの体温が上げられてしまう。
こんなことを常に行っていたら、体がいらぬ勘違いをしてしまいそうで心配だ。
「そうだ、美優だって俺のことは『お兄ちゃん』か『春斗君』だろ? ていうことは、俺が呼ぶ呼び名は『お妹』か『美優ちゃん』が正しいと思うんだ」
「むむっ」
ここから反論が来るとは思わなかったのか、美優は小さく唸るとそのまましばらく考え込んだ。
そして、小首を傾げてもうしばらく悩んだあと、小さなため息を吐きながら言葉を続けた。
「『お妹』については訳分からないけど、言ってること自体は間違ってはないか……まぁ、学校とかで呼びにくいって言うなら、仕方ないか」
「そ、そうだよな。やっぱり学校でも呼びやすい名前の方がーー」
想像よりもあっさりと折れた美優の態度に少し引っ掛かりを覚え、俺は美優の言葉を瞬時にかみ砕いた。
そして、まさかという回答にたどり着くことになった。
「待ってくれ、学校でもって言ったか? 学校で俺のことを『お兄ちゃん』って呼ぶつもりじゃないよな?」
「そのつもりだけど?」
美優は当たり前のことのように、一切考えることなくそんな返答をしてきた。
驚いて言葉を失っている俺を見て、小首を傾げてしまうほど、美優にとっては当たり前のことだったらしい。
「ま、待ってくれ。それはやめておいてくれ」
「やめる? なんで?」
俺の返答を受けて、美優は訝しげなものでも見るかのように目を細めてきた。どうやら、俺の言葉の意味が本格的に分からないらしい。
美優と兄妹になったと知られたら、どうなるのか。
そりゃあ、今まで告白してきた男子どもにはからは嫉妬に狂った目で見られるだろ。そして、それ以上にクラスの男子からのやっかみも受けることになる。
多分、美優のことを一目置いている女子からも嫌われるだろうし、嫌われるなんて優しい言葉では済まなくなるかもしれない。
要するにどうなるのかというとーー
「色んな方面から殺される気がする」
「それって、どんな状況なの……」
要約して端的に言葉をまとめたはずだが、どうやらまとめすぎて意味が分からなくなってしまったみたいだった。
しかし、俺が冗談で言っているのではないことが表情に現れていたのか、美優は諦めたように深くため息を吐いた。
「わかったよ。じゃあ、家でいるときだけ『お兄ちゃん』って呼ぶから、お兄ちゃんも家では『美優』って呼んで。学校での呼び方は任せるから」
「え、それだと、俺が恥ずかしいことは変わらないのでは?」
「私が譲歩したんだから、お兄ちゃんも譲歩してよ」
美優はこちらにジトっとした目を向けた後、思いついたように悪巧みでもするかのように口元を緩めた。
「したくないって言うなら、学校でも『お兄ちゃん』って呼んであげちゃうけど」
「わ、分かった。家では……美優と呼ぶことにしよう」
「うん、そうしよう」
結局、美優の要望通り、俺はこれから美優のことを名前で呼ぶことになってしまった。
なんかいいように丸め込まれたような気もするが、最低限のラインは守れたということで良しとしようではないか。
「あっ、呼び方と言えばなんだけどさ」
そのまま話が終わろうとしたところで、美優は何か思い出したように言葉を続けた。
「『お兄ちゃん』以外の呼び方で呼ばれたいとかあるの? お兄ちゃんって、理想的な妹にはなんて呼ばれたい?」
「理想の、呼ばれ方、だと?」
多分、美優は何気なしにそんなことを言ったのだろう。
基礎妹学、応用妹学まで学んでいるこの俺が、兄の呼び方論争について何も思わないはずがない。
本来、一般人である美優に話す内容ではないかもしれないが、聞かれた以上答えなければならないだろ。
やれやれ、しょうがない。やれやれたぜ、まったく。やれやれ。
「妹が兄を呼ぶときの呼び方について、非常に興味深い議題だな」
「え、ぎ、議題?」
求められたのなら、答えなければならない。
こうして、俺は両肩をぶんぶん回しながら、次の議題に移ることにしたのだった。
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