第134話 歌上手いのはサキュ兄、歌下手なのは俺、つまり俺は歌が上手い
「はぁ。疲れた」
今は配信も休んでアイドル魅了のために練習を続けている。
「にしてもほんと、種族になった時は歌上手いよねぇ」
「耳福なり」
「歌ってる兄さんの写真〜」
アリス、ナナミ、マナと練習している。なぜなら土曜日だから。
男の状態では歌う事をマナとアリスに全力で止められ、練習のためにも不本意ながらサキュバスになっている。
音程を合わせるのは意識していなくてもできるが、他の部分は練習するしかない。
歌って難しいんだなって、真剣に向き合うと思えて来る。
歌だけじゃないんだろうな。
どんな事にもそれ相応の練習量が必要だ。世の中で活躍している人は自分の好きな事に一生懸命に努力してなったのだろう。
俺の好きな事ややりたかった事。
今は真剣に向き合えているだろうか?
『少なくとも、視聴者のためと思って全力でアイドル魅了を成功させようとしている内は、やりたかった事の配信者に向き合えているでしょうね。言い訳とも言えるけど』
一言余計だよなぁ。一瞬心がほっこりした自分を殴りたい。
この後はダンスレッスンか。⋯⋯サキュ姉はダンスで俺は歌でも良くね?
『君が努力してスキルを伸ばすからこそ価値があるのだよ。楽して得られる成果なんて高が知れている』
ご最もで。
「そうだキリヤ。ちょうど昼だしどっか食べ行こうよ」
前三人仲良く歩いていた中、アリスが俺に振り返り提案して来る。
配信を休んでまで全力で練習している、ダンジョンに行きたいと思いながらも我慢する。
ダンジョンに入ったら、この覚悟が鈍る気がして。
そのストレス解消、と言う訳では無いが安らぎが欲しいので提案に乗る事にした。
でも一言だけ言いたい。
「カラオケの中でポテトやら色々と食ってたのに入るのかよ」
「歌ったら腹は減るのよ」
練習に付き合ってはくれたが、彼女達も遊んでいたのは言うまでもない。
アリスとマナが忖度無しで上手さランキングを付けた時、サキュ兄が一位で俺が最下位と別々の評価をされた事を思い出した。
同一人物なので実質俺が一位で間違いない。俺は歌が上手いのだ。
『内心ドヤるなよ。キモイよ』
ペースを落として俺の横に立つナナミ。
「今度また、行きたい」
「楽しかったか?」
「うん。とても」
「そっか。ならまたどこかのタイミングで行こう⋯⋯練習に付き合ってくれるならすぐにその日は来るよ」
「役立つか分からないけど、私で良ければ。楽しみにしてる」
それを言い終えると再びアリス達の所に戻って行く。
『良い雰囲気だにゃあ』
「何が?」
『シャラップ! 雰囲気が壊れる』
酷い。
◆
「はぁはぁ」
魔法で作られた人形に向かって剣技を繰り出すユリ。
もう何百と斬り捨てた魔法の人形を一瞥して、新たな人形を出そうとしていた。
レイが用意した魔法人形はそれを封じ込めた石を壊せば出て来る。
訓練の相手用にレイが作ったのである。
震える手に力を込める。
「そろそろ休みなさい」
「⋯⋯まだやれます」
レイの忠告に対して横目で軽く見て返した。
構うな、喋りかけるな、言葉では絶対に出さないがそう思っているのは確かだろう。
それでもレイは引く事は無い。
「止めなさい」
ユリが壊そうとした石に魔法を使って守る。石を壊さなければ人形は出ない。
「どう言うつもりですか」
「休めと言っているわ」
「レイ様に返しきれない恩義は感じております。ですが、修行の邪魔はしないで頂きたい」
「これは年長者のアドバイスよ」
ユリの鋭い睨みにも一切怯まない。それどころか歩み寄る。
優雅に歩み寄る姿は威嚇する子犬に擦り寄る聖母のようである。
「ユリちゃん、無理をし続けたらすぐにダメになるわ」
「そんなヘマはしません」
「するわ。絶対に。無茶に慣れるのは危険な事よ。まだ行ける、まだやれると思って引き際を間違えるの。そうなったら最後、待っているのは死よ」
「そんな事はありません。私は死なないために強く成りたい。だから一秒でも長く修行しないとダメなんです」
レイがなんと言おうとも聞き入れるつもりがないらしい。
コレがキリヤの言葉だったなら、どうだっただろうか。
レイには軽くしか想像できない。
「ユリちゃん聞いて」
「聞いてます」
「ワタクシの過去にもアナタのような人が仲間にいたわ。自分よりも強い想い人に追いつきたくて身の丈に合わない努力を積み重ねた。血反吐を吐こうとも手を止めなかった大バカ野郎がね」
その目はどこか遠くを見ているようでユリを見ていた。
「その人は結局、生死を決める戦闘で死んだ。日頃の訓練のせいで常に身体はボロボロ。体力は回復している、身体の疲れは取れている、と勘違いしていたのよ」
蓄積されていく疲労に慣れてしまったら、回復していると誤認してしまう。
戦闘でのパフォーマンスは落ちるし、重要な場面で足を引っ張る。
「強くなるための訓練が負けるための導線だったのよ。その時に気づいたのはきっと、死の直前だったでしょうね。ワタクシにもその責任がある。止められなかったから。だからユリちゃん、同じ誤ちはさせないわよ」
「そうですか。でも私は大丈夫ですので」
レイが自分の内を明かしてもなお、ユリの瞳に光が戻る事は無かった。
ユリの向かう先は違う次元の強さ。そのためには足は止められない。
血を吐こうとも、身を削ろうとも、動かさなければならない。
魔力を持たぬ身で上に行くために。
「キリヤくんは常に万全の状態を維持するために生活習慣を正しく決めているの。それができないようでは、一生追いつけないわよ」
それはレイが使いたくなかった手札。
ユリが慕い憧れる強さにある存在を引き合いに出す。その名にはユリも足を止める。
「今の状況を冷静に分析しなさい」
身体は洗って無いのか、髪の毛はギトギトで肌も荒々しく汚れている。
怪我もしているが治している、再生している気配が無い。
使用している刀も刃こぼれが酷い。キリヤのくれた愛刀を常に使っている。
武器のメンテもしておらず、自分の体調にも目を向けない。
「ワタクシが一度だけ模擬戦してあげるわ。それで今日は休みなさい」
「⋯⋯はい」
ユリが刀を構え、レイに向かって加速する。
何十回と闘った相手にユリは迷いなく、殺す勢いで首に刃を突き立てる。
それを二本の指で挟むように捕まえるレイ。
「なっ」
目を見開いて驚くユリ。万全のユリならばレイもこんな方法は取れなかった。
「ごめんなさいね。こうでもしないと、隠れて修行しそうだったから」
ユリの溝内に強烈な拳がねじ込まれる。
「かはっ」
その一撃は意識を刈り取るには十分だった。
「世話が焼けるわね」
数時間後、ユリが起きるとローズがご飯の準備をしていた。
「ユリ様、おはようございます」
「おはよう」
ユリの部屋にはキリヤから貰った侵略者のドラゴンの魔石が置いてある。
綺麗になった身体を見て、風呂に入れられたのだと理解する。
「ねぇローズ」
「はい」
「⋯⋯私も吸血鬼になれば、魔力が手に入るかな」
「その考えは危険でございます。自分がこの力に適応したからと言って、ユリ様が可能とも限りません」
「そう、よね」
悔しさから、毛布を無意識にぐしゃりと握りしめる。
「ねぇローズ、私は弱いと思う?」
「はい」
仲間達からしたらユリは強い。ローズやアイリスよりも。
しかし、無心で努力をしているが本当は辛くて泣きたくてしかたない事をローズは分かっている。
「私は、バカだと思う?」
「はい」
無理やり止めらるまでガムシャラに修行して、身体を痛めつけるのはバカのする事だ。
自分よりも強く本気で向き合ってくれる人のアドバイスは聞き入れるべきだろう。強くなる秘訣でもある。
「愚かだと、思う? 辿り着けない領域に踏み込んだご主人様を追いかけて、ただ前に無理に進み続ける私を」
ユリの潤んだ瞳とローズの禍々しい瞳が交差する。
ローズは一泊おいて、答える。
「いいえ。どんな理由、方法、結果だろうと努力を重ねる人を愚かだとは思いません」
「そっか」
「自分達は仲間です。主人に魅入られた存在達です。一蓮托生、とは行きませんか?」
ローズがユリの手を優しく包み込む。
反対の手を首に回して、ユリの顔を自分の心臓に近づける。
「ユリ様の歩む道をどうか、我々も共に歩ませてください。必ずや我らで主人の横に立ちましょう」
「ローズ⋯⋯」
「今はまだ難しいかもしれませんが、必ずや我らの力を頼ってください。一人で背負い込み過ぎるのは、主人もユリ様も一緒でございますね」
◆あとがき◆
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