光の無い世界と音の無い世界(仮)

かごのぼっち

第1話 光を失った男

 うん、何かが足にまとわりついている。



「ああ……うぅ、……え、えぇ……」



 分かっている。


 これは人間だろう。


 それも子供だ。


 臭い。


 対象は糞尿にまみれてる匂いだ。


 鼻につく。


 少し鉄臭い。


 血便か、血尿か、普通に怪我をしているのか、血の匂いだ。


 髪の毛はバサバサで脂気がない。 


 栄養が足りていないし、洗ってないのだろう。


 とにかく汚い事は分かる。


 そして肩口に触れてみると、骨を触っているのかと思うほど、痩せこけている。



ーー俺は目が見えないーー



 のだが、訳ではない。


 ぼんやりと、人をかたどった様な淡い光をる事が出来る。


 今、この足にまとわりついている対象の場合、子供くらいの大きさで、物凄くクリアなので視えにくいのだが、薄い青紫に視える。


 とにかく、大抵の生き物は光として視えている。


「あ、ぅ…、え、ぇ…」


 あ、う、え、え、耳はしっかりと聞こえている訳だが、何を言っているのか分からない。


 ズボンを握る手は力はないが、精一杯握っているのだろう。 


 可哀想に、プルプルと震えている。


ーー迷子だろうかーー


 などとも一瞬考えたが、既に答えは出ていた。



「おい、そのガキは俺の商品だ。 こっちに寄越しな! ……おい、どこ見てやがる?……テメェ、目ぇ見えてねぇな?」


「それがどうした? 商品だって? 人の子だと思うのだが、商品だと言うのか?」


「そうだ。 ソレは商品として売りに出す為に仕入れて来たばかりの代物だ!」


「人身売買は何十年も前に法律で禁じられた筈だが?」


「はん! このミドガルズエンドで法律そんなものが通るかよ!」



 ミドガルズエンドと呼ばれるこの街は確かに、法律なんて有っても無いに等しいのだ。


 とくにここら辺は貧困窟スラムと呼ばれていて、人はゴミのように扱われている。


 まあ、そんな事は分かっていた事だが、俺は人身売買こう言った事が大嫌いなんだ。


 スラム街こんなところで育って、例え大きくなったとしても、夢も希望もない。


 男は裏社会へ、女は夜の街へ、と言うお決まりコースしか見えて来ない。


 眼の前の男だって、この子と同じ様な人生を歩んで来たのかも知れないのに……どうしてこんなに粗末に扱う事が出来るのか……。


 ここで生きると言う事は、綺麗事では済まないのは理解しているつもりだが。


 しかし。



ーー俺は許せないーー



 この街でこう言った悪党に楯突いて、普通生き残るなんて事はない。


 まして俺みたいな目が見えない者は試し斬りにされるくらいだ。



 ギン! ギャリギャリ……



 業を煮やして斬りかかって来た男の剣を、使い古された小さなナイフで受ける。


 さすがに容赦ないな、聞く耳もないようだ。


 しかし、この手の男は……。



「そうムキになるな。 タダでいただこうと言っている訳ではない。 いったいこの子はいくらなんだ?」


「……見えてやがるのか? まあ、関係ねえな。

 お前、金なんか持ってんのかよ!?」


「良いからいくらか言え」


「ちっ。 こいつは上玉なんだ。 百万プスだ。 一プスもまけんぞ!?」


「そうか……」



 この手の男は金に汚い。 足元もしっかりとみて来る。


 それに、こんな子供を引き取ったとて、養える訳ではない。 ましてや俺は、目が見えないのだから。


 でもまあ、ちょうどこんな世界を、生きるのに疲れて来たところだ。


 逝く前にひとつくらい、人の為になる事をしても良いと思えた。



 ジャラリ。



「これで足りるだろう」



 俺は懐から大きな石の付いたペンダントを取り出した。



「……見せてみろ!」


「駄目だ。 売るのか売らないのか決めろ。 別に売らなくてもコチラは構わないからな。 そこでこの子の値踏みをしてみろよ」


「………………」


「要らないなら連れて行け。 これ以上お前に関わるつもりはないし、それがこの子の運命だったと言うだけの事だ」



 男は悩む。


 俺の足を掴む手の力が少し強くなった。


 息遣いも少し荒い。


 体温も上がっているようだ。


ーー緊張しているのだろうーー


 まあ、心配しなくてもこの男の答えはひとつだ。



「そのペンダントを寄越しな。 こいつはくれてやる。 煮るなり焼くなり好きにしろよ」


「ああ、そうさせてもらおう」



 ジャッ!


 男は俺の手からペンダントを奪うように取り上げると、舌打ちをして立ち去って行った。


 の価値が男に判るのか知らんが、売れば一生は暮らせる筈だ。


 生命いのちの価値なんてものは、普通そんなもんだろう。



「さあ、手縄は外れた。

 どこへでも好きな所へ行け。 俺は疲れた」


「………………」


「おい」


「………………」



 足を掴む手の力はそのままだ。


 まだ緊張もしている。


 行きたくないと言っているのか?



「しかし、俺はお前を養う事は出来ないんだ。 今、全財産も無くなったしな……ついてきてもどうにもなんねぇよ」


「………………」



 ……やべえな。 これ、どうすんだ?



「うえぇっえ、うぁ、あい!」


「ん? 何言ってるかも分かんねぇし……おい、言葉は解るのか?」


「………………」


「まさか、耳が聞こえねぇのか?」


「………………」



 光の紫がかった青みが増していく。


 俺の経験上、寒色は負の感情、暖色は正の感情だと感じている。 また、感情がたかぶると色が濃くなっていく。


 つまりこの子は、負の感情が強くなっているのだ。


ーーとは言ってもな……ーー



「なあ、聞こえているなら、何でも良いから声を出してくれ」


「………………」


「やはり、耳が……そうか、分かった」



 頭を軽く撫でてやる。 バサバサでゴワゴワして毛玉まで……おや?


 頭に大きな毛玉の様な……いや、耳か? 耳なのか? 左右に二つ、やはり耳だ。 つまり、獣人族か。


 人攫ひとさらいにも理由わけだな。


 放って置いたら、また同じ事になるのは目に見えている。


 かと言って誰かに預ける宛もない。


ーー捨て猫拾ったみてぇな気分だなーー



 俺は子供の頭をグシャグシャと撫でてやると、次第に光の色が薄くなってきて、暖色に変化していった。


 俺の腰くらいの身長か……ふん、やはりまだガキだな……まあ、仕方ねぇか。



 子供を抱き上げると、子供の服に染み付いた匂いが俺の鼻を突く。



「うっ……こりゃあ、俺も洗わなきゃなんねぇな……」


「おぇ、んぁ、あい…………」


「すまんな、何を言ってるか分からん」



 ひとまず川で洗うしかないか……少し寒いだろうが、このままでは街にも行けやしない。



 街外れの石畳の街道を少し進み、橋に差し掛かったところで川沿いをしばらく川上へと進む。

 道なき道を行くので次第に足元は険しくなるが、杖で足元を探りながらグングンと進んで行く。

 ガキは暴れる事もなく大人しくしている。



 ドドドドドドドド……


 しばらく進むと大量の水が落ちる音が聞こえて来た。 

 目的地は眼の前だ。


 そう、川の上流には滝壺があり、その周辺が沢になっている場所がある。

 人知れず水浴びするには格好の場所だと言えるだろう。



「さあ、着いたぞ。 と言ったところで聞こえんか……」


「……いぅ、あぃ?」


「相変わらず何を言っているのか、さっぱり分からんな……」


「………………」


「まあ、良い。 さっさと脱げ!!」



 俺はガキの着ていた貫頭衣かんとういらしき襤褸布ぼろぬのを引っ剥がすと、ガキを滝壺の方に放り投げた。



「え!? あァアぁ!!」



 ザボン!



「さあ、しっかりと洗うからな! 今そっちに行く!」



 俺も裸になって滝壺へと進んで行く。



「ア! エぇ!? あぁ、あえ! ぃあ、ぁえ!!」


「なんだ、けっこう元気だな。 少し安心したぞ」



 ザバザバとガキの居る光の方へ歩いて行く。



「さあ、逃げるなよ? 容赦なく洗うから覚悟しておけよ?」


「あ、あ! あえ! っ!?」



 ザボン!


 俺はもう一度ガキを頭まで水に浸けて、ひっぱり上げるとゴワゴワの頭髪をワシワシと洗い始めた。


 ガキはジタバタ足掻くが、俺が許さない。


ーーめちゃくちゃ臭かったからな!ーー


 ケモミミも耳穴までしっかりと洗う。 耳垢とか溜まってんだろうなぁ、見えんが。


 細い肢体も俺のタオルでワシワシ洗っていく。 骨ばっていて華奢ではあるが、部分的に多少の肉付きがあって柔らかい。


 長いモシャモシャしたこれは……尻尾か? これも洗っておかないと、ケツが汚いからな!


 さて、一番汚いであろう股間を……。


 股間を……?


 これは……。



「ーーっ!! ーーっ!!」



 俺はガキをもう一度放り投げた。



「すまん!!」



 俺はすかさず、両手を合わせて頭を下げた!



ーーと思っていたが無かった!!ーー



「………………」



 わーわーと騒いでいたは無言になった。


 まあ、俺の所為なのだが。


 この時の彼女の色は、めちゃくちゃ濃いピンク色だった。


 初めて見る色だが、負の感情ではない……よな?


 しかし、恥ずかしい。


 いや、彼女の方がずっと恥ずかしかった筈だ。


 しかし、全面的に俺が悪いが、不可抗力と言うものだろう? そうだろ?



 パシャパシャと音がする。


 彼女が自分で身体を洗っているのだろう。


 沢の方へザバザバと移動する音。


 そして、ジャバジャバと自分の服を洗う音。


 ……そんなにガキ扱いする事もなかったのだな。


 俺が悪かった。



 俺も自分の身体を洗うと、彼女と同じ様に衣服や下着も洗った。


 早く火を起こさないと、彼女の小さな身体では、すぐにも体温が奪われてしまう。


 俺は彼女の目の毒にならないように、濡れたままの下着だけ履いた。


 ……気持ち悪い。


 少し薪を集めて組み上げると、小枝と枯れ葉を着火点にして火を起こした。

 目が見えなくても、傭兵時代の経験を身体で覚えているからお手のものだ。


 俺の服と、濡れたまま着ようとする彼女の服を強引に奪い取って、棒に通して干した。


 目は見えないのだから、構わんだろう?


 しかし、彼女は俺から距離をとっている。


 俺が悪いのかも知れんが、身体が冷えて風邪でも引かれたら困るのだが……。



「聞こえんかも知れんが、側に来ないか? 風邪を引いてしまうだろう?」



 彼女の心は今、非常に凪いでいる。


 ほぼ透明の黄緑色だろうか。



ーーこのまま心を開いてくれなければお別れだなーー



 そう思った矢先、彼女が足早に近付いて来た。


 しかも、何故かベッタリだ!


 え? 一体何? どう言う心境の変化?


 まあ、身体を寄せ合った方が暖は取れるのだが……。


 近い!


 てか、本当にベッタリだ!


 しっとりとした彼女の柔肌が、俺の背中にピッタリとくっついてる。


 申し分程度の彼女の起伏は、無駄に背中になまめかしく感じられて……ダメだ!


 考えるな、俺!


 ……考えるな、俺!!



「………………」


「………………」



 沈黙の時間が過ぎてゆく……。


 ……長いな。


 とりあえず真っ先に乾いた、俺の肌着を彼女に着させたが、ブカブカなのは勘弁してくれ。


 ……なんだ? 服を着せてやったのにしがみついて来る。


 やはり、ガキなんだろう。 きっと寂しいに違いないのだから。


 俺は背中にしがみついている彼女を膝の上に乗せて、彼女の冷えた背中を暖めてやる。


 何をやってるんだ、俺は。


 俺の膝の上の彼女は、濃い橙色をしていた。


 嗚呼……人の体温て……。


ーー温かいなーー


「あぁあ、いぇ……」


「すまんな。 何を言っているのか、本当に分からん」



 ……ん? あ、あ、あ、い、え……あたたかいね?



ーーこいつ!?ーー

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