天ツ水の巫女

yukiha

第1話 再会


 ──ずっと一緒にいてあげる。


 そう約束をしたのは、狭霧さぎりが六つになったばかりの頃だった。


 己の立場も。

 氏族の役割も。

 何も知らないままに交わした幼いちぎり。

 

 だけど狭霧はそれを絶対に破らないと強く強く心に決めた。

 

 夜空に浮かぶ満月のような美しい金の瞳をした男の子が、息を呑んだように狭霧を見つめていた。

 

 ──でも……。

 

 答える声がかすかに震えていた。不安になったのはきっと、今まで病の一つもしなかった母様が三日三晩寝込んでしまっているからかもしれない。

 狭霧が今日は一緒に寝よう、と同じ布団に潜り込むと、怖いんだ、と脅えたようにそっと打ち明けてくれた。いつかまた一人に戻るんだって思うと怖いんだ、と。


 真っ暗な夜道を照らす月のような、優しいあの子。

 

 白夜びゃくや


 美しいからこそ瞳に浮かぶ悲しみは一層際立って、龍神様に誓ってこの子を守るのだと決めて狭霧はその手を握った。

 

 ──大丈夫。狭霧がずっと、一緒にいてあげる。

 

 だから大丈夫。

 

 そう繰り返して、母様がしてくれたように、あの子の濡れ羽のような黒い髪を手櫛で梳く。何度も何度も。

 

 白夜は震える声でうん、と答えた。

 あれはもう、十年も前のことだ。だけど狭霧はずっと忘れなかった。交わした約束を、忘れなかった。


 それなのに──。


 

「何者だ」



 研ぎ澄まされた誰何すいかの声が思い出したように狭霧の耳に届いた。 


 今目の前にいる青年は、あの子と同じ、だけどあの頃とは決定的に違う冷たい金色の瞳を狭霧に向けていた。 

 突きつけられた刀の切先は一寸のブレも無く、ピタリと狭霧の鼻先で静止している。

 

 白磁の石が敷き詰められた美しい路。当然だ。ここは龍帝の座す龍宮の一部なのだから。

 そんな神聖な場所にみっともなく膝をついて、呆然と十六歳の狭霧は目の前の青年を見上げていた。

 

 何事かと見ている舎人とねり達の視線も、今目の前に刀を突きつけられていることも全てどうでも良かった。

 倒れた瞬間に解けたのか、まとめていた髪が背中に落ちている。狭霧の髪色は日に焼けたような茶色で、白夜のような黒髪が良かったとよく文句を言っていた。狭霧はそのままが似合うと思うけど、と言ってくれたのは間違いなく目の前の青年と同一人物のはずだ。


 どうして、という言葉が喉元まで込み上げる。

 

 ここまで来たのに。

 貴方に会いに来たのに。

 

 そう零れになるのを、冷たい月の瞳が遮る。


「龍士長」


 呆然とする狭霧に代わって、狭霧に付いていた<おおかみ>の少年が狭霧を庇うように膝をついて口を開く。


「この者は御津地みづちの巫女です。神事の為に今朝昇宮しょうぐうしたばかりで、まだ右も左も分からぬのです。どうか寛大な処置を」


 隣に控えていた少年がひざまずいて頭を垂れる。神事という言葉を聞いて、一瞬青年の瞳に苦い色が過ぎった気がした。

 

 だけどそれも一瞬だ。

 すぐに無表情に戻ると、青年は鼻先に突きつけられた刀を下ろした。 

 流れるような動きでその刃を鞘に収めると、氷のような瞳が座り込んだ狭霧を見下ろす。


「私はお前のことなど知らぬ」


 短く吐き捨てる。


「二度と間違えるな」


 それが、幼い頃共に育った狭霧と白夜の、五年ぶりの再会だった。



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