無価値の英雄
ハヤシダノリカズ
ジュラとマデオ
その樹が己の意識に気が付いたのは、彼がその根を大地に刺し入れ、芽吹いたその葉が空を仰いだ日からおよそ二千年の時を経た頃だった。二千年その場に在り続けた彼は、太陽の光を浴びる事で反応する自身の表面の端々の葉の活動を、風が起こす枝葉の振動を、大地に広がる根が吸い上げる水と栄養の巡りを、意識の無と有の狭間を漂いながら覚えた。『いつのまにか我はあった』彼は自我の起こりを後にそう表現する。
彼が生まれて三千年も経った頃、彼の意識に語り掛けてくる存在に気が付いた。森を生きる獣の類や周りの草木が彼に語り掛けてくる事などなかったから、彼は驚き、そして、喜んだ。
『さて、そろそろ力も溜まった事だし、起きるとするかな。って、オイ!なんだなんだなんだ、オイラが眠りについた時にはこんなもの無かったぞ!』
樹は自身の内とも外とも思えない所から突然発せられたその意識に話しかけてみようと試みた。
『オマエはなんだ?』と、樹は語り掛けた。
『うわっ、なんだ、誰だ! オマエこそ誰だよ!どこからオイラに話しかけてやがる!』
『我は……、我はなんだ? 我は我であるとしか言えぬ。我ではない者とのやり取りも今が初めてなり。オマエへの答えを我は持ち得ぬ』
『なんだよ、それ。まぁいいや。オイラはマデオ。マデオって呼ばれてた。よろしくな!』
樹とマデオはそれから長く語り合った。樹はマデオから学び、マデオから学んだその知識を以って樹は自分が知り得る世界をマデオに伝えた。
『ふーん、なるほどね。オイラが眠りについた時には森なんてなかったし、寝ている間に地殻変動なんかで転がされたのか、もしくはずっと同じ場所にいたのに、森が出来たのか。それは分からんが。とにかく。とんでもなくバカでかい木のオマエにのしかかられてるって事は分かった。おかげでオイラは身動きが取れないって訳だ』
『そうなのか。それはすまぬ。どうすればいい?』
『どう、ったってなー。オマエがこんな風に話ができるヤツじゃなかったら、溜まったオイラの力で吹き飛ばして出るだけなんだがな』
『そうか。別に構わぬ。吹き飛ばせばいい』
『そうはいくかよ。いいか。意思とか意識とか命ってのは尊いものなんだよ。オイラはむやみにそれらを奪いたくないし、そもそもオマエの事が好きになってきてるんだ。……あぁ、オマエ呼ばわりもなんか違うな。よし、名前を付けてやる。んー、そうだな。オマエは今日からジュラ。ジュラな』
『ジュラ……』
『なんだよ、気に入らないか?』
『いい名だ。ありがとう。ジュラ、ジュラか。フフフ』
ジュラは多くの知識と共に感情を徐々に得つつあった。そびえ立つだけの樹一本では得られなかったであろうものを彼は獲得している。
『なぁ、ジュラ。ジュラは何かしたい事ないか?』
『あぁ、我は世界を知りたい。マデオに教えてもらった事を僅かでも体感してみたい』
『おぉ!マジか!それはいい!それ、しようぜ!』
『しよう、ってどうやって?』
『ジュラ、オマエの根はどれくらいの大地を掴んでる?』
『そうだな。我の身体の地表に出ている部分と地中に広がる部分の広がりはおよそ似通ってはいるが、地中に広がっている部分の方が少し大きいか』
『……そうだよな。ジュラにとっては長さとか距離の基準が自分だもんな。長さの単位の共有のしようもない。しょうがないか、おおよそでやってみるか。ジュラ、ちょっとオイラとオマエの身体を一瞬だけ同期させるぞ』
マデオがそう言うやいなや、大きな意思と力がジュラの根を駆け巡る。
『よし、だいたい分かった。それじゃやってみる』そう言ったマデオから力の奔流がジュラの根の隅々まで行き渡る。
風が凪ぎ、大地が震えている。森に住む生物は駆けずり回る。森の震動の中心にはジュラ。そして、ジュラ自身も大きく震えている。
『何をしようというのだ、マデオ』
『ん、何って、飛ぶのさ。世界を見に行こう』
二つの意識がそう会話したその直後、ジュラはふわりと宙に浮いた。ジュラの根が掴んでいる土や岩盤ごと、巨大な樹であるジュラは空へ向かって動き始めた。森の真ん中に広大で深い窪みを後に残して。
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