第41話ヤンキー魂


「和華ちゃん、大丈夫?」


 気づくと車は止まっていて、康兄ぃが心配そうにあたしを見ていた。藤本先輩も後部座席から身を乗り出している。


「あれ、まだ車の中?」

「おう、まだ5分も走ってないからな」


「あたし、どうかしてまして?」

「『あっ』って言ったきり、意識がなくなってたぞ。ジュリエット、具合悪いのか?」


「そうだった! ううん、具合は悪くない。それにあたしは和華の方だよ」

「そうなのか?!」


 てっきりまた向こうの世界に戻ってしまうと思ったあの瞬間。あたしがまだここに居るって事は・・。


『ジュリエット、いる?』


 やっぱりジュリエットの返事は無い。少し時間を置いてからまた話しかけたが、ジュリエットはもうあたしの中にはいないみたいだ。



 その日、舞台の稽古が終わって帰宅したあたしは、康兄ぃにジュリエットがいなくなった事を話した。


「じゃあ橘先生に白紙の本を見せた事が効いたのか?!」

「タイミング的にそうだわよね?」


「作者の気がかりだった事が解消されたからだな、きっと。自分の描きたかった『月の女神に愛された少女』の世界が、あの本の中にはあると知って満足できたのかもな」


「きっと康兄ぃの言う通りでございますわ。早く本に新しい物語が書き込まれないかなぁ。ジュリエットがどうしてるか気になるんですわ。ちゃんと向こうに帰れたよね‥」


「お、お前さ・・。喋り方、おかしくね?」

「そうですかしら? 向こうでの話し方から元に戻そうと思ってるんだですが、稽古ではジュリエットをやるし、こんがらがってまして」


「ふぅ~ん。まあ‥いいけどよ。そのうち治るだろ」



 それから学園祭までの間、あたしは必死になってセリフを覚え、稽古に励んだ。演技が初めてなら、舞台に立つ事も初めてで分からないことだらけの中、月日はあっという間に流れていった。


 異世界から戻ってほんの1か月ほどなのに、もう何年も前の事のように感じ始めていたある日、小説に新しい物語が書き込まれているのにあたしは気付いた。


「出てる!」


 学食の向かいの席でエクレアに噛り付いたエッコが「えっ、クリームこぼれてる?」と言いながらテーブルに目を落とした。


「あ、ううん。そっちは出てないですわ。あたし、藤本先輩を探さなくちゃ」

「座ってなよ、大丈夫だって。もうすぐ先輩もお昼をしに来るよ。最近毎日、和華と一緒に食べてるじゃん」


 そうだった。お互い、舞台の稽古があるから毎日大学に来ていた。先輩はあたしを見かけると必ず同じ席に座って昼食を取っていた。


「先輩はさ何事にも真剣に取り組む人だから、舞台の相手役であるあたしと普段から親しくしようとしてくれてるんだと思うのですわ」


「なんか和華、喋り方がぐちゃぐちゃになってるけど‥ま、それはいいとして、藤本先輩は・・」


 エッコが何か言いかけた時、当の本人が学食の入り口に現れた。キョロキョロしてあたしを見つけると、小さく手を挙げてほほ笑んだ。


「ほーら、私の言った通りじゃない。じゃ、お邪魔虫は早々に退散しますね~」


 藤本先輩と入れ替わりに、エッコは意味深な目配せをあたしにくれて食堂を出て行った。先輩が席に着くなりあたしはすぐに本の話を始めた。


「続きが書き込まれてたの。これ!」

「あっ、ほんとだ! ね、俺が食べてる間、和華ちゃんが朗読してくれない?」


 先輩もジュリエットがどうなったか早く知りたいらしい。かなり恥ずかしいけど、先輩の為だからここは一肌脱いじゃおう。


「・・・・そうしてライオネルの求婚を受け入れたジュリエットは、徐々に本来の自分らしさを取り戻していった。リンと協力しながら薬草園の事業を進め・・・・」


 朗読の途中で藤本先輩の昼食が終わると、あたし達は外で続きを読む事にした。秋が深まり木々はもう紅葉の兆しを見せていたが、今時間は外でもまだ暖かだった。


「あっちのベンチに行こうか」


 そう先輩が向けた視線の先には、大きな樫の木に半分隠れるようにして木造のベンチが一つ置いてあった。そこに並んで腰かけ、続きのページをめくる。


 新しく書き込まれたお話には、ライオネルが自分の気持ちを打ち明けて、ジュリエットがそれを受け入れ婚約したこと、リンとゴードンの華やかな結婚式の様子、薬草園の事業の成功などが記されていた。


 締めくくりはジュリエットとライオネルの仲睦まじい描写で、ジュリエットもライオネルに惹かれつつある事が示唆されて終わっていた。


「ジュリエットがライオネルとうまく行ったみたいで一安心だね。それにしても和華ちゃん、朗読もすごく上手になったね」

「毎日の特訓の成果ですかな?」


「うん、間違いないね。ところで和華ちゃん、俺さ、言っておきたい事があるんだ」


 これまでは楽しそうにしていた先輩が、急に固い表情になった。何か・・いやな予感がする。


「はい。な、なんでしょうか?」

「実は俺さ、ファーストキスってまだなんだよね」


「ええっ、モテモテの王子と呼ばれてる先輩がでございますか?!」

「いや、そんなモテたりしてないよ。それで・・ファーストキスはずっと好きだった相手とって決めてたんだ」


 ああ、分かってしまったわ。ロミオとジュリエットの舞台ではキスシーンがある。だから先輩はあたしにキスするをして欲しいんだ。そっか、先輩にはずっと思ってる人がいたんだ。ヤンキーなあたしなんて最初からお呼びじゃなかったんだ。


 先輩は高嶺の花だと分かっていたのに、こう面と向かってはっきり言われると、胸が締め付けられるみたいに苦しくなる。涙が出そうになってきたけど、ここで泣いちゃヤンキーと言われたあたしの名が廃りますわ! 大丈夫よ、先輩。間違っても唇が触れたりしないように気を付けるから!


「わかりました! 先輩、心配しないで下さいですわ! あたし、絶対に気を付けますから」


 涙が溢れそうになるのをグッと堪え、胸を張った。下を向いちゃだめだ。涙が零れてしまう・・。


「えっ、分かったの? でも何に気を付けるの?」

「先輩は舞台の上で、ファーストキスをあたし相手にするのは嫌なんですよね?」


 先輩は困惑している。あたしがこんなに気が利く人間だと思っていなかったのね。


「うん・・ファーストキスが舞台の上でっていうのはね。ちゃんとお付き合いの承諾を貰ってからって思ってたんだ。じゃあOKしてくれるんだね?」


「先輩がきちんとした人だって、あたしも良く分かってます。もちろんOKです」

「やったっ! 断られたらどうしようかと思ってたんだ」


 子供みたいに無邪気に喜ぶ先輩の声が聞こえてくる。悲しいけど、そんなに喜んで貰えるならOKした甲斐があるってものよね。


「和華ちゃん、こっち向いて。顔を見せて」


 言われた通り、あたしは先輩を見た。あたしは今どんな顔をしているんだろう。ここで傷ついた顔なんかしちゃだめだ。しっかり先輩の目を見て、平気な振りをしなきゃ。


「わ、和華ちゃん、恥ずかしいから目をつぶってくれる?」


 なんだろ、先輩ってば喜んでる顔をあたしに見られるのが恥ずかしいのかな? もういいや、ここまで来たら何でも言う事を聞いてあげようじゃないの!


 


 




 


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