第39話再び作者の元へ


 康兄ぃが藤本先輩に連絡してから30分もしない内に、家のインターフォンが鳴った。智兄ぃが玄関に出たらしく、大きな声で藤本先輩の来訪を告げた。


「おーい、彼氏が来たぞ」


 ばっ、バカじゃないの智兄ぃは! 藤本先輩が彼氏な訳ないじゃない。でも先輩は慣れた様子であたしの部屋に直行してきた。


「こんばんわ。和華ちゃん帰って来たの? 新月じゃないのに?!」


 部屋に入って来るなり先輩はそう言ったが、中身があたしなのかジュリエットなのか推し量る様にこちらを見ている。


「先輩、今は和華が表にいます~」

「和華ちゃん! 良かったよ本当に。もう二度と会えないんじゃないかと思ったよ」


 先輩は少し息を切らしている。あたしに近づこうとした時、立ちはだかる形で康兄ぃが立ち上がった。


「今にも抱きつきそうな勢いだな」

「えっ。な、そ、そんな事ないよ」


 慌てて向きを変えた先輩はデスクの前の椅子に腰かけた。


「今ね、ジュリエットから説明を受けてたところ。心配かけてごめんなさい」

「とにかく投獄は免れて良かった。周囲のジュリエットへの見方も今回の裁判で劇的に変化するだろうし、万事丸く収まったね」


「だけどジュリエットはまだ向こうに帰れてないんだろ?」

「だね。あたしも突然、戻って来たし」


「残る課題は・・ライオネルとジュリエット、二人の関係の行方だけか」


 デスクの上の白紙の本を手に取っていた先輩が言った。


「そこはジュリエット自身に決めてほしいなってあたしは思ってる。作者の橘さんが望むように、あたしが勝手にライオネルとの婚約を進める事も出来るけど、あたしはそうしたくない」


『和華・・』

『お話の中でライオネルはジュリエットに思いを寄せてるって設定だけど、ジュリエットはまだちゃんとライオネルと向き合ってないでしょ? 直にライオネルの気持ちを聞いた上で、自分はどうしたいか決めたいよね?』


 あたしはジュリエットに語り掛けた。ジュリエットが自分の世界に戻った時に、勝手にライオネルとの婚約が決まっていたら嫌だと思ったし。


「ライオネルはジュリエットの中身があたしだって知っちゃってる。だから作者の思い通りにするために、あたしが婚約OKの返事をしても、ライオネルは嬉しくもなんともないと思うんだ。それはジュリエットも同じだと思う」


「今回は半月じゃないのに戻って来たし、もう少し様子を見てみるのがいいんじゃねえか?」

「そうだね。じゃ俺は帰るよ。岸田君、知らせてくれてありがとう」


 藤本先輩が帰ると、康兄ぃも自分の部屋に戻って行った。


『和華、わたくしの気持ちを一番に考えてくれて感謝していますわ』

『うん・・まあ、自分だったら勝手に決められるのは嫌だなって思っただけだし』


『和華らしいですわね・・あっ、そうですわ。オーディションの結果!』

『ああっ、忘れてた。ちょっと、ちょっと待って。まだ言わないで、心の準備が・・大塚奈美に負けるのは嫌だけど、主役っていうのも、荷が重い気が‥』


『ふふ、頑張ってください。和華は主役に決まりましたわ』

『うわ~マジで? うわ~どうしよ。あああ、どうしよ』


『大丈夫、和華ならできます』



 いきなり自分の世界に戻って来た戸惑いと、オーディションに合格していた驚きで、あたしの頭は少し混乱気味だった。でも、ここは自分の家で、自分のベッドで眠る事が出来る。目覚めれば家族もいると思うと、安心して気持ちが落ち着いた。



 翌日、夕方近くになってもあたしはまだ自分の世界に留まっていた。でもジュリエットもそのままだった。


「白紙の本の更新は止まってるな。お前がこっちに残ったままなのは、向こうではもうやることは無いって事なのか」


「ならジュリエットも向こうに帰ってもいいはずなのにね」

「やっぱり新月にならないとダメなのかもしれんぞ」


「そういえば、康兄ぃも橘先生に会ったの?」

「俺は会ってない」


「あたし、会ってみたいな。あたしの中にジュリエットが居るって言っても信じては貰えないだろうけど、自分の体験した事を話してみたい」


『あの白紙が残っている小説を見せてみてはどうかしら?』

『あ~なるほど!』


「ジュリエットが白紙の本も見せてはどうかって、言ってる」

「あれか。そうだな、作り物だと言われるかもしれないが、ダメもとでやってみる価値はあるかもな」




 そうして前回と同じように康兄ぃは留守番で、藤本先輩とあたしが橘先生の入院先へ赴いた。橘先生はジュリエットから聞いた通りの、知的で真面目そうな人だった。


「今日は私に話したい事があるんですって?」

「そうなんです。あの‥信じては貰えない様な話なんですけど・・」


 あたしは初めから昨日までの出来事を全部話そうとした。でも橘先生はあたしが行った世界が自分の小説の中だと知ると、からかわれたと思ったのか、気分を害したように怒り始めた。


「ちょっと! そんな作り話で私をバカにしに来たの? それとも次はそういう話を書いてくれって言いに来たわけ?」

「バカにしてるんじゃないんです。不愉快かもしれませんけど、最後まで聞いてもらえませんか?」


「俺も初めは多重人格か何かじゃないかと思ってたんです。でも本が出て来て・・」


 最後まで話を聞いてもらうには、ここで本を見せた方がいいと藤本先輩は判断したらしかった。そしてまだ白紙のページが少し残っている『月の女神に愛された少女』を橘先生に見せた。


「これは私の本よね。これがどうしたっていうの」

「最後の方を見て貰えますか?」


 不本意そうにしながらも、言われた通り裏表紙の方から本をめくって見た橘先生は「えっ」と小さな声を漏らした。


「こちらに普通の本もあります。付箋の箇所は違いがある部分です」


 藤本先輩は今度は自分が購入した『月の女神に愛された少女』を手渡した。しばらく二冊を読み比べていた橘先生は、本に目を落としたままで呟いた。


「いたずらにしては手が込んでるわね・・とりあえず、あなたの話を最後まで聞いてみる事にするわ」


 そこであたしはまず自分の体験を最後まで話した。そしてジュリエットと交代して、今度はジュリエットがこちらの世界に来て体験した事を話した。


「にわかには信じられない話だけど・・でもこのアカデミーに泥棒が入るくだり、これは私が最初に考えたプロットにはあった物なの。マギーの父親が馬車に轢かれたこともそうだし。私の頭の中にあった構想をあなた方が知り得る筈がない・・」


 ジュリエットと藤本先輩は思わず、お互いの顔を見合わせた。


「白紙が残ってるって事は、お話はまだ完結してないのね。まだ半信半疑だけど、この続きを私も読みたくなったわ。私の書きたかった『月の女神に愛された少女』がここにある・・半信半疑なのに、なんだか嬉しいわ」



 世の中に出回っている『月の女神に愛された少女』は橘先生の本意のストーリーにはならなかったけれど、本来の、先生の理想の世界が、確かにわたしが行った本の中にはある。それを今日の面会で少し分かって貰えたみたいだ。


 本の中に新しいストーリーが書き加えられて完結した暁には、またここに見せに来ると約束して、あたしたちは病院を後にした。


 

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