第26話オーディション
「あーーっ、オーディション!」
「そうだった。もうすっかり忘れてたよ」先輩までこんなことを言っている。
せっかく自分の世界に帰ってこられたのに、さっそく難題が待ち受けてるなんて。あたしついてなくない? 異世界に行ってて練習出来てないんだよ!
「オーディション? なんだそれ」
「演劇サークルのオーデョションだよ。明日の夕方にあるんだ」
藤本先輩が兄貴に説明しちゃう。あ~バレちゃった。からかわれるから、家族には絶対言わないでおこうと思ってたのに。
「お前演劇サークルなんかに入ってたのか」
「うっ‥うん、まあね。あーでもさ、せっかくジュリエットがいるんだからジュリエットに出て貰えばいいよね」
『それはダメですわ。大塚奈美とは正々堂々と渡り合わなくてはいけません。そんなに長いセリフではありませんから、今からでも暗記できるはずです」
「えええ~そんなあ。ここはやっぱりお上品なジュリエットの方がぁ・・」
「お前何ひとりでしゃべってんだ」
「あ、そっか。康兄ぃ達には聞こえないんだった。ジュリエットがあたしの代わりはやらないって言うんだもん」
「台本はうちにあるから、これから練習しよう和華ちゃん。シーンは舞踏会でダンスをする所からキスの手前まで。短いから大丈夫だよ」
「なにぃ、キスするだあ?」
「しないしない、オーディションではそこまでしないから。練習でもしないよ」
藤本先輩はブンブン手を振って否定している。あれ、待ってよ。それって本番ではキスするってことじゃないの?
あたしは自分の顔がカーッと熱くなるのを感じた。やばい、恥ずかしい、キスシーンがある事をすっかり忘れてた。
『なんだかんだ言っても康兄さまは和華を大事に思っているのですね』
『そんな風に感じた事ないけど・・そうなのかな』
『ふふ、口が悪いだけですわ』
「よし、練習するところも俺が見届けてやる。ほら初めろ」
「ええ~やだよ。康兄ぃは先に帰っててよ」
「演劇は人前で演じるんだぞ。恥ずかしがってちゃ話になんねぇだろ」
「家族はまた別なの。いいから帰って帰って。あ、帰りに炭酸系買っておいてよ。向こうの世界に無くてさ~」
あたしは康兄ぃの背中をぐいぐい押しながら先輩の部屋から追い出した。
「最初に読み合わせをしよう。その後動きを付けてセリフを言う練習。台本をコピーするからちょっと待ってて」
そのままあたしは夕飯も藤本先輩の家でご馳走になり、20時過ぎまで練習したあと家に帰った。
「お母さん、ただいまーっ! ああ~会いたかったよぉ」
「何言ってんの、さっき会ったばっかりでしょ。ほらシーツとカバー乾いたから持ってってよ」
洗濯物を持って自室に戻ると康兄ぃが入って来た。
「ほら炭酸、コーラとかジンジャーエールとか色々だ」
「おお~サンキュー。ゴクゴク‥ぷはーっ! ああ~最高」
「練習は上手く行ったのか?」
「うーん、自分じゃ分かんない。てかさ、お母さん達には言ってないよね? あたしが異世界に行ってる事」
「言ってねーよ、みんな本気にしないだろうし。兄貴には異世界とか、理解すら無理だろうな」
まあ智兄ぃは脳筋だからなぁ。自分の部屋でこうして炭酸飲料なんか飲んでると、あたしだって異世界に行っていた事が夢の様に感じられるわ。
「明日の為にも今日は風呂入って早く寝とけよ。じゃあな、おやすみ」
早く寝とけよって言われても・・あたしは湯船の中でぼんやりとさっきまでの事を考えていた。せっかくこっちの世界に帰って来てるのに、早く寝るのは勿体ない気がする。
それにしてもあたしが読んでいた小説が白紙のページになってるなんて。あれはどこで買った本だったか‥イーオンだな。大学の帰りにイーオンの中にある書店で買ったんだ。ファンタジー映画に出てくるような曰くありげな古書店なんかじゃない、至って普通の書店だわ。
どうしてこんな事になっちゃったのか自分でもさっぱり分からない。
『ジュリエット、居る?』
『居ますわ。どうかしまして?』
『あの後の事を話そうかと思って』
『大体の事は小説で読みましたわ。泥棒に‥マギーに情けをかけたのですね』
『うん。平民の暮らしは酷かったよ、中でもマギーの家はかなり厳しい状況だった。宝石職人のお父さんが貴族の馬車に轢かれて腕を切断したんだって。お父さんの代わりにマギーやお母さんが仕事をしてるんだけど、家族を養えるほどの賃金は得られないみたいでさ』
『お父さまを轢いた貴族は何も補償しなかったのでしょうか?』
『その場で金貨を2、3枚放り投げて「医療費だ」と言ったみたい。馬車から降りても来なかったらしいよ』
『そうですか‥でも和華が行動することでストーリーが変化するなら、他にも出来ることが色々ありそうですわ』
『それは大袈裟だよ・・あ、だめだ。のぼせる』
色々考えなきゃいけない事が沢山あるけど、今日は康兄ぃに言われた通り早く寝よう。
翌日はあたしが表になって大学へ行った。オーディションの事が気になって講義には全然集中できない。
昨日藤本先輩は根気よくあたしの練習に付き合ってくれた。立ち稽古の時は本番さながらにダンスをしながら演技した。先輩の手はあたしが想像してたよりずっと大きくて、見つめ合いながら台詞を言う間中、心臓はどきどきしっぱなしだった。
とうとうオーディションの時間が来てしまった。今日はサークルの部員全員が集まっている。とりあえず台詞は全部覚えた。あとは藤本先輩と練習した通りにやるしかない。
1番手は佐藤さんだ。小柄で可愛らしい雰囲気の先輩。平凡な顔立ちだけどメイクすると別人のように美人に化ける人。この人も高校から演劇をやっていて流石に上手だ。
2番手は大塚奈美。自信満々で、普段と変わらない様子は余裕さえ感じさせる。佐藤さんと比べると動作がオーバーリアクションに見えるけど、舞台だとあれくらいが丁度いいのかもしれない。藤本先輩と並んだ様子もとてもお似合いだと、あたしすら思っちゃう。
やばい、次はあたしだ。このシーンでジュリエットはロミオに自分の気持ちを打ち明ける。藤本先輩の顔を見ながらだもの、自分の気持ちに正直に台詞を言えばいい!
ダンスのパートナーチェンジでロミオとあたしが歩み寄る。ロミオはジュリエットにハンドキスをして、お互いに一礼したあと、ダンスに入る。
「踊ってくださいますか?」
「喜んで」
「良かった、また会えて。知らないでしょうけど、橋の上でお会いしたんです」
「知ってるわ。3日前に川を見つめていらしたわね」
「それは嬉しい! 僕はあれからあなたの事ばかり考えていた。今日ももしかしたらお会いできるかもと思い、ここの門をくぐったのです」
「お世辞が上手いのね。そんな嬉しい言葉、鵜呑みにしてしまいそう」
「笑わないで欲しい。僕はあなたを想い煩って毎朝スズカケの森にでかけていたのです」
「毎朝ですって? すれ違いだわ。わたしもお昼にあの森に」
一瞬動きが止まり、驚きの表情を見せるロミオ。「なんて事だ。ではもう好きな人が?」
「もちろん」
「誰です。そんな幸せなヤツは・・殴ってやりたい!」
「それは無理だわ。とても素敵な人だし・・」ジュリエットはクスクスと笑う。
「あなたを奪ってやりたい! 一体いつからなんです?」
「3日前に、橋の上で」
「なんですって。からかわないで下さい。僕は真剣なんだ」
「私も真剣だわ」
「はい、カット―。このあと審査に入るから適当に時間潰しててね」代表がみんなに声を掛けた。
エッコこと石原栄子が近寄ってきてお茶をくれた。「はい、喉乾いたでしょ。お疲れ様、すっごく良かったよ。正直、和華があそこまで出来るとは思ってなかったよ」
「あたしもそう思う・・」
それが素直な感想だった。貴族らしい立ち居振る舞いも自然に出来ていたと思う。向こうの世界に居た事が少し役に立ったのかな。
突然目の前が真っ暗になった。あれ、停電? と思ったが違う。あの時と同じだ。
『ジュリエット、時間が・・』
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