第25話白紙の本


「どうかされましたか」

「この本、どこにあったんだ?」


 わたくしが取り落とした『月の女神に愛された少女』を拾い上げて中を見ていた康兄さまが、羽の生えた猿でも見たような奇妙な表情で尋ねてきた。


「ベッドの下にありました。和華はこれを読んだという事実が判明したのですわね・・」

「ああ‥ちょっとリビングへ行こうぜ」


 康兄さまはリビングのソファにわたくしを座らせてベッドの下にあった本をこちらに寄越した。その上で自分は先ほど読んでいた本を手に取った。


「その本を開いてみろよ」


 わたくしは言われた通りに本を開いた。特に変わった所はない。書き込みなどもないし・・ページをめくるわたくしの手が止まった。


「えっ、このページ以降は全部白紙だわ!」

「俺が持ってる本は最後まで書かれている。おかしいだろ? ちょっと内容を確認してみようぜ」




 わたくしと康兄さまはこの後、藤本先輩に連絡して今度は先輩の自宅で会う約束をした。


 確かに藤本先輩の家は近場にあった。徒歩でわずか10分程度の場所なのだ。ただ先輩の家は和華の家やほかの家とは随分様相が違っていた。


「とても・・大きいご自宅ですわね」


 近代的でモダンなデザインの家屋を見上げながらわたくしは言った。


「ああ。あいつんは金持ちだからな。子供の頃何度か遊びに来た事があるだろ‥って言ってもアレか」


 そう、アレですわ。わたくしの中にはその記憶がありませんもの。その記憶に蓋をしているのか、あるいはまだ流れ込んできていない記憶なのか・・。


「昨日ぶりだね。何か発見があったの?」


 先輩はいつもと変わらない笑顔でわたくしたちを迎えてくれた。先輩の部屋は岸田家のリビングより広い。お手伝いさんが飲み物を置いて行った後、わたくしたちはすぐ本題に入った。


 ここには今、先輩が購入した分を含めて3冊の『月の女神に愛された少女』がある。そして1冊だけ途中から白紙のページになっているのだ。


「これ・・岸田さんのベッドの下にあったの?」

「そうなのです。今朝気が付いたのです」

「内容も違いがある。オリジナルの方にはアカデミーに泥棒なんて入ってないんだ」


 予め内容に違いがある箇所に付箋を付けて置いた。藤本先輩はその部分を読んでいる。


「ほんとだ。ジュリエットが登場する場面での違いが多いね。泥棒に至ってはジュリエット自身が弓矢で捕まえてる。和華ちゃん、弓道部だったもんね‥」


「高校の時の事なのによく知ってるな」

「え、ああ。うん‥」


 物語の出だしはオリジナルと変化がなく、主人公のリンが家族に後押しされてアカデミーに入学するまでが描かれている。だがアカデミーに入学してジュリエットが登場すると、格段にジュリエットの登場回数が増えていた。


「これじゃあまるで2人主人公がいるみたいだね。それに‥ぷっ」


 先輩はページをめくりながら吹き出した。


「こんな風に啖呵を切るなんて和華ちゃんらしいというか」

「俺もそのジュリエットが和華に見えて来たよ」


 和華の事を話すふたりはとても和やかで、このおかしな状況を忘れてしまいそうになる。と、突然頭の中でけたたましい声が響いた。


『あーーっ、康兄ぃ! それに藤本先輩! やった―あたし帰って来られたのね!』

『和華・・残念ですけどわたくしもまだこちら側におりますわ』


『あっジュリエット! ちくしょー、じゃあ向こうで一緒になった時と同じ状態って事か』

『そうですわね。でもこちらで少し変化がありましたの。まずは交代致しましょう。二人共喜ばれると思います。二人には事情を話してありますから』


 急にわたくしが黙りこくったので、藤本先輩は心配そうにこちらを伺っていた。


「和華がこちらの世界へ帰ってきました。今ここに居ますから交代しますわ」


 わたくしは軽く目を閉じた。


「康兄ぃ! 藤本先輩! ああ~懐かしい。本物だよね? 夢じゃないよね?」


 和華は康兄さまの腕をがしがしと掴んで確認している。ふたりは呆気に取られて和華を見ていた。


「えっ、な、和華にチェンジしたのか?」

「康兄ぃがジュリエットの正体を見破ったの? さすがだね! 昔から頭良かったもんね康兄ぃはさ。もうさ、あたし向こうでほんと大変だったんだよ。ドレスなんて窮屈で、メチャクチャ苦しいし動きづらいし、言葉遣いは気を付けなきゃいけないし。あっ、それにご飯が少なくてさ~。ね、あたし痩せたんじゃない? どう?」


「おまっ・・和華!?」

「いつもの和華ちゃんだ・・フフ」


 康兄さまは和華のマシンガントークに呆れ、藤本先輩はまるで保護者のように暖かい笑みを漏らした。


「あれ、喋りすぎ?」

「お前さ、向こうの世界で食事が足りなかったなら、こっちの和華が痩せるわけねぇだろうが。つかほんとに異世界から帰って来たのかよ」


「信じられないと思うけどさ、ホントなんだって。あたし王様にも拝謁しちゃったよ!」

「和華ちゃん、聞きたいことが沢山あるんだ。その‥ジュリエットさんの話だとまたすぐ異世界に帰っちゃうんだろ?」


「分かんないけど、そうなりそうな気がする」


 そこからは和華が向こうの世界に行った日の事、向こうで起きている事、白紙のページがある小説の事など詳しく話し合った。


「うわ、この小説の内容は向こうであたしが体験した事そのままだよ。どうなってんのこれ」

「オリジナルの小説に変化は無いから、和華ちゃんは小説の中に入ったというより、その本の中に入ったって考える方が妥当かも」


「でもこれ、ジュリエットの気持ちは書かれてるけど感じた事じゃない。あくまで小説の中のジュリエットの感情が記述されてる」


「そうだな。弓を射れる事に関しても、ゴードンの趣味の狩猟に合わせて弓を習った事になってるな」


 小説の中で和華が取った行動は、若干、脚色されて書き込まれているようだ。


「白紙のページが埋まれば和華はこっちに戻ってこれるのか?」

「どうだろう。物語は少しずつ変化しているし、そもそもなんで本の中に入ってしまったかが不明だし」


「和華はこんな事になった心当たりはないのか?」

「さ、さあ?」


「本を読んで感じたことは?」

「えーと、ジュリエットが可愛そうって思ったかな。堅苦しい人間になっちゃったのは妃教育のせいだと思ったし‥あとは月の女神に愛された少女ってジュリエットのイメージで、リンは太陽の神に愛された少女って雰囲気だなって思ったかなぁ」


「そっか、和華ちゃんはジュリエットに同情してたのか」

「なんか先輩に『和華ちゃん』って呼ばれるの、中学のとき以来で‥恥ずかしい」


「大学では岸田さんって呼んでたからね。でも俺の中じゃやっぱり和華ちゃんは和華ちゃんなんだよね」


 なんだか甘酸っぱい雰囲気ですわね。もしや藤本先輩も和華の事を・・あっ、重要な別件を思い出しましたわ。


「え、なになに・・ちょっと待ってね、ジュリエットが何か大事な事を言わないといけないって」


 そう、明日はジュリエット役のオーディションの日ですわ。




 




 

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