金色の水面と君の声

シンヤ レイジ

金色の海

気がつけば夕暮れの西洋の街の中に私はひとり、立っていた。


「ここは――」


ぐるりと辺りを見回す。

知っているような、知らないような。


周囲の人たちが話している言葉は私が生まれ育った国とは全く違う。

でもなぜか私はその言葉をよく知っている。


懐かしい香りがする。風乗って運ばれてくる磯香り。でも日本のものとは少し違う。

風にそよぐ髪を煩わしく感じて、耳に長い髪をかけようとした時、後ろからいきなり誰かに手を掴まれた。


「こっちこっち!」


手を掴んだのはこの国の男の子。多分、自分と同じ年齢ぐらい。ちょうど恋という感情を知り始めた頃の年齢だ。


――でも、私はそんな年齢だったっけ?


「走って!」


無邪気に笑う男の子。

彼に手を引かれ、港の人混みの中を疾風のように駆けていく。


息も切れ切れになると、彼は人差し指を立てて、しーっと私に合図する。彼が見つめる先にはどうやら両親がいるようだ。

二人で港に泊まっている一層の船に静かに乗り込む。船の運転席の上の屋根のよじ登ると、もうすぐ別れを告げる夕陽が、最後にいっそう輝いて私の頬を掠めた。

キラキラと輝く水面。その光景を私はずっと昔から知っている気がした。


私たちはそのまま足をぶらんと下ろして屋根に座った。何を話すわけでもなく、ただ揺れる黄金色の水面を二人で見つめていた。

ふと横を見ると、彼の金髪の髪の毛が金色の夕日を受けて琥珀のように輝いていた。海の色を取り込んだような吸い込まれそうな青い瞳は夕陽の色と混じって今では綺麗な草原色になっている。


懐かしい香り――

でも、私はここに前に来たことあったっけ?


なぜか彼の顔を見るとそんなことはどうでも良く感じた。

心が満たされてとても幸せな気持ちになる。でも同時に、キュウっと心のどこかが苦しい気もする。


「綺麗だね」

「うん」


しばらく夕日を眺めていると、私は繋がれたままの手の温もりに気がついた。

ぎゅっと、でも優しく繋がれた手からとても大切にされていることがわかる。

いつもこうして彼は私の手を握る。私は昔からずっとこのことを知っていたはずなのに、どうして忘れてしまったのだろう。


この穏やかな時間が永遠に続けばいいのに、と

そう願わずにはいられなかった。


――でも、なぜ?


遠くで大人たちの声が聞こえる。

どうやら私たちを探しているようだ。


「あ、いたいた!もう帰るぞー!」


両親が私たちが乗ってきたキャンピンクカーから顔を出して二人の名前を呼んだ。でも彼の名は波と突風の音でよく聞こえなかった。

私たちは手を繋いだまま、名残惜しそうに両親の元へ向かう。


「また来年も一緒に来ようね」


来年。私たちは毎年ここに来ていたっけ――?


ずっとずっと、私は彼と一緒に生きてきた気がする。

そして彼はこうしていつも心の中でひとり悲しむ私の手をとって

静かに励ましてくれるのを私はなぜか知っている。


そして私はもう二度とこの約束が叶わないことも知っている。


兄のような友達のような恋人のようなこの気持ち。

そしてこの自分のものではない記憶は一体――



               ***





目覚ましの音で目が覚めるといつものどんよりとした天井が顔を覗かせる。

もちろん、身体は大人の姿に戻っていた。

でもまだ彼の手の温もりがする気がする。


簡単に朝食を済ませ、職場へ向かう。

行きがけに郵便受けを開ける。これが私の日課だった。


私には文通友達がいる。

元々数人の文通相手がいたが、結局気が合って残ったのは彼だけだった。

毎回読むのが疲れるくらいの長文を書くところ、好きな音楽や映画、言葉遣いや言い回しまで、異性とは思えないほど気が合ったのは人生で彼が初めてだった。


彼がいるのは言語も文化も全く違う日本からはるか彼方の異国。

テレビ電話越しに見た美しい栗毛に草原のような淡い緑色の瞳。

その瞳はは私を見ていつも柔らかく微笑む。


彼にはコンプレックスがある――それは“女性っぽい容姿”だった。

私からすれば美しい顔立ちなだけで、特に女性っぽいとは思わない。

彼は幼い頃 女の子と見間違われることが多かったと手紙に書いてあった。

白人の場合、大抵子供は生まれた時は金髪碧眼だ。そして大人になると色が濃くなり、容姿が変化するというのはよくある話だ。

話の流れ上、興味本位で彼の幼い頃の姿を見てみたいとせがんだ私に、彼は写真を一枚手紙の中に入れてくれていた。


「まさか…こんなことって…」


写真を見て唖然とした。

海辺で夕陽に当たって輝く金髪と青い瞳。

そこには私が夢で会ったあの男の子が微笑みながら佇んでいた。



(終)

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