第20話 VIPルーム

 もしかしてと思い、スマホを見てみると、



「田上純一さんへ、優子より」とのメールであった。差出人のメルアドに、覚えは無い。



 私は、これは、私へのいよいよ最後の、裏の組織からの挑戦状だと思った。



 昨日、ふらりと失踪した妻の優子からの突然のメールである。その妻の優子は自分のスマホを自宅に置いたまま失踪している。それを考えると、あまりに話ができ過ぎているではないか?



 私が、メールを読んでいると、横から心配そうに、死んだ湯川の恋人でもある森田愛も私の表情を見ている。



 メールの中身は実に単純で、自分は今現在、東京の超高級ホテルのVIPルームの301号室にいると言う。



 どうしても、この私に会って欲しい人がいるので、私に、明日、東京まで来てほしいと書いてあった。



 また、そのスマホには、特殊に暗号化されたQRコードも添付されており、フロントでそれを見せれば、301号室に入れて貰えると書いてあった。



 ……しかし、少しでも賢い人間なら、私の妻の優子が、そんな高級なホテルに何泊も泊まれる訳がないだろうと言う事は、直ぐに分かる事でもある。



 このホテルで待っている人物こそ、多分、アメリカに有るであろう巨大な闇の組織から送り込まれた刺客に違いが無いのは明白である。



 一体、どうしたらいいものか?私は、手製の硬質プラスチックを削った携帯型の櫛のみが唯一の武器でしかない。あと、胸に隠してあるボールペン数本だけだ。



 相手が、アメリカの組織から送り込まれた人物なら、まずは生きては帰れないだろう。



 しかし、表向きは妻の優子が会いに来てくれと言ってきているのでるある。



 ここで、無視すれば、もしかしたらまだ生きているかもしれない妻の優子を見殺しにする事にもなる。

 当然、私の選択肢は、明日、そのホテルに行くしかないのだ。他に選択の余地など無いではないか?



 私は、明日、東京へ行く事にして、学校のほうへは、親戚に不幸があった事にして休暇願いを出した。いよいよ、決戦の時である。



 次の日、私と森田愛は、北陸新幹線に乗り、東京へと向かった。



 森田愛には、危険なので、このまま会社に向かうように行った。

 そして、私のスマホのメールアドレスを彼女に教え、どうしても私との連絡が取れなくなった場合は、私の大学の同級生で、現在大手の雑誌社に勤務している級友に、あのフラッシュメモリーを見せるように指示したのだ。



 これが私ができる、最後の自衛手段であった。



 さて、ホテルのフロントに着いた私は、VIPルームの301号室に会いに来た田上だと名乗った。



 フロントの一人にさっと緊張が走り、少し待って下さいと言う。その一人とともに来たのは、胸の名札から支配人と分かった。



 さすがに、何かがある。



 支配人は、慇懃な言葉で、

「失礼ですが、きっと田上様のスマホに送られている筈のQRコードをここに翳(かざ)して下さい」と言った。



 私は、妻の優子から送られてきた事になっているスマホに映し出されたQRコードをフロント上の読み取り機に翳(かざ)した。緑のランプが付いたところを見ると、パスしたのだろう。



 支配人は、フロントの奥にいた2人のボーイを伴って、私を30階にあるVIPルームの301号室に案内すると言った。



 そもそも、妻の優子は、数百万円を下ろして失踪したのだ。こんな高級ホテルの、しかもVIPルームに泊まっていたら、数日で金が無くなるだろう。


 

……多分、その部屋にいるのは、どうせ、マッシュルーム社かアップルパイ社のどちらかの人間に違いあるまい。

 あるいは、アメリカの政府高官で闇の組織の長クラスかもしれないが……。



 どちらにしても、ここは日本であり、ともかくピストルや自動小銃で滅多撃ちにされる事もあるまい。そうたかをくくって、私は、案内されるままにその301号室へと向かったのだ。



 ここで、最後の決着が付くのだ。



多分、映画や小説でも良くあるように、その部屋で私は、両社の陰謀か何かを聞かされて、その後は、私も妻の優子と同様、拉致されて東京湾かどこかに沈められるのだろう……。



 それでも良かったのだ。私は、この人工男根の研究から始まって、最終的には全人類を支配し管理化に置くという「アカシック・レコード計画」や、その元となる超大型量子コンピュータ『666(ビースト)』の研究の進捗状況も知りたかったからだ。

 それは、殺された湯川も同じ事を思ったであろう……。



 そしてもし、ここで、私を始末するつもりなら、最低限、それぐらいの話はしてくれそうに思えたのだ。



「冥途の土産に聞いてみるか……」私は、自嘲気味につぶやいて、301号室に入った。



 屈強なボディーガード2人がドアの内側にいた。二人とも外国人であったが、明らかに武道(マーシャルアーツ)の達人に見えた。



 ……私も、実は父親が縊死するまでは、町の空手道場に通って空手初段を貰っており、天才空手少年の誉れが高かったのである。



 それが、父親の自殺後、私は、教育学や教育心理学の勉強のために、日本最難関とされるZ大学を目指してのいわゆる猛ガリ勉派に転向したのであって、多少の武道の心得はあったから、二人の実力は、見ただけで、痛い程分かったのだった。



 しかし、部屋に入った瞬間、私は、目を疑った。



薄いネグリジェを着て、私から見れば後ろ向きに見える男性の腹の上に、下半身を裸にして馬乗りになっているのは、何と、あの西山須美子ではないか!

 


 彼女は、両胸を自らの手でわしづかみし、大声で叫んでいた。誰が見ても、明らかにあの行為の真っ最中であった。



しかも、そこに、ワイングラスに赤ワインを入れた盆を持って現れたのは、何と私の妻で一昨日から自宅から忽然と消えた優子本人ではないか。



 彼女は、驚いて声の出ない私に向かって、人差し指で唇に手を当てて「しっ!」の合図を送ってきた。



これは、一体、どういう事だ。何故、ここに、西山須美子がいるのだ。そして、妻の優子も、どうしてここにいるのだ。



 しかも、優子の様子からすると、とても私が心配しているような拉致されたような感じには見えなかったから、尚更、奇妙に思ったのだ。



 一体、西山須美子と妻の優子と、そして現在、性行為中の男性と、どんなつながりがあるというのか?



 私の、頭は完全に混乱の極みに達した。どうしても、この奇妙な取り合わせには、納得が、いかなかったからである。



それに、今、西山須美子の下になっている男性は誰なのか?これが、全く、検討もつかないのだ。



 最初は、マッシュルーム社かアップルパイ社のどちらかの人間か、アメリカの政府高官か誰かで闇の組織の長クラスかもしれないと思っていたのだが、どうもどこか違うような感じがしてきたのである。



 一体、誰なのか?



 この疑問が消えぬまま、私は、またしても目を疑った。



 何と今度は、あの森田愛までこの部屋に入ってきたのである。今日の朝、東京駅で別れる直前まで、さも湯川の死を哀れんでいた彼女は、今は、二人の男女の行為をフフンと笑って見ているではないか?



 これは、一体!



 西山須美子、私の妻の優子、そして自称:湯川の恋人であったと言う森田愛、そして謎の男性。



 私は、完全に混乱してしまった。この取り合わせを巡る糸が全く解明できないからだ。



 一体、今、西山須美子と行為を行っている男性は誰なのだ?それに、どうしてこんな高価なVIPルームに泊まれる程のお金を持っているのだ。



 そして、私の妻の優子と、西山須美子、湯川の恋人を自称していた森田愛、そして謎の外人2人のボディガード……。この奇妙な取り合わせの謎を解くだけの頭は、混乱した今の私には皆無だった。



 その時である。最後の一滴を放出して、



「ふうー」と言って、振り向いた男性は、ああ、何と、タバコ火の不始末で無くなった筈の、私の親友の湯川弘本人ではないか!



 私は、絶句した。



 発した言葉は、正に、今の私の素直な疑問そのものであった。



「湯川、おまえは、確か、火災で死んだ筈では?」


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