第3話 人工男根
このような会話を経て、クリスマスのその日、私は、大神医学博士の経営する医院内にいたのである。
大神博士の医院の外観は先程述べたとおりだった。「本日は休診です」の看板が掛けてあったところを見ると、京都の学会へ出席のため今日は医院は休診にされていたのだろう。
ただ、医院に入ると、1人の看護師が待機していた。
先生の留守番代わりらしい。
「根本さん、今日はご苦労さん。それと、今日は休診日やったがやけど、急に、クライアントが来ての、少し診察を手伝ってくれないか?」
まだ若い20代後半の綺麗な顔立ちの根本と呼ばれた看護師はいやな顔もせず、頷いた。どうも、この大神医学博士は、随分と気まぐれなところがあるらしい。
で、診療室で色々と質問を受けた。
朝立ちはあるか?とか、云々であるが、その質問テストには全てパスした。
更に、この医院には、アメリカから直輸入された特殊な神経伝達検査機器があり、私の下半身と大脳の廻りに各種のセンサーを貼り付け、それを各々リード線でつなぎ、そしておもむろに「こんなの見ていいんかい?」とい言う程のえげつない、エロ画面のディスクを次々に見せられた。
何でも、アメリカで開発されたと言う、男根と大脳の神経の伝達具合を検査する機器らしかった。
だが、その機器のオシロスコープの波形は派手に反応しているのに、私の下半身はピクリともしなかった。
それを見て、
「うーん、やはり相当な精神的ダメージを受けているようじゃな。
心因反応と言うべきか?ただ、下半身と脳との神経間には何の問題も無い事だけは、このオシロスコープのデータからは証明されたな。やはり、あとは心の問題だけじゃなあ……」と、それだけ言って、
「やはり、心療内科でも受診して気長に治療する必要があるな」と、言った後、
「それと、それでも駄目な時はじゃよ」と、大神博士は言って、
「今から、もの凄いものを見せてあげるよ。これを見れば、きっと君も悩む事も全く無くなるほどのものじゃよ」
と、そう言われて、ノコノコついていったのが、大神博士の書斎の中にあった、例の「人工男根」の陳列室だったのである。
「こ、こ、こんなものが研究されていたとは……」
私は、思わず、息をのんだ。
「人工心臓や、肝臓や、腎臓等ならまだしも、一体、こんな「人工男根」の研究をどうして考えられたのです?
例の「突発性劇症型スティーブンス・ジョンソン症候群」の続発、いわゆる『ドラッグ・ハプニング』の大事件があってから、先生は、この研究に着手されたのですか?」
「いいや」と、大神博士は、即座に否定した。
「これは、ワシの、医学部の学生時代からの究極の研究テーマなんじゃよ」
「すると、既に30年弱以上も前から、この研究をされて来たんですか?」
「ああ、その通りだ、何か変かい?」
ああ、私は、気分が悪くなりかけた。
いくら、医学界に研究の自由はあるとは言え、遺伝子病とか、新種のウィルス病だとか、各種の精神病だとか、あるいはIPS細胞を使っての人工心臓や人工腎臓等の再生医療研究のように、もっと「まともな」研究材料がこの世には掃いて捨てる程ある筈だ。
それが、一体、何故に、こんな「馬鹿げた」研究に30年弱以上もその情熱を捧げられたのだろうか?
私が、この大神博士に最初に感じた、異様性、もっと言えばその精神的異常性はこの事実だけをもってしても、十分に証明できるのではないか!
私は、これ以上この医院にいると、自分までが「変態博士」の患者になっていくような感じに襲われて、診断結果を簡単に聞いて、初診料を払い医院から早々に帰る事にした。
大神博士は、私が医院から直ちに帰る事にどうもささいな抵抗を試みていたようで、私を応接間に案内して、根本看護師にコーヒーとケーキを用意させたり、
「まあまあ、そう急がんと、ワシの話をじっくりと聞いていかっしゃい。
何しろ、こんな研究をしているとは言え、ワシが治療した患者さんの中には、結婚後数年間もセックス・レスだった新婚カップルもあったのじゃが、金沢駅前の心療内科とタイアップして治療した結果、現在は3人の子持ちになった夫婦もいるぐらいなんじゃ。
まあ、そやから、そう深刻にならんでも、ワシが責任をもって治療してやっからのう、大船に乗った気でいまっしや」
「ええ。でも、家に帰って、彼女との想い出物は全て処分しなければ、どうにも気が済みません。私は、既に、両親は死んでいてこの世にはいないし、一人っ子ですから兄弟もいません。
人生の相談相手が一人もいないんです。
先生のおかげで、まあ、自分で自分の命を縮める事は多分無くなったでしょうが、それでも、新たな彼女をまた一から探さなければなりません。
でも、こんな、奥手で気が小さい私では、それもなかなか難しいでしょうし……私の前途は、どうも暗澹たるものしか横たわっていないような気がします。
ただ、死ぬのは、それ程怖くは無いですから、まあ、その時はキチンと自分で覚悟を決めるつもりですが……」
その時である。
「ただ今、帰りました」と、医院の横の勝手口から、明るい女性の声がした。
紺色のスーツ姿の若い女性が、大神医院に帰って来たのだ。
「お父さん、ただ今。はいこれ、1日遅れのクリスマス・ケーキよ」
そう言って、私と大神博士が、話をしている応接室に、その姿を見せた。
しかし、私は、我が目を疑った。一体、何と言う美人なんだ。
身長は、父親と同じ165センチ前後。だが、父とは大きく違う均整の取れた顔立ちと、それに憂いを帯びて一目見ただけで吸い込まれるような大きな黒い瞳、白磁のように白く長いうなじ、たわわな両胸と、すらりと伸びた両脚。
昨日、私に唾を吐いて別れた私の彼女の西山寿美子とは、雲泥の差があったではないか。
しかも、あの大神博士を、お父さんと呼んでいるところを見ると、大神博士の実の娘なのだろう。
私は、少々赤面しながらも、
「大神先生、このお嬢さんは、先生の娘さんなんですか?」と、思わず聞いてしまった。
「ああ、ワシの実の一人娘の優子じゃが、なんか変かい?」
「いやいや、先生にこんなお美しいお嬢さんがおいでたとは……」私は、絶句してしまった。
「死んだ妻との大事な一人娘じゃよ。ワシの妻は、この子が高校生の時に難病で亡くなってしまったんや。それで、この子も、医者を志して、現在、地元のK大学医学部付属病院に残って研究に参加している。医師の国家試験にもとっくに受かっている。多分、君より若干年上の筈じゃがな」
「はあ、そうですか」それだけ何とか返事をして、私は、大神医院を後にした。
「絶世の美人、絶世の美人、絶世の美人、……」私は、多分、こんな独り言を何度も何度も言いながら、誰も住んでいない寂しい自分の家に辿り着いたに違いない。
それから私は、昨日、私に向かって唾を吐いて別れた彼女:西山寿美子との想い出の品を全て処分した。彼女とのスマホの写真やパソコン等のメール記録、テレビ電話間の録画も全て消去した。
私は、昨日の事件を、全て自分の記憶の中から消去しなければならなかったのだ。そして、新たに全てをリセットする事にしたのだ。
明日には、大神博士から紹介された女性医師のいる心療内科を受診しよう。そこからまた新たな一歩が始まるのだろう……。
今日、大神医院で会った絶世の美人の、そう大神博士の娘には、正直な話、猛烈に心を奪われたのは事実だが、昨日の苦い経験を思い出して、「無理だ!無理だ!無理だ!」、と自分を納得させた。
私には、あんな綺麗な人とは、多分、永遠に縁が無いのだ。
例え、百歩譲ってこの私が、もの凄い「いい男(イケメン)」だったとしても、肝心の下半身が言う事を効いてくれないこのままの状態では、どうしようも無いではないか!
次の日の午前9時に、私は大神博士から紹介状を書いてもらった女性医師が開業している金沢駅前の32階建てのビルの中にある心療内科を受診した。
45歳前後のふっくらとして落ち付いた感じの女性のお医者さんで、大神博士からの招待状を見て、それから色々と質問をして来た。
私自身、心理学は専門だったので、その診療所に来る前に自分で自分の心を分析して来ていた。
「多分、私の家は、祖父や両親とも教師だった家柄でしたから、多分その異常な程の厳格な家庭環境が、私の性的不能の原因だと、昨日の晩フト気が付いたのですが……これでも私は、Z大学文学部の心理学科を出てますから、それぐらいの自己分析はできるんです」
「それも、十分に考えられる原因の一つでしょうね」と、その女性医師が相づちを打ってくれたその時の事である。
私は、私の後ろで待機していた看護師が、「フフン!」と微かに鼻で笑ったように感じたのだ。
その雰囲気を感じて直ぐに振り向いた私は、そこで事もあろうか、彼女の目や表情がもう完全に軽蔑の様子で、口元が苦笑いで歪んでいる若い看護師を見たのだ。
何と顔の造りまでが、どういう偶然か知らぬが、憎々しげに私に唾を吐きかけた、私の前の彼女の西山寿美子と良く似ていたのだった。
私は、再び、猛烈なショックを受け、完全に自らを失ってしまった。
再びあの悪夢が蘇ってきたからだ。女性医師の言葉は、もう耳には全然入ってこなかった。
何かの薬を処方されたものの、その薬の説明を聞く事もなく、ただ、診察費のみを支払って、飛び出すようにその心療内科から飛び出した。
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