木漏れ日の書店

大槻アコ

第一話 プロローグ

ープロローグー


七月上旬。梅雨が明け、猛暑日が増えて来た頃。


彼女は事務所のレコーディングルームにいた。

他の人はまだ誰も来ていない。静まり返った無駄に広い防音室には時計の皮肉な乾いた音と自分が台本をめくる湿った音が響いている。



今日こそは勝ち取ってやる。そう意気込みながらもやはり不安は消え去らなかった。

これを勝ち取れなかったら同期たちにまた一歩遅れを取ってしまう。

同期が皆次々に売れていく中で私は数え切れないほど多くのオーディションに落ち続けていた。


何がダメなのか。私には何が足りないのか。何をどうすれば同期達と同じ土俵に立ってライバルとして競い合えるようになるのか。


そんな悩みを抱えながらも全力を尽くしてオーディションに挑み続けた。そうしているうちに1年が経とうとしていた。


その中であまり人気ではない作品の二枚目みたいな役は何役か演じたことはあった。しかし、人気作などのオーディションには呼ばれることすら少なくなり、やはり私はこの程度だったのだろうかと、終わりの見えない暗闇の中を模索しながらそう思い始めていた。


そんな日々を過ごしていると、ある日私は根を詰めすぎたのか、ぱったりと収録中に倒れてしまった。


その後病院に運ばれ入院生活を余儀なくされた。


病院での1ヶ月では毎日のように不安が襲った。

様々な人が見舞いに来てくれたが、自分を励ます言葉は全て嫌味にしか聞こえなかった。


新人が体調を崩したら終わり。売れて人気声優になりたい人なんて山のようにいる。私が受けることが出来ていたオーデションの枠だって他の新人に取られてしまうのだ。


そんな事を考えながら毎日を過ごす中で私はだんだんと自分が嫌いになっていった。自己嫌悪で気分が悪いのが日常となっていった。


ある日。味のしない朝食を食べ終わりどんよりと曇った自分のような空を見ていたら、ある先輩が見舞いに来た。


「凛ちゃん。お見舞いに来たよー!」

「怜美さん、わざわざ来てくれてありがとうございます。」


花崎怜美。凛の5歳年上の大人気声優だ。十四歳でデビューしてからずっと声優界の最前線を走っている人だ。容姿も眉目端麗でモデル顔負けのスタイルでおまけに顔も良い。当たり前だが毎年の女性声優ランキングではダントツの一位を誇っている。


私はこの先輩に養成所の頃から色々とお世話になっていた。


「私、凛ちゃんが倒れたって聞いてすごい心配したんだよ。」

彼女は見た目にそぐわない可愛らしい仕草で私の顔を覗き込んだ。


やはりたとえ憧れでお世話になっている先輩だとしても心には響かなかった。しかしここで露骨に嫌そうな顔をして答えてもそれはそれで失礼だと思い精一杯平気な顔を作って答えた。


「そ、そうなんですね。心配してくれてありがとうございます。」

するとそれを察したのか彼女はこう言った。

「そんな無理して笑わなくたっていいよ。今は物凄い不安だろうけど凛ちゃんなら大丈夫だから。」


今思えば素直に尊敬する先輩の言葉を受け取ればよかったと思うが、なんて無責任な言葉なんだろう。実際に経験したわけでもないのに知ったふうな口をきいて。とこの時の私は思ってしまった


すると彼女は、

「そうだ。今日りんご持ってきたの。食べるよね?剥くね。」

私の答えなど無視してりんごの皮を剥き始めた。

しゃりしゃりとりんごを剥く音がしんと静まり返った病室に響いた。


「そりゃこの時期に体調崩して入院したら堪えるよね。うんうん。」

「…kるんですか。」「え?」


「怜美さんに何が分かるんですか!貴方みたいに最初からスターの人には私の気持ちなんて分かりませんよ!」


私が急に大声を出したから彼女は一瞬驚いた顔をしていたが、すぐにいつもの顔に戻るとこう言った。


「うん。分かんないよ。」


私は予想外の言葉に言葉を詰まらせた。


「正直、自分以外の他人のことなんて全然分かんないし興味もあんまりないよ。」彼女は続けてこう言った。

「ただね、凛ちゃん。私は、今の凛ちゃんみたいにあと少しで人気声優って舞台に立てる場所にいるのに諦めちゃった人を沢山知ってる。凛ちゃんはその人達と同じで本当に良いの?何の為にここまで頑張ってきたの?」


私はそれを聞きながら、気付いたら目から涙が溢れ出ていた。

私は同情の言葉なんかではなく、慰めの言葉でもなく、この言葉が欲しかったのだと、この時ようやく気付かされた。



この二週間後、私は病院を退院してすぐオーディションに復帰した。怜美さんの言葉を胸に、ただひたすらにもがいて努力した。

すると一ヶ月後。驚くことにあっさりと人気作品のキャストに抜擢された。


やはり人生というものは分からないものだと思い、同時に怜美さんにはやはり感謝をしても仕切れないと改めて思った。


こうして私の声優人生は幕を上げた。

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