星空の約束 1




 あんなにも強く照らしていた西日は、沈みかけていた。空は夜の色へと移り変わっていく。紺色が濃い方向では、うっすらと、星が見え始めていた。


 海にかかる橋の歩道を、波の音を聞きながら進む。渡っているのは俺たちだけ。車道には車がまったく走っていない。


 まるで、この世界に俺と星空せいらしかいないかのようだ。


 となりにいる星空せいらに顔を向ける。その目はもう閉じていたが、堂々としていた。


 キレイなのに、もったいないな。まあ、本人が不自由なくすごせるならそれでいいし、俺がとやかく言うことでもないか。


「僕のこれは、きみの女難の相と同じようなものだよ」


「……また俺の心勝手に読んだだろ?」


「あったら便利だけど、なくても困るようなものじゃないんだ」


「無視すんな。そんなに聞きたきゃ直接言ってやるから。きれ」


「言っただろ、バランスだって。特別なものをもらったぶん、特別な苦労も多くなる」


 ……こいつわかってて割り込んだな。褒めてんだから素直に聞いとけばいいのに。


 星空せいらは俺のことを無視して、言いたいことだけを続ける。


「だから、僕はきみを助けることができない」


 俺の反応を気にするように顔を向け、正面に戻す。相変わらず目はつぶったままだった。


「生まれ持った女難の相を引きはがすことはできないんだ。僕の目を、取り換えることができないようにね」


 また俺の機嫌をうかがうように顔を向ける。


 こいつ、俺がファミレスにいたときみたいに怒鳴り散らすとでも思ってんのか。俺は別にクレーマーじゃねえぞ。できねえならできねえでしょうがねえだろ。


「きみに誠実性がないのは事実だけど」


「んだとっ」


「ほら、怒るじゃん」


 ぐうの音も出ない。っていうか今のはわざと怒らせてきたんだろうが。


「ごめんね。僕はきみを、救ってあげられない」


 星空せいらの声は、暗かった。自身の力不足を嘆いているのか、俺の失望を買うことを身構えているのか。……まあ、どちらも、なんだろう。


 歩いても歩いても、目的地には、まだつかない。橋が長すぎるんだ。暗がりになった空で、星がきらめき始める。


 繁華街の中だったら絶対に見えない光景だ。夜空を見上げながら、足を止めた。


「なあ。今、どこに向かってるんだ?」


 立ち止まった俺に合わせるよう、星空せいらも止まる。


「タクシーが拾えるところ、だけど」


「呼べばいいじゃん。スマホで」


「僕は持ってないし、呼んだところでここまで来るのに時間がかかるだろ」


「確かにな。じゃあ聞き方を変えるわ。拾ったところでどこに向かえばいい? 俺には帰る場所なんてないのに」


 夜空から視線を下げて星空せいらを見ると、星空せいらは答えにくそうにうつむいていた。


 こいつは当然わかってんだ。俺にはいくべき場所なんてないって。どこに行ったって状況は変わらないって。


 頼るべき人も帰る場所も、ないんだって。


「答えられねえくらいなら、人の心読むなよ。勝手に、期待させんなよ」


「ごめん。でも……」


「謝んなっつの。わかってるんだ。あんたはただ、自分のやり方に従っただけ。今だって、あんたなりに気を遣って一緒にいてくれてんだよな」


 女に好かれてひどい目に合うってのが俺だけなら、まだよかったんだ。この「女」には、母親も含まれていた。


 思い出すのも吐き気がするようなよくある話だ。決して、健全な家庭、なんかじゃなかった。言葉にしたくもないし、声に出したくもない。


 でもされたことの記憶は消えないし、頭に浮かぶこのトラウマが、星空せいらにはそのまま視えてしまう。向けられる好意も、自分の顔も、あれほど嫌になったことはない。


 結局、俺のせいで両親は離婚した。母親から遠ざけるように父親がひきとってくれた。でも父親が再婚しそうになるたびに、俺のせいで破談になる。

 父親は俺のことを責めなかった。だからこそ俺は、家を出た。


 父親が今どうしてんのかわからねぇ。再婚なんてしてたらますます帰れねえ。母親のところなんてもってのほかだ。


 家族なんて、作らないほうがいい。気ままな一人で、いい。


「僕も、ないよ。帰る場所」


 きっとウソじゃない。こいつは同情するためにそんなウソつくヤツじゃない。


「ウソじゃないよ。僕ばっかりわかっても、フェアじゃないだろ」


 星空せいらは困ったように笑う。


「そう思うんだったら、なんで帰る場所がないのか教えろよ」


「……きみと同じだよ。帰りたくないし、帰れないんだ」


「同じなことないだろ」


「同じだよ。この目で、家族が、壊れたんだから」


 声に、感情がなかった。占い師という職業柄なのか、それともわざわざ感情的に話すことでもないと思っているのか。


 まあ、確かに。家族にこんな目をして不思議な力を持っているやつがいたら、何かしら面倒なことは起こるんだろうな。


「そう。だから、ひとり。カードが導く先が目的地。気ままに歩いていくだけ。家を出てから、ずっとそうしてきた」


「……カードを拾ったやつを占って、金をもらいながら、転々としてるってことか?」


「そうだね」


 言うのは簡単だが、実際にはかなりシビアなんじゃねえの? 占いを信じてくれるやつばかりとは限らないし。突然占って金を請求されても払わないやつだっているんじゃないのか?


「お金じゃなくてもいいんだ。ある人は野菜のスープを作って泊めてくれたし、おにぎりの人もいた。コンビニのお弁当の人もいたね」


「食いもんならなんでもいいんだ?」


 ファミレスでがつがつ食べてた星空せいらを思い出す。あれは今思い出しても、ハムスターが餌をほおばってるところにしか見えねえな。


「……食い意地はってるみたいな言い方だなぁ。報酬として成り立つならなんでもいいんだ。食べ物でもお金でも宝石でも。僕の能力と同等の価値があればね」


「じゃあ、俺もあんたの宿代くらいは払わなきゃいけないんじゃないのか?」


「……さっきも言ったけど、それはわかんない。きみの悩みを完全に消したわけじゃないし、頼まれてもないのにきみの未来を変えた。報酬をもらえる立場にないと思うんだよね」


 不器用だな。占いで生計立てるんだったら、もっとやりようがあるはずなのに。


「別に、お金を稼ぎたいわけじゃないからね」


「でもそんなんじゃ長くは続けられないだろ、体力的にも金銭的にもさぁ。それ、いつまで続けるつもりなんだ?」


 なんとなく疑問に感じて尋ねただけだった。神妙な顔になる星空せいらの答えは、俺の予想を大きく外れていた。


「死神のカードが、出るまで」


 潮の匂いをのせた生ぬるい風が、頬をなでた。


 星空せいらの髪が、揺れている。


「なかなか、出ないんだ、これが。まだ、この世界に必要とされている証拠、なのかもしれない」


「じゃあ、死神のカードが出たら辞めるんだ?」


「うん。この世界を、切り捨てる」


 星空せいらの目が、ゆっくりと開いた。


「死神のカードが出れば、僕はようやく、死ねるんだ」

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