【拾伍】第九ノ事件

(47)

 ――なぜ勝太郎は、十二人目の人柱として千代を選んだのか。

 昨日の橋元巡査の事件以来、警官たちが躍起となって、村じゅうを見張っているからである。

 単独行動を避け、複数人で動いているところに斬り込むのは、勝太郎といえど危険である――武道の達人であるほど、リスクの高い戦いを避けるものだ。それに彼はあと二人葬らねばならず、捨て身にはなれない。

 そんな警官たちの目が届いていないのは、むしろ、家の中。一度侵入してしまえばかえって自由に動ける。

 そして、千代がこの村の出身でない事も、理由のひとつであった。村人の犠牲者は出さない。ならば警察官でなくとも、戦争孤児の千代でも構わない。身寄りのない身、悲しむ者もいないだろうと。

 そう考え、勝太郎は昼間は森に潜伏して警官たちの目を盗み、家人が寝静まった頃合いを見計らって塀を乗り越え、千代が寝起きする使用人小屋に押し入ったのだった。


 千代は胸を張って前に出ると、こう言い放つ。

「私は逃げも隠れもいたしません。どうぞお里さんを離してくださいまし」

 虚勢だろうが、その毅然とした姿勢は勝太郎を感動させるほどだった。

「ありがとうございます」

 彼はお里を離し、代わりに千代の手を取る。

「一緒に来てください」


 どうせ殺すのだ。あの場で斬っても構わなかったのだが、ここで彼の心遣いが出た。ただでさえ、女を手に掛けるのに気が引けないと言えば嘘になる。ならせめて、残酷な場面と哀れな死に様は、他の女中たちに見せないでおいてやろう。彼はそう考えたのだ。

 屋敷の庭も篝火で明るく照らされている。無闇に動いて、男連中に見られたらまずい。とはいえ、早くしなければ女中たちが騒ぎ出すだろう。

 建物の影に身を隠して様子を伺っていると、千代が囁く。

「私を殺すのですか」

「……はい、申し訳ありません」

「ならば、せめて死ぬ場所は、私に選ばせてくださいませんか」


 千代の導きで向かったのは、養蚕研究所の奥の室だった。室の中では清嗣翁、外の階段で息子の滋が死んでいた、あの場所だ。

 彼女は入口に置いてあったランプに灯を点すと、勝太郎の手を取り、室の奥へと入っていく。そして、神棚の下――清嗣翁が倒れていた辺りに立ち、勝太郎を振り返った。

 惨劇の跡はすっかり片付けられ、何もなかったかのように清冽な風だけがあった。その涼やかな風を受け、彼女は清々しいまでの調子でこう言った。

「私の一番大切な方が亡くなったこの場所で、私も殺してくださいまし」

 その言葉は余りにも揺らぎがなく、勝太郎は不思議に思った。

「なぜ、死に急ぐのですか?」

 千代は軽く目を伏せる。

「母が死に、父に捨てられたあの時に、私は既に死んでいたのです。旦那様のご慈悲でここまで生き延びてきましたが、旦那様とご一緒に十三塚の柱となれるのなら、私は本望です」

 何と潔い娘か。粛然と彼に向き合う千代を見ていると、士官学校への入学が決まり、万歳三唱で送り出す村人たちの中、不動のまま彼を見つめていた川上とし子を思い出す。

 その幻影を振り払うように、勝太郎は刀を持ち直した。

「……分かりました」

 勝太郎は刃を振り上げる。その前で、千代はひざまずき、首を差し出す。


 ……ところが刀は、いつまで待っても振り下ろされない。


 不思議に思った千代が顔を上げると、何と、勝太郎が涙を流しているではないか。

「どうなさったのですか?」

 千代の問いに、彼は答えた。

「やはり……あなたは殺せません……軍人失格です」


 後ほど、この時の理由を彼はこう答えた。

「彼女の姿が、とし子さんに見えてしまったのです」


 確かに年齢は近いが、とし子と千代は全く似ていない。不思議な話だが、この時、とし子が千代を守ったのではないかと、筆者にはそう思えてならないのである。


 ともあれ、勝太郎は刃を収めるしかなかった。千代を残し、室を出ようとしたのだが……。

「いたぞ!」

 女中たちの知らせで駆け付けた警官が、室の前に押し寄せたのである。室には出入口がひとつしかなく、周囲は天然の洞窟。十数丁の銃口を向けられては、為す術もない。

 ――こうして、田中勝太郎は逮捕されたのだった。


 ◇


 田中常勝は床の間を向いて正座し、外の騒々しさに戦慄に似た心地を覚えていた。

 ――勝太郎の姿が見えないと気付いたのは、昨日の夕方。食事の時間になっても来なかったので使用人に聞いたところ、

「ご昼食の後に、十三塚神社に行ってくるとお出掛けでしたけど」

 と返事した。刀のようなものを持っていたので、武運長久ぶうんちょうきゅうを祈りに行くのかと、彼女は不審に思わなかったらしい。

 ……その刀は、床の間に飾ってあったものだ。今は、鹿角の刀掛けがのみが虚しく鎮座している。

 嫌な予感がし、探しに出ようとした直後、警官が斬り殺されたと聞き、間違いないと思った。


 この刀は元々、上納された生糸を喜んだ沼田藩の殿様が、半家に下賜かししたものらしい――これで清一は、旅芸人の一座……いや、盗賊団一味の、あの男を斬ったのだ。

 それを一人殺した手柄にと、まだやんちゃ坊主だった常勝に清一は授けた。当時はそれを勲章だと思った。純粋に誇りに思った。

 今なら、万一犯行が明るみに出た場合のために、体よく凶器の隠蔽を図る思惑があったのだろうと理解できる。

 ともあれ、血の跡、脂の跡を綺麗に拭き取り、家宝として大切にしてきた。

 ……その、惨劇の元凶とも呼べるあの刀を勝太郎が持ち出し、十三塚の生贄の足しに警官を斬ったとは、何の因果だろうか。


 だが常勝は、警官に申し出なかった。勝太郎が村に帰郷している事を知っているのはごくわずかな者だけだ。黙っていれば、うまくやり過ごせるかも知れない。そう考えたのだ。

 それは勝太郎を守っているようで、彼自身を守っていた。

 ――一昨昨日さきおととい、彼は五十年前の話を、さも自分は正しい事をしたというように語って聞かせた。すると勝太郎は、

「私は、お義父上は立派だったと考えます」

 と言い切ったのだ……それが、彼には恐ろしかった。

 純粋無垢な青年に、誤った正義を植え付けたその果てを、彼は戦場で幾度も見ている――かつての自分もそうだった。

 だが今さら訂正する訳にもいかない。元軍人として、誤った判断を認めてはならないと、彼は強く思っていた。力ある者は正義の側に立っていなければならないと、強迫観念に似た思いを持っていた。

 だから、勝太郎がうまく切り抜けて、村から逃げ延びてくれるよう祈っていたのだが……。


「夜分恐れ入ります。警察です」

 大戸を叩かれ、田中常勝はガクリと肩を落とした。

「……何もかも終わりだ……」

 踏み込んできた警官たちに、参考人として同行を求められ、田中常勝は力なく立ち上がった。


 ……こうして、十三塚村に於ける連続殺人事件は終幕を迎えた――かに見えた。

 だが、新たな火種を、とある人物が投下したのである。

 それは、翌五日十八日の朝、東馬家の新家のとある農家。外出禁止を解除された人々は、遅れ気味の田植えについての相談をしていた。

 するとそこに、思わぬ人物が顔を出したのだ。


 ――東馬仁兵衛である。

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