(34)

 一同は言葉もなかった。

 村人たちは顔を見合わせ、だが比較的落ち着いた様子である。恐らく、現物は見た事はなかったが噂には知っていた、という風であろう。

 そして六ツ塚の件も、警察や保憲の耳に入らなかっただけで、村人たちには広まっていたのだ。

 川上村長と田中常勝は、正気を失わんばかりに震えている。村人を束ねる立場の足場が、この暴露で完全に崩れ去ったのだ。五十年もの間、この封鎖的な村に秘めてきた秘密が、外部の者の目に晒されてしまったのだから。

 そして、その秘密を突き付けられた百々目と保憲もまた、予測はしていたものの、目の前のおぞましい真相に立ち尽くすしかなかった。

 何度も呼吸を繰り返し、ようやく言葉を発したのは保憲である。

「なぜ、旅芸人一座、そしてという人を、殺さねばならなかったのですか?」

「清一さんが悪いのだ」

 震え声で答えたのは、川上琢敬である。

「あの人は、あの旅芸人一座が盗賊の集団だと言った。今晩、村が寝静まったら皆殺しにされると」

 ようやく身を起こし、田中常勝が続けた。

「村を守るため、仕方がなかったのだ。らねばられる。親父たちも、そう信じていた……」


 ◇


 ――五十年前の、明治七年。

 半清一の招致で村にやって来た軽業芸人の一座の興行は大成功だった。

 当時、役場は繭の加工場として使われていたため、興行は十三塚神社の境内で行われた。娯楽の少ない村の人々はこぞって集まり、曲芸を交えた珍しい芝居を存分に楽しんだ。

 中でも皆を魅了したのは、幼いと呼べるほど若い娘による軟体踊りである。関節がないかのような滑らかで不思議な踊りは、村人たちを大いに熱狂させた。

 興行後、一座はそのまま神社の本殿に泊まる事となった。

 楽しかった夜は、こうして平和に暮れていく……と思われたのだが。


 最初に異変に駆け付けたのは、当時はまだ三十になったばかりの東馬仁兵衛――雄二の祖父である。

 半家の下男に呼ばれて加工場に駆け付けた彼は、そこにあるものを見て腰を抜かした。

 ――そこには、一座の軽業師の青年の死体と、血濡れた日本刀を手にした清一の姿があったのである。

「ななな、何事ですか!」

 慌てふためく仁兵衛に、清一はこう言った。

「奴らは盗賊だ」

「…………へ?」

「秘伝の繭の製法を盗もうとしていたから、斬り捨てた」

 仁兵衛は刃から滴る血に息を呑む。江戸から明治に時代が移ったとはいえ、この閉鎖的な村にその感覚はまだ薄かった。御館様に逆らう事は死を意味する――封建的な思想が当たり前であったのだ。だから仁兵衛も、死体の青年は悪者であり、清一は正しい処断をしたと疑わなかった。

 清一はそんな彼に顔を寄せる。

「この男はこうも言っていた。今晩、村を襲って皆殺しにする。皆が寝静まるのを待って、この村を焼き払うのだと。そうすれば、繭の製法を盗んだ事がバレずに済むからな」

 返り血を浴びた清一の顔を見上げる仁兵衛の肺が、ヒィヒィと音を立てる。その表情を眺め、清一は立ち上がった。

「黙って皆殺しにされるのを待つのか、それとも……」

 清一の手の刃が、男の死体に突き立てられた。


 仁兵衛は加工場を飛び出し、一番近い田中家へと駆け込んだ。そして寝入りはなの田中家当主――常勝の父を叩き起こし、事情を説明する。

「や、らねばられる。皆を起こして、奴らを襲おう」

 それを信じた常勝の父は、一族の男を呼び集め、急遽自警団を編成した。

 田中家の後、すぐ向こうの川上家にも仁兵衛は走った。そして、村長を務めていた川上琢敬の父に、自警団が一座を始末する旨を伝えた。彼もまた一族の男を集め、自警団に加わったのである。

 ――こうして深夜、鍬や鋤や竹槍を手にした男たちは、吊り橋を渡り、十三塚神社に向かった。


 彼らのやり方は徹底的だった。まず吊り橋を落とし、逃げ道を断つ。

 何度も述べているが、この村は平家の落人の隠れ里であり、そのため村の構造自体が、外部からの侵入を防ぐようにできているのだ。村の入口がひとつしかなく、かつ橋を渡らねばならないのもそれが理由である。片口川を天然の堀とし、橋を落とせば村に入れなくなるのだ。

 この吊り橋も然り。最悪の場合には十三塚神社に立て籠るため、簡単に落とせるよう造られているのである。

 鉄壁の防御は同時に、内部から外部への退路も断つ。彼らが吊り橋を落としたのは、ごく当たり前の考えだった。

 そうしてから、足音を忍ばせて石段を進んだ彼らは、一気に本殿へと雪崩なだれ込んだ。


 ……そこから先は、地獄だった。

 子を守ろうと必死の母を鋤で叩きのめし、逃げ惑う男たちを鍬で殴り倒す。

 必死で命乞いする老女を竹槍で仕留め、泣き叫ぶ子供を崖から蹴落とした。

 吊り橋まで逃げたものの、ぶらりと崖に垂れたそれを見て絶望した青年が、川に身を投げようとするのを引きずり戻し、罵詈雑言を浴びせながら、顔の形がなくなるまで殴り続けた。

 本殿のすぐ脇に住んでいた宮司……西宮司の祖父も、その騒動を知らぬはずはなかった。だがこれまでにも、十三塚の人柱として多数の人間が同じ目に遭っているのを知っていたため、その凶行を見て見ぬふりした。

 地獄は明け方まで続き、薄明りの境内には、見るも無残な亡骸が、転がっていたのである。


 そしてひとつところに遺体を集め、自警団が顔を合わせたところで、問題となったのは遺体の数である。

 一座は十三人。加工場で一人死んでいるのを入れて十二人だ……一人足りない。

「お、御館様は皆殺しにしろと仰せだった」

「踊り子の娘がおらんのではないか」

「どうする? 一人でも逃したとなれば、俺たちもタダでは済まないぞ」

 そこに、その提案をしたのが誰だったのか、今では知る由もない。


「きよめのを、足してやればいい」


 皆は顔を見合わせた。

 おいよは、おぬいの娘である。十五になる彼女は、踊り子と年恰好が似ていると思われた。

 ……というのは、彼女がここ何年もの間、人々の前に姿を見せた事がないからである。

 彼女は、重い皮膚病を患っていた。感染性のその病は当時不治の病とされ、見た目の変化の著しさから差別的に忌避された。そのため彼女は、家族とも離れ、神社の山を下った竹藪の奥の小屋でひとり、ひっそりと生活していたのである。

 夜が明けきる前にと、男が数人、彼女の暮らす小屋に向かう。そして寝ている彼女を連れ出し、十一の亡骸に加えたのだった。


 さて、それを清一に報告しに行く段になって、困った事があった。どうやって十二人を殺したと証明するかである。

 彼をこの場に連れて来ては、一人逃がしておいよを身代わりにした事がバレてしまう。

 その時、誰からともなしに「左耳を切り取って持って行く」という案が出た。おいよの顔は酷い瘤に覆われていたのだが、左耳だけは綺麗なものだったためだ。

 こうして、遺体全てから左耳を切り外し、清一の元へと行った自警団の一同だったのだが……。


「十二人を皆殺しにしたのか」

 清一の含みのある言い方に、一同は顔を見合わせた。やがて田中常勝の父が代表して、

「軽業一座の十二人、確かに始末しました」

 と答えた。すると奇妙な表情を清一は浮かべた。

「なぜ、それを私に報告に来たのだ?」

「…………な、何と?」

「私は一座を皆殺しにしろとなど、一言も言っていないぞ」

 ざわめく彼らに、だが同情的な顔で清一は言った。

「だが、おまえたちの村を思う気持ちはよく分かった。その正義感を汲んで、今回の件は『なかった』事にしてやる」

 ――つまり、一座の遺体を隠し、凶行の記憶を村内に留めてしまえば、今回の事件は表向きには『存在しない』ものとなる、という意味だ。

 清一の言う通りにするしかなかった。

 一同は神社に戻り、十三塚に、彼らの殺めた十二人と、清一の斬った一人、計十三人の亡骸を埋めたのである。

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