(6)

 ――私の目の黒いうちに彼を探してほしい――

 清嗣氏が荻島弁護士に託した「遺言」である。

 写真を写真で撮った複製品であるらしく、荻島弁護士は、相続人とされる自分の写真を置いていった。

 書斎の机にそれを置き、さてどうしたものかと、土御門保憲は頭を悩ませていた……彼が「神通力」と称していたのが、仇となってしまったのだ。

「神通力をお持ちのあなた様なら、この無理難題も瞬く間に解決してしまうだろうと、兄君がそう仰っておられました」

 ……世話になる兄とはいえ、無謀にも程がある。保憲は深く溜息を吐く。

 とはいえ、引き受けてしまった以上……いや、断るという選択肢はなかったのだが、何とかしなければならない。

 そして彼は、昨日の増岡編集長との会談を思い出していた。十五の白骨と、十三人の旅芸人一座と、腰に銃創のある骨……。


 ――それらに共通項があるとするなら、写真の人物は既に故人である。


 日露戦争で腰に銃創を負った人物と、写真の青年の軍服――明治時代の陸軍歩兵の軍衣である――とに、どうも繋がりが連想されて仕方がないのだ。

 勿論、彼が銃創のある腰骨の持ち主であるという証拠はどこにもない。ただの想像である。

 ……だが、保憲の第六感的なものが、その可能性を強く憂いていた。

 保憲は特に第六感というものを信じてはいない。だがどこかに、写真の人物と白骨の人物を繋げてしまう何かがあると、半ば確信のように思った。

 とすると、果たして清嗣翁はこの人物を、本当に知らないのであろうか。

 そもそも清嗣翁は、老仏の温泉旅館を押し流した土石流に乗ってやって来た十五の白骨について、何も知らないのだろうか。

 もし、清嗣翁が写真の彼を知っているとするならば、このような遺言を作る意味とは、一体……。


 すると、書斎の扉がノックされた。執事の浅尾である。

「忠行様からのお届け物でございます」

 と、保憲は渡されたハトロン紙の包みを解く。中身は、立派な装丁を施された一冊の本だった。

「……半製糸工業、社史……?」

 どこでこんなものを手に入れたのか。保憲は感心にも呆れにも似た感情を胸に、その表紙をめくった。

 発行年は明治五年。まだ先代である清輔氏が社長を務めていた当時のものだ。

 まずは、社長である清輔氏の顔写真。いかめしい顔立ちにガッシリとした肩幅の、無骨な印象の人である。

 次の頁は副社長以下、執行役員の面々。

 副社長は清一氏――五十年前、謎の失踪を遂げたという清輔氏の子息である。確かに、骨張った逞しさが父の面影を残している。

 専務執行役に、若かりし頃の清嗣翁。彼は細面で、父・清輔氏や腹違いの兄・清一氏には全くと言っていいほど似ていない。母親似なのだろうか。

 それから何人かの写真の後、養蚕や製糸の工程を解説する写真が並ぶ。あとは創業からの年表に、製品の紹介、前橋の新社屋前で従業員と並んだ記念写真――。

 社史としては、ごくありきたりの内容である。無理難題を押し付けた責任と、参考にしろという意味で、兄は送ってきたのだろう。

 そう思いながら、保憲はもう一度、執行役員の顔写真が並んだ頁を眺めた。

 ――そして、ふと浮かんだ嫌な予感に、背筋が寒くなった。


 十五の白骨と、十三人の旅芸人一座と、腰に銃創のある骨……。

 それを当て嵌めるとすると、ひとつ白骨が余る。

 それはもしかしたら、失踪したという清一氏ではないのか?

 もしそうだとしたら、ピタリと数が合ってしまう。


 それは彼にとって気持ちの悪いものだった。

 もしパズルのピースのように、彼らの収まる位置がそこであるとしたら、そこに収まるための他の数々のピースとは、果たしてどんなものなのか……。

 彼にはどうにも、それらがどうしようもなく不穏なものに思えて仕方なかった。


 ◇


 ――――一方、洗足田園都市せんぞくでんえんとしの蘆屋邸。

 その日の夕方、蘆屋いすゞは一人の来客の訪問を受けていた。

「いすゞお姉さま! お久しぶりですわ」

 彼女は出迎えたいすゞに駆け寄ると、欧米式にハグで挨拶をした。

「こちらこそ、ご無沙汰してるわね――なか夏子なつこちゃん」


 半夏子。

 半製糸工業東京営業本部の本部長である、半聡の娘である。


 昨日、十三塚村を取材した話を土御門保憲にしたばかり。このタイミングで彼女の来訪を受けるとは、何かの縁を感じずにはいられない。

 応接間のソファーに招き、蘆屋いすゞはメイドに供されたミルクティーを彼女に勧めた。

「どうしたの、急に」

 いすゞがそう問うと、夏子はもじもじと上目遣いをした。

「いすゞお姉さまなら、込み入った話も深刻にならずに聞いてくれるかな、と思って……」

 どうもいすゞは、特に同性から頼られやすい性質なのだ。


 蘆屋いすゞと半夏子は、財閥や経済界の重鎮が集まる懇親会で出会った。

 お世辞とダンスにウンザリしたいすゞが庭園に逃げ出した時、バッタリと夏子と鉢合わせたのだ。

 彼女もまた、社交界で顔の利く母に、修行にと連れて来られたのだが、慣れない靴と夜会服に疲れ果て、逃げ出したのだった。

 靴を脱ぎ捨て噴水で足を冷やしながら、二人は他愛のない話で笑い合った。

 それからというもの、時折連絡を取り、浅草オペラや活動写真を楽しんだり、カフェーで珈琲をお供に世間話に花を咲かせたりした。互いの親に知られたら苦言をていされそうな付き合いであったが、若い娘の遊びとは、そういうものだ。

 ……ところが、関東大震災の後は、どちらからともなく連絡を取らないでいた。

 それが急に電話を寄越したのが、今日の昼である。危急の用と、彼女の勤める出版社まで下男が連絡をしに来たものだから、いすゞは驚いた。


 ミルクティーと焼菓子をお供に、やはり話題となるのは震災以降の事である。

 震災で銀座の東京営業本部も大打撃を受け、夏子は、今は恵比寿の仮社屋で生活しているようだ。

 とはいえ、大会社のご令嬢である。いすゞほどに飛び抜けてはいないが、十分に美人で通る容貌に濃く紅を引き、流行りのワンピースに身を包んだ、先進のモダンガールスタイルをしている。

「下品だからやめなさいと父や母には言われるけど、もう私は大人よ。親の言いなりは嫌なの」

 と、夏子は口を尖らせてミルクティーを飲んだ。

「……で、込み入った話って何なの?」

 いすゞは膝丈のスカートから伸びたスラリとした脚を大胆に組む。夏子はその所作に憧憬どうけいに似た色を目に浮かべながら、静かにティーカップをテーブルに置いた。

「震災で焼け出されたのに、どうして群馬の実家に戻らないのか、不思議だったの。父も母も、あまりその事について話をしてくれないから。でもこの前、母と大喧嘩をした時に聞いたのよ」

 アイシャドウを強く引いたまぶたを伏せ、夏子は呟いた。

「伯父――つまり、父のお兄さんね、その方と父、犬猿の仲みたいなの」

「あら……」

「というより、父が一方的に目の敵にしてる、と言った方が正しいわね。そんなんだから、意地でも前橋には戻らないって」

 夏子の口調はどこか投げやりだ。

「それなのに……いや、父と伯父の関係がそんな風だから、二人を取り持つために、私、伯父の息子の太輔だいすけさんと、結婚させられそうなの」

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