【第七】西日倭紀外文書の事
時は昭和18年(1943年)4月18日、山本五十六連合艦隊司令長官がブーゲンビル島上空で戦死した、同日の朝——神奈川県横浜市内の農家、綿貫小太郎氏宅の床下から一本の孟宗竹が床板を突き破り、畳を押し上げて
孟宗竹の先には一
それハ、神奈川県南東部を流れる二級河川・境川とその支流・柏尾川流域にかつて存在した謎の古代国家「
いましがた述べたとおり、この国家についての記述は記紀にはいっさい見られませン。タダ、この国の
但シ、この点『紀外文書』に書かれた内容は『古事記』のソレとは正反対でございまして、謀ったのはタケルのほう… 哀れな西日倭大衆国は火攻めに遭い、まんまと滅ぼされたのだと記されてございまス。
どちらに真偽があるか明らかではございませんが、クマソタケルの暗殺などに見られるがごとく、謀略はヤマトタケルの
然れバ、発見当時は「忠君愛国!」「尽忠報国!」「くたばれ!ミニッツ、マッカーサー!」の時代——その内容を不敬と判じたのでございましょう、発見者の綿貫氏は『紀外文書』を門外不出として私設文庫に封印いたしまス。
それは遺訓となって綿貫氏の死後も遺族に受け継がれましたが、時代が80年代に入ると、『紀外文書』を相続した綿貫家長男の義作さんが独自に「西日倭大衆国」の研究をはじめます。90年代からはその成果を不定期のミニコミ誌に発表… 『西日倭紀外文書』の名は一部の陰謀論者や都市伝説マニアのあいだで少しずつひろがりはじめます。
さスれば、コロナ禍まっ只中の2020年夏——義作さんは退職金の大半に手をつけて、リコンの慰謝料なにするものゾ、と研究の集大成となる悲願の大著『私家版・
ここからは『西日倭大衆国研究大全』からの抜き書きを基にお送りいたしまショウ——
それによりまスと、「この国家のルーツは、かつて南海に存在した未知の島国にあり」、その名も「
その国にひとりの太子がございまして、たいへんな美少年であったことから、現地に咲く
ある時、太子は「父王から中国の皇帝へ
ちなみに国名の「大衆国」は、「太子」もしくは「大使」の国と云うことで、最初「タイシ国」であったものが、のちに転訛して「タイス国」、王を戴かぬ合議制国家であったため「大衆国」の字が当てられた由——
この国の社会制度の特徴としましては、「私有財産の否定」「民衆の公的財産使用収益権の保護」「児童の集団養育」だと申しまス。
これらは狩猟採集民の特徴とも見て取れますが、先の二つは19世紀マルクス主義の先鞭をつける「古代共産主義」とさえ読み解けます。
義作さんも『西日倭大衆国研究大全』のなかで、「国家体制はマルクス主義… いや、サド侯爵がバスチーユ監獄で夢想した絶海の理想郷を彷彿とさせる、共産主義ユートピアの具現化であった!」と書いてございまス。
また特徴の三ツ目、「児童の集団養育」から推して、「習俗は母系社会の色彩濃く」「花婿が花嫁の家庭に入婿する母方居住型」と仮定——
生態人類学の見地に立ち、「母方居住型の花婿は、血縁者のいない女性中心の家庭に身を置くため、家庭外の同性に連帯を求める」傾向にアリ、それが「隣接した集落との友好関係を促進」させ、家庭そのものは「亭主元気で留守がいい」環境となる… さらに集落間の男性社会の連帯は「前国家社会において強力な同盟の基盤となる」ため、それが「西日倭大衆国、勢力拡大の要因であった」と、義作さんは分析しておりまス。
建築技術は「それほど発達しておらず、住居は竪穴式であったか?」と推測——
されど「測量技術や土木技術は高度にすすんで」おり、その精華が「瑪良親王大陵墓」だそうで、これは「直径1㎞の真円を描く超巨大円墳」だったとされ、その大きさは「世界最大級の大仙陵古墳がまるごとすっぽり収まるほどの巨大さであった」と申しまス。しかもその特異なことに、「大陵墓を母体とし、その墳墓上に領内各氏族の小型円墳が20基前後設けられていた」のだとか——
義作さんによれば、その所在地は「現在の横浜南西部、おそらくJR戸塚駅と等緯度、境川と柏尾川に挟まれた地域にあった」とかなり限定的に推定されておりまス。ただ残念ながら、さような墳墓の痕跡が当該地域で発見されたと云う報告は、いまだ耳にしてございませン。
宗教的には田藻盈国土着の神「
『紀外文書』によれば、田藻神は正式には「
大衆国が滅亡したのちも信仰は絶えず、むしろ武蔵野地域にまで伝播… 21世紀初頭に到っても新宿東口スタジオ・アルタを中心に安産の神様として信仰されつづけていたそうにございまス。
ところで、大衆国のルーツとなった未知の島「田藻盈」でございますが、その所在地域を『紀外文書』に求めまスと、「田藻盈は
然れバ、ここに邪馬台国の謎が影をさすのでございまス!
『魏志』の「倭人伝」にある邪馬台国への旅程をざっと見れバ、「帯方郡(朝鮮半島中西部)を海岸沿いに航海し、南へ下ったり東に向ったりしながら
さればこソ、「邪馬台国」研究家の多くは一里の長さを縮メたり南を東に捻じ曲げたり、その位置をなんとか畿内や九州北部に落とし込もうと苦心惨憺、
然れども「倭人伝」のその後をよくよく読めバ、「
さすれバ、それはまさしく『紀外文書』にある田藻盈国の
【第八】につづく——
◆参考文献
斉藤光政『偽書「
マルキ・ド・サド 著、澁澤龍彦 訳『食人国旅行記』河出文庫 1987年
マーヴィン・ハリス 著、鈴木洋一 訳『ヒトはなぜヒトを食べたか——生態人類学から見た文化の起源』ハヤカワ・ノンフィクション文庫 1997年
岡田英弘『倭国の時代』ちくま文庫 2009年
岡田英弘『歴史とはなにか』文春新書 2001年
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