第6話





 と、決意を新たにしたばかりだというのに。

 激情に任せて怪異を召喚するのはこれで二度目。意志薄弱にも程がある。この調子では三度目もありそうだ。

 腰巾着の女子がギャルカップルを介抱している。市場の冷凍マグロよろしく教室の床に並ぶ二人は、白目を剥いて絶賛気絶中。手加減をしたつもりだが、慣れない上に勢い任せの召喚だ。想定外の力が出てしまったのだろう。騒動の痕跡こんせきの割に、目立った外傷がないのは不幸中の幸いか。


「二時間目を始めるぞー」


 そうこうしているうちに、ミスターTがのっそり猫背で戻ってくる。眠たげでやる気の「や」の字も感じられぬ面持ちだ。

 教室の惨状に小言の一つでもあるかと覚悟していたが、一瞥いちべつしただけでおとがめなしらしい。背後の寺骨も同様だ。いくら治安が終わっているとはいえ、本当にそれでいいのか。〈鉄檻〉の常識は浮世離れしている。


「本日の課題は――コレだ」


 どん、と教壇の上にガラスびんが置かれる。見た目は何の変哲もないが、中身はどぶ色の瘴気でよどんでいる。


(なぁんだ、無名の怪異の詰め合わせか)


 瓶に入っているのは野良の怪異だろう。どこかの事故物件あたりで生まれた、な連中をごっそり捕まえてきたのか。一匹一匹は非力な存在だが、集まると厄介極まりない。一般人なら命を落としかねず、仮に〈浄霊師〉であっても油断すれば火傷やけどする。


「こいつらから授業時間いっぱいまで逃げ切ること。ただし、教室から出るのは禁止ってことで。ルールは理解したな?」


 説明もそこそこに、ミスターTが瓶に手をかける。

 ぽんっと小気味よい音がしてコルクが抜かれた。途端、怨念渦巻く霧状の怪異が噴き出した。老若男女が混ざり重なり合い、身の毛もよだつ怨嗟えんさの絶叫を上げている。


「ちょ、マジでヤバいヤバいヤバいって!」

「いつの間に授業始まってるんだよ!?」


 マンホールギャルが飛び起きて、続けてギャル男が慌てふためく。気絶したまま無防備なところを襲われたら大変だ。二人は冷や汗を垂らしながらも、すぐさま臨戦態勢に入っていた。


(さすが腐っても〈怪異持ち〉だ。復帰からの立て直しも早いね)


 無名の怪異は瞬く間に流れ出て、教室の空気をどぶ色に侵食していく。骸骨がいこつ彷彿ほうふつとさせる顔が、あちらこちら勝手気ままに飛び回っている。

 この授業の狙いは、〈浄霊師〉見習いとしての戦闘能力向上なのだろう。この程度の怪異相手に苦戦していては話にならない、ということか。理屈は分かるがあまりにも力業だ。もっと段階を踏んで教育するべきじゃないのか。生徒の命を危険に晒しても構わない。そんな〈鉄檻〉の方針が如実にょじつに表れている。


(まぁ、他の生徒達にとっては、これがいつもの光景みたいだけどねぇ)


 襲い来る怪異に対抗して、生徒達は各々固有の呪文を唱え、〈怪異能力〉を発動している。巨大化したり獣に変身したりと、己の肉体を強化して戦う者。あるいは鏡の中に飛び込み戦闘を回避する者。先ほどのいじめられっ子の場合は後者だ。体を細長くして、壁とロッカーの隙間に逃げ込んでいる。わずか一センチメートルの空間だ。発育良好な肉体が綺麗に収まっているのは凄いと感心するべきか。だが、いざ攻め込まれたら袋のネズミだろう。自ら退路を断っているに等しい気もする。

 と、暢気のんきに周囲を観察している場合じゃなかった。

 俺は他のクラスメイトと違い〈怪異能力〉が使えず、この身一つで逃げ続ける必要がある。いくら肉体が瘴気で頑丈になっているとはいえ、丸腰ではいずれじり貧だ。かといって、雑魚ざこ怪異相手にハイリスクな召喚なんてもってのほか。砂場遊びでショベルカーを持ち出すようなものだ。過剰戦力過ぎる。

 さて、どうしたものか。


 天井で渦巻く悪鬼の煙が舌舐したなめずり、生者の命を食らおうと牙を剥く。教室中に広がっていた怪異が、四方八方から一斉に降り注いでくる。

 向かう先は――俺だ。

 対抗手段を持たぬ落ちこぼれでは、他の生徒以上に襲いやすい獲物でしかない。

 無力な人間を、内部の怪異ごと引き裂きもぎ取りむさぼり食う。

 迫る魔の手が俺の喉元のどもとへと届く――その直前で、ぴたりと止まる。渦巻く悪意が一斉に静止した。

 何事か、といぶかしむ間もない。野良怪異達は瘴気を震わせて、さっと瓶の中へと戻っていく。まるで虫除けスプレーだ。一匹たりとも近寄ってこない。

 応戦と回避に必死だった生徒達は、不思議そうな瞳でこちらに視線を注いでいる。あまり注目してほしくないのだが致し方ない。怪異を撃退するどころか寄せ付けないのだ。嫌でも関心を引いてしまう。


「巴坂君、凄いです……っ!」


 いじめられっ子も隙間からにゅっと顔を出す。

 キラキラと羨望せんぼうの眼差しを向けてくるのだが、正直言って困ってしまう。

 野良怪異達は俺自身に怯えて逃げ出したのではない。俺の魂と同化している存在に恐怖したのだ。一山いくらの雑魚では太刀打ちできない、凶悪極まるおぞましい怪異である。瘴気を食らって己が物にしようとも、逆に捕食される未来が待っているだけ。当然の結果としか言いようがない。

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