煩い人

星来 香文子

第1話 美しい人


「本当に、白くて、美しい人だったの」


 それが、私の親友・君和きみわ百合花ゆりかの最後の言葉でした。

 この言葉を最後に、百合花は姿を消したのです。

 家族ですら、誰も百合花がどこに来てしまったのか、わかっていません。


 私は今でも、ビデオ通話の画面越しに見た百合花の最後の、あの嬉しそうに、何かに心を動かされ、興奮している表情かおを忘れることができません。

 百合花は、オタク気質というか、一度ハマったらとことん沼から抜け出せなくなるタイプでした。

 姿を消す少し前————百合花がファンクラブに入り、足繁くライブに通っていた推しが自殺しました。

 もちろん、熱狂的なファンであった百合花は落ち込んでしまいます。

「私も一緒に死ぬ」と言った時は、本当に大変でした。

 ですから、新しい推しを見つけて、やっと立ち直ったのだと、私は安心していました。


 それも、相手は芸能人でも二次元でもなく、同じ校舎に通っている先輩だという話でした。

 とても健全な方向に進んでよかったとホッとしていたのですが、百合花は毎日いかにその人が美しいか。

 そんな話ばかりを興奮気味にしていました。


 当時、私は親の仕事の都合でアメリカの学校に通っていましたが、百合花とは幼稚園の頃からの親友でしたので、ほぼ毎日、通話をしていたんです。

 他の友達の近況も、百合花を通して聞いていました。

 ところが、ある日突然、百合花からの連絡が途絶えました。

 私から連絡しても、メッセージに既読さえつきません。


 何があったのかと、別の友達に聞いたのですが、わからないとのことでした。

 突然、学校に来なくなり、家にも帰っていないそうです。

 捜索願も出しているようですが、今のところ、なんの手がかりもないそうです。


 私は、百合花が「夜の七時以降に校舎にいてはいけない」という校則を破っていることを知っていましたから、夜の学校で何かが起きているのかもしれないと思いました。

 この校則は、百合花の通っている陽光ようこう学園高校が、新校舎を建設中の間借りている夜間学校・月光げっこう学園高校との間の取り決めたものでした。

 陽光学園は女子校ですし、月光学園は共学だけれど圧倒的に男子の数が多い学校だそうで、生徒同士のトラブルを避けるために、決して関わらないためだそうです。


 陽光学園の生徒である百合花が、何度もこの校則を破っていたと知れれば、陽光学園は月光学園の校舎を間借りすることができなくなってしまいます。

 なので陽光学園の職員たちは、百合花が月光学園に度々忍び込んでいたという事実を隠しているようです。

 でも、それではいつまでたっても、百合花は見つかりません。

 そこで私は、両親に頼み込んで日本に帰国し、陽光学園に転入しました。

 本当は月光学園に入りたかったのですが、月光学園に入るにはある条件が必要だそうで、私はその条件に該当していないとのことです。


 転入初日、私はわざと教室に忘れ物をしました。

 もし見つかっても、言い訳ができるように……


 そうして、授業が終わり一度自宅に帰って私服に着替えた後、私は校門のそばで様子を見ながら何食わぬ顔で堂々と正面から中に入りました。

 月光学園は制服がないので、登校している他の生徒の中に紛れることは簡単です。


 確かに男子生徒が多いですが、女子生徒の姿もありました。

 極力怪しまれないように……と、思っていたのですが、緊急集会を行うため、体育館に集合するよう校内放送がかかりまして……

 私も怪しまれないように、その人並みに紛れて体育館へ行きました。


 学園長らしき人が少し話した後、生徒会長がステージに上がりました。

 私は一目見て、この生徒会長が百合花の言っていた白い人だと確信しました。


 肌も、髪も、着ている詰襟の学生服も靴も、何もかも真っ白で……とても美しい人でした。

 瞳の色だけが赤く、それ以外は何もかもが美しい白。

 距離があるのに、美しいとわかる目鼻立ち。


「まず、来週から始まる体育祭についてですが……」


 マイクを通して体育館に響き渡る、低く落ち着いた声。

 聞いただけで心を奪われるような、不思議な声でした。

 話し方も知的で、背も高く、その容姿も非の打ち所がない生徒会長————すめらぎ流星りゅうせい様は本当に、白くて、美しい人でした。


 それはほんの一瞬の出来事だったのです。

 彼は、その赤い瞳で、私の方を見ました。

 間違いありません。

 たった数秒。

 目が合っただけで、私の身体は熱を帯びて、耳の奥で聞こえる鼓動の音が激しく大きくなっていきました。


 何が起きたのか、理解できませんでした。

 初めてだったのです。

 こんなにも激しく、胸が高鳴り、顔から火が出そうなほど頬に熱を感じ、指先からつま先まで巡っている血液が、すべて沸騰しているような、そんな激情に襲われたのは……


 このままここにいては、おかしくなってしまう。

 彼のあの赤い瞳に見つめられると、私が私ではなくなっていくような感覚に襲われました。

 ここにいてはいけない、逃げなければと思うのに、身動きが取れませんでした。

 自分から目をそらすなんて、そんな勿体無いことはできませんでした。


 だんだん頭の中がぼんやりして、あの瞬間、私はおそらく気を失っていたのだと思います。

 それから何か甘い香りがしたような気がして、目を覚ました時、私は保健室のベッドの上にいました。

 電気がついていなかったので、窓からさす月明かりくらいしか明かりはなかったのですが、ちらりと窓とは反対側の方を見ると、また、あの赤い瞳と目が合ったのです。


「大丈夫?」


 白くて、美しい人————流星様の美しいそのお顔が、私のすぐそばにありました。

 彼は、私の額に自分の額を重ね合わせました。


「まだ少し熱があるみたいだね。もう少し休むといいよ」


 あの低く、響きのある体の奥がゾクゾクする不思議な声でそう言って、彼は額を離すと優しく笑ったのです。

 そして、少し上がった口角の間から見えた八重歯が、いずらな少年のようで、とても可愛らしく見えました。

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