第二話
新教皇の悪巧み(1)
文明の果てに立ち、人は
ある者は「神はいない」と豪語し、またある者は「神は死んだ」と
神は幾度となく繰り返された被造物の不遜と冒涜を嘆き、怒り、憎悪した。
荒れ狂う神の心は白光となり世界を襲った。幾らかの人はその眩さに呑まれて死んだが、そこで命を落とした者は幸いだった。まだ天の門は開いていたからだ。
神は心を鎮めると、天の門を閉じ地に降り立った。そしてすべての人に言った。
「憎き子らよ、望む通りに」
神の姿を目にして
だが
海が荒れ、波が大地を浚い、人は大きく数を減らした。
空、山、地中へと逃れ生き延びた人々は神に祈りを捧げ赦しを求めた。
しかし赦しが与えられることはなかった。
「私は何処にもいなくなる、憎き子らの望む通りに死ぬのだから」
神は荒れ地に横たわりそう言うと、次々と異形を生み出した。
「新たな子らよ、私を喰らい、憎き子らを喰らうがよい。喰らうものがない世が訪れたとき、私は蘇り、またお前たちと共に在るだろう」
異形の群れは神の巨躯を喰らい尽くすと、人々を襲い糧とし始めた。
それが神に与えられた使命であると言わんばかりに。
〈アリアトス教典──
*
アリアトス聖教国、聖都中央に建つ大聖堂。その壇上で、教皇ゲイロードが今しがた朗読を終えた教典を閉じ胸に当てる。内装と同様の、白を基調とした祭服が衣擦れの音を鳴らす。静かな中ではよく響いた。
ゲイロードはその音を一切意に介さなかった。自らの就任式も兼ねているというのに、微塵も緊張を感じさせない振る舞いで祭事を進めていく。
堂々と、そして淡々と。誰の目から見てもそのように映っただろう。
痩せ我慢ではなかった。場慣れは当然として置くが、そう振る舞える最たる理由は、ゲイロードが教皇の座に価値を見出していないことにあった。
重みは理解しているが、執着心はない。頼まれたから仕方なく引き受けただけで、他に相応しい者がいれば、いつでも教皇の座を手放す気でいた。
もっとも、ゲイロードにその決定権はないのだが、そこは気にもしていなかった。いざとなれば無理を押し通すことができると知っているからである。
これまでもそうしてきたのだから。
ゲイロードは聖職者らしくなかった。容姿もまた、その例に漏れず。屈強な戦士、あるいは山賊の頭と言われた方が納得がいく者が多いだろう。
輪郭を覆う獅子の
そして健啖家。あまつさえ酒豪。
自ら女を求めはしないが、求められれば性豪にもなる。
豪快で朗らかな性格も、体格に見合う食欲も、枕上手であることも、禁欲的な慎ましさを常とする聖職者には程遠い。教団に属した頃からその自覚があるゲイロードは、これから行う説教を前にしてふと思いつく。
(ふむ、悪くない。これは妙案じゃろ)
たくわえた白い髭を揉むように撫でながら、説教を待つ大勢の聴衆を見渡す。思った通り、つつけば騒ぎを起こしそうな粗野な者が多く見受けられた。あとはどう乗せるか。それを考えながら、ゆっくりと口を開く。
「さて、何から話し始めましょうか。おお、そうそう、わしは昔っから乱暴者でしてな、ついこの間も、若いのにこっ酷く叱られました。それなりの立場を与えられておる爺が拳一つで内乱鎮圧にしゃしゃり出たことを咎められたんですな。そうは言っても、生来、不出来なもので、剣も槍も思うように扱えんのです。言葉遣いや礼儀作法なんかと同じで、努力はしとるんですが、どうにも上手くならない。そういうわけで、この歳になっても、まだまだ叱られてしまうのですな」
軽い笑いが起こるが、周囲に控える聖騎士たちは苦笑するだけで咎めない。枢機卿団も、また始まったかと溜め息を吐く程度のもの。この化け物然とした好々爺を教皇に据えた者たちは、既に格式というものを諦めているのが窺えた。
「それでまぁ、この教典に書かれていることに繋がるわけですな。叱られているうちが花じゃと。人は勘違いするということを覚えておかんといかんのです。叱られんようになったからといって、それを成長の証だと思うのは間違い。もしかしたら、思い上がっておったかもしれん。呆れてものも言われんようになっただけかもしれんと省みるべきなんですな。わしらの先祖が愚かさに気づけてさえいれば、わしらが異形に怯える日々を送ることも、今回の内乱もなかったわけですからのう」
笑い声が消え、頷く者が多く出る。ゲイロードは表情を真面目なものへと変える。
「えぇ、それで、今しがた、わしが読み上げた〈贖罪の贄〉ですがのう、これは、つまるところ、人が未だ破壊の只中にあると書いてあるのですな。ではどうすれば破壊が治まるのか? というところが、先の内乱の火種でしてな……失礼」
少し声が掠れた。ゲイロードは説教台に置かれたグラスを手にし、水を飲む。喉を潤わせた後で、軽く数回咳払いし、調子を確かめてから続けた。
「御存知の方もおるでしょうが、わしは平民出の傭兵上がりです。三代前の教皇に雇われたのですが、暴れっぷりを評価されましてな、断ったのですが、やることはそう変わらんからと聖騎士にされました。それで、命じられるままに暴れておるうちに副団長にされ、団長にされ、六十を過ぎて、流石に寄る年波には勝てんと先代に引退を告げたら、今度は見合う者がおらんからと枢機卿団長を頼まれ、断りきれずに名前だけ貸したのですが、何の因果か今ではこうして教皇となりました」
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