第6話サイレンスサイレンシカーダ
記憶の奥で電車が横転している。煙を上げ、爆音直後の不穏な静寂。けれどこれは作り物。ひとつのイメージに過ぎない。精巧な。現実で見たものは、飛び回るヘリコプターと救急車。オレンジの作業着。それから横転した銀色の箱。長方形のそれが5つ6つと並んでいる。
何も考えるな。警鐘が鳴る。鳴るけれど思考をシャットアウトする術がない。不安は芋づる式だ。降りかかる理不尽に恐怖するなら自身で満足に近い終わりを望むのが手っ取り早い。
あの日とはいつの日からなのか、実際は分からない。けれど命が半分とされた時から狂った予定が巻き戻されるだけ。本当は半分どころか全て渡してもよかった。全て渡してしまえば妙な躊躇も気遣いもせずに済んだ。これは衝動ではない。理性を働かせてやったこと。将来が分断された時から決まっていたことだったのだ。
覚束ない足で砂浜を歩く。どうやってここまで来たのか覚えていない。うたた寝から覚めると暗くなりはじめた外に、誘い出されたように。未来を殺した銀の箱に揺られながら、いつの間にか海にいる。続きを求めた「あの日」はすでに続かないことに気付いている。「あの日から」を殺した銀の箱は「あの日」から未来へは連れて行ってくれはしないのだ。空は暗い。 もうすぐ完全な夜になる。海は孤独だ。帰る場所を知らなそうだ。
「何してんだ」
久し振りに見た気がする。初音に腕を取られた。
「死なせてよ」
初音の腕を振り払って、海の中を歩いていく。衣服が海水を吸って重い。
「おい!」
「もうイヤなんだよ、全部」
追っては腕を掴み、歩みを止めさせようとする初音の襟元を掴んだ。人間になりたくないと言ったその身は人間みたいな顔をしている。戸惑っている。
「この記憶はどうしたら消えるの!?消せる?あなたなら…!」
まだ生きたいと思うことはある。けれど厄介なのだ。思考の片隅からやってくる不安と恐怖と、拒み続けた光景とこれ以上は付き合っていけない。
「しっかりしろよ」
「あんたが言うほど整然となんてしてないの。割り切れないんだよ、もう」
体温のない初音はいつでも薄着だ。皮膚に爪を立ててしまう感触に僅かな冷静さが吹き込んで、目の前の男を傷付つけることに抵抗が生まれ、振り払う。
「おい、アンタ…」
「もう止めないで。揺さぶらないで」
両肩を掴まれるが振り払う。水の抵抗が大きい。波の音がうるさい。
「放っておいてよ。あんたには関係ないんだから」
肩をまた掴まれ、遠慮のない力で向き合わされる。頬を叩かれた。これもまた力加減を知らない全力で。波の音が耳を支配して、それ以外は何も聞こえない。
「帰るぞ」
「放っておいてよ…!」
「ここに用はねぇだろうが」
叩かれた頬が痛い。八つ当たりだ。引き返せない気持ちが勝って、初音の腕を振り解いて再び沖の方へと向かう。
「クソ女だな」
初音の呟きが波の音の奥で聞こえる。それでも後を追う。
「あと3日だ」
何度目か、初音に腕を掴まれる。口にされた数字が何を表しているのか、勘付く前にまた初音が口にする。
「あと3日で死ぬんだ。ルール違反だけど、言うわ。アンタはあと3日で死ぬ。片岡クンは長くて5日。死因までは分からないけど、アンタはあと3日で死ぬ。片岡クンはアンタからの供給が終わってから、長くて5日。短くても同時か」
あまりにも唐突な余命宣告だった。片岡の余命宣告も同時に聞かされる。急に頭が冷え始めて、掴まれた腕を力なく下ろしてしまう。
「3…日…」
「食って寝て、無為に過ごしてればいずれ死ぬ。寿命知らせるの、マジでルール違反だけど、もう言うしかないみたいだから」
3日。3日だ。セミが地上で過ごせるといわれる日数よりも短い。
「…あと3日だけ生きてくれ。頼む」
初音が両肩を掴んで、それからどこか痛むのか、顔を顰めて、それから視線を捕らえて懇願するような声を絞り出す。
「3日…」
「あぁ。あと3日だ。あと3日なんだ。だから、死ぬとか言うな」
モンシロチョウがいた。羽根をばたつかせて。銀の瓦礫の中に。赤い海の中に。白い棺の中に。見覚えのあるマフラーを、かしこまった装束の差し色にして。
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