第4話クラウディクラウド
気が付くといつも足が向くところがある。都心の中でも大型の駅構内だ。近くの喫茶店を探そうとしたところで。
「お姉さん」
何度も聞いた気になる、片割れの声。片岡だ。
「おはよう。勤務先、そういえば近くだったものね」
「おはようございます!…お買い物、ですか?」
商業施設が発達している。そう思われるのも仕方ないのだろう。片岡がぼぅっと空を見ている初音とを交互に見て訊ねた。
「大丈夫ですか…?元気ないみたいですけど、彼」
「う~ん、ちょっと就職口に困ってるみたい」
特に上手い説明が思いつかず間違ってもいない理由を話す。
「今の時期、大変ですもんね、あ…でも、彼、スタイルいいし、カッコいいし…モデルのバイトとかどうです」
バイトのモデルとかどうです。簡単そうに言われてしまう。片岡の口からとんでもない単語が飛び出して固まってしまう。人が一生をかけてなろうとすることだってあるはずの職種のはずだ。
「大手雑誌に載れるかは…正直実力よりコネのこともあるので…でも…そうだ、今日の5時頃、時間あります?」
片岡が端末で時間を確認する。
「私も初音くんも、大丈夫だけど…」
「じゃあこの前会ったところで、5時だから…17時に!」
片岡は端末をもう一度見てから焦り出す。
「17時にまた会いましょう!」
仕事の時間なのだろう。会釈して足早に去っていく。
「片岡クン、何て」
群がるハトを気にしていたらしく、少し離れていた初音がやって来る。聴覚はよいと言っていたが、ハトに意識をくれて聞いていなかったようだ。
「あなたの話してたの。もしかしたら、だけど」
「何」
「モデルのバイトなら紹介してもらえるかもって」
「お姉さん!」
提示された時間に提示された場所へ向かう。片岡は時間通りにやって来て、初音の前に立つ。
「こんにちは」
「…ちは」
片岡を可愛いと言っていた割りに返事は淡泊だ。人見知りしているのか。それとも緊張しているのか。初音も人見知りや緊張をするのだろうか。
「緊張なさってるんですか?」
「いや…その、何つーか」
「あの、この前は、まどかに良くしてくれてありがとうございました」
初音は片岡より背が高いため、片岡は初音を見上げて話す。
「懐かしい感じだ」
ぶっきらぼうに初音が言う。片岡は疑問符を浮かべているように思える。懐かしい、という感覚を初音は知っているようだ。
「事務所に連絡してあるので、もうすぐタクシー来ると思います」
突然目を合わされ、何故だか片岡の頭を撫で回してみたい衝動に駆られる。抱き締めてみたい。笑う姿を見ると、安心感を覚える。片岡は特別。初音に言った言葉が思い返される。特別だ。片割れなのだ。息子だ。弟だ。甥だ。いとこだ。それよりももっと近い。
「お姉さん?」
片岡が顔を覗き込んで首を傾げる。
「何か悩み事ですか」
切なげに顔を歪ませはじめた片岡に取り繕ってしまう。そんなカオしないで、と言いたかったが、言うことを躊躇する。
「貴方が悲しいと、何か、胸の辺りが、変な感じするんです」
片岡の肩越しで初音が数度頷いている。何か余計なことを言い出さないだろうか。片岡に成り行きを話すつもりはなかったが、知られると不味いかもしれない。
「オレ、一応医療従事者なのに、全然自分のこと分からないや」
「私も…自分のことなのに、分からないこといっぱいだ」
理由は知っている。けれど片岡の場合はおそらく無自覚。
「医療従事者って要するに医者か?モデルって?」
初音が片岡に訊ねる。言われてみればあまり関連性がないように思えた。医薬品の実験台のことを指していたのかもしれない。
「もともとモデルだったんです、こう見えて。オレ」
照れたように片岡は言う。男性の平均身長くらいはありそうだが秀でて高身長というわけではない。人懐こい笑みと甘い顔立ち、穏やかな雰囲気だろうか。
「今モデルじゃないの?辞めたの…?なんで…?」
「先輩モデルと、学歴のコトでちょっと揉めまして」
学歴で揉めて、今は医療従事者というのはどういうことか。
「どうして」
人の事情を詳しく訊こうとする初音を止めようとしたところで片岡が笑む。花のように思えてしまう。
「自分で言うのも変ですけど、結構売れてたんです。でも先輩よりも売れるのはまずかったんです」
初音は、は?と威嚇するような声を上げる。
「高学歴モデルっていうのが売りの先輩でしたから。モデル辞めたらどうするのかって。オレくらいのレベルの男ならどこにでもいるから、いつこの仕事ダメになるか分からないって」
片岡は悲観している風でもなく、淡々と話す。けれど初音の表情は曇っている。
「でもまぁ確かにそうかもなって思ったんです。きっとオレにも後輩ができて、その時後輩に抜かれたら…」
「人間は歳を気にするのか?」
「人間は?」
初音の発言に片岡が訝しむ。
「年齢にしか頼れない人とか、状況もあるから、さ」
納得いっていなさそうな表情を向けられる。
「それからモデル辞めて、稼いだお金で予備校行って、専門行って。安定した職とかよく分からなかったけど」
「もう片岡クンはモデルしないのか」
「はい。もうそのつもりはありません。今の仕事楽しいですから」
いっぱい夢もみれましたし、と続ける片岡に何故だかすんなりと呑み込めない気分になる。
「今の仕事って何してるの?医療従事者って言ってたけど…」
「あ、オレ、理学療法士です。すみません、言ってたつもりでした」
律儀に謝る姿も清々しい。
「モデルから、理学療法士…」
「これといって珍しいことでもないですよ」
片岡は照れているようだった。胸の奥に温かみが広がると同時に痛いような、締め付けられるような苦しさも覚える。初音がそれに気付くが首を振った。片岡が呼んだらしいタクシーがすぐに来て事務所に連れて行かれる。タクシー代を片岡が持つというがそうも気が許さず半額払った。大きな事務所でその界隈に疎くても名前は聞いたことがある。
初音には身分証明というものがない。片岡にその辺りの説明を家庭の事情としてぼかして話すと1日のバイトとしてなら必要ないと言っていた。続くようなら片岡が口添えするとも。初音の面談が始まり、片岡と待合室に向かった。
「上手くいくといいですね」
「ちょっと抜けてるところあるから心配だけど、そうだね」
事務所の建物内の待合室は小綺麗だ。元モデルだけあり、片岡がソファに座っているだけで様になっている。
「彼くらいなら余裕だと思いますけどね」
片岡には嫌味がない。他の人が言ったら嫌味のように聞こえそうな台詞を平然と爽やかに言ってのける。
「片岡くん」
名を呼べば忠実で、けれどどこか駄目さも纏う犬のように動きを止めて顔を覗き込んでくる。
「何ですか」
命を半分ずつ共有しているとは言えずにいた。信じてもらえるわけはない。仮に信じたところで半分だ。もともとの寿命など知る由もないが半分なのだ。初音との契約が正しかったのか、それは分からない。だから片岡に問いたい。片岡の言葉、片岡の判断、片岡の現状でしか基準が分からない。
「そんなカオしないで」
片岡が目元に触れる。今生きていて幸せか。口にしようとした疑問が虚空に舞う。吸い込まれていく。
「貴方の気持ちと共有してるみたいだ」
頼りない片岡の目元が何故だか潤んでいる。けれど明るい表情。片岡が触れた目元を拭うようにもう一度自身でなぞる。もし片岡が不幸な目に遭ったとしたらそれは誰が責任を取るべきなのだろうか。本来は絶たれていた不幸に。終わっていたはずの人生に。私には関係ない。そう吐き捨てたのは記憶に新しい。
「片岡くん、ありがとう」
「まだ初音さん受かってるか分からないですから、気が早いですって。それに、オレ。お姉さんにまた会えて嬉しいです。お姉さんの役に立てて」
片岡の瀕死の状態が脳裏を過る。あれこそが現実で、今は偽り。幻想に取り残されている気さえしてくる。
「モデル、体型維持とか、他にも色々大変でしたけど、やっていてよかったなって思いました。惰性でやっていたところあるので」
「そうなの?華々しいだけじゃないよね、やっぱ」
「もともと子役からだったんです。親が勝手に応募して…。でもやっぱりそんなに知名度なくて。モデルになってからは少しずつ、って感じですけど。でも街、フツーに歩いていても誰もオレには気付かない。ファンレターとかいっぱいもらってたのに、狭い世界で驕ってたんだな…って思ったら」
元・芸能人。片岡の幼い顔立ちの裏に隠された人生経験。片岡と年齢はあまり変わらないはずだ。
「景気も悪いですし、先輩に学歴のこと突っつかれて、これだけがオレの人生じゃないのかもって。スポットライトとか舞台とか、人前に立つことだけがオレの人生じゃないなって」
でも君は。言葉と固唾を飲んだ。巻き込んでしまったのか、巻き込まれてしまったのか分からないけれど。これからどう転ぶかも分からなかった片岡の人生、終わるはずだった人生をいじってしまった。
「お姉さん?」
「ごめ、ちょっとトイレ」
身体が寒い。冷たい。片岡の話を聞く度に相反した2つの怒涛に抗いきれなくなる。小奇麗なトイレの洗面台に駆け込んで鏡を見る。蒼白い。生きていてほしい反面、すでに死んでいるはずだったという思考に囚われたまま。両頬を叩いてすぐにトイレを出ると初音が廊下を歩いていた。
「何してんだ?」
「ちょっと、うん。あまり女性にトイレのことは…」
「さっきなんか変だった。人間は何の脈絡もなく急に死ぬからな。注意しろよ」
初音がうずくまる身体を支えるように屈んだ。
「面談は」
「合格だって。人間に一歩近付いたか」
「不合格でも人間に近付けるよ」
喜ぶ余裕もなく、初音に身体を支えられながら片岡がいるであろう待合室に向かう。
「お姉さん、大丈夫ですか!?」
待合室に入ると片岡が慌てた表情から心配そうな表情から泣きそうな表情からころころと百面相のようだ。
「貧血とかいうヤツだろ。知らんけど」
初音には何も体調不良の詳細は言っていないが、適当なことを告げてソファに座らせる。
「あと合格した」
初音が喜ぶ様子はなかったが、片岡は安堵も束の間笑顔が戻る。
「おめでとうございます」
「ああ」
「片岡くん、本当にありがとう」
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