38.愛の認識

 二人に飛びかかった美知子は我を失っているように見える。それを証明するかのように、いつの間にか手に持っていたフォークを高波の脇腹へ突き刺した。


「痛ってええ! ミチ? どうしたんだ?

 マジしゃれにならねえしめっちゃ痛ええんだけど!?」


「なんでタカシはウチを愛してくれないの?

 どうして? なんで? もっと大事にしてよ!」


 美知子はそう言いながら高波に馬乗りになったまま拳を振り下ろしている。執拗に繰り返されるその姿は異様であり、桜子は怯えて腰を抜かしたまま立ちあがることも声を上げることもできない。


 だが高波は女の子のマウントスタイルごときでやられたりはしない。腹に刺さったフォークの痛みは耐え難いがなんとか堪え、頭上から振り下ろされる拳を弾いたり受け止めたりしてクリーンヒットだけは避けていた。


「なに言ってんだよ、いつも大事にしてんじゃねえか。

 ミチ、突然おかしくなっちまってどうしたんだよ」


「違うの! もっとウチのこと大事に、タカシだけのものにしてほしいの!

 でもしてくれないからこうしてウチがやってるんだよ?」


 高波にしてみれば意味不明だが、小学生の頃から母親の彼氏に犯され殴られ、それが愛だからと刷り込まれた美知子である、暴力を振るう相手は自分を愛している者という認識になってしまっていたのだ。


 それからも数えきれないくらい、時には乱暴に、時には優しく、時には道具のように使い捨てられてきた自分の肉体からだを相手がどう扱うのかで距離感を図ってきた。


 それだけに優しく接する高波に愛を感じてはいたのだが、同時に不安も抱えていたのだ。そもそもその愛が女神によって植え付けられた偽であることも関係していたのかもしれない。


 そんな美知子の乱心は止まらず一層ひどくなるばかりだった。左手と脇腹を負傷している高波でもこれくらいではなんともないが、相手が美知子なだけにやり返すわけにもいかない。


 だがここに解決策を思いついた者がいた。それはこの惨状を招いた元凶である天使だ。天使が美知子の愛を取り上げたことが全ての始まりで、流れのおかしくなった愛が美知子の心を乱し、桜子からは美知子を蔑む態度が透けていた。


 少女の行動は愛を求めるがためのもの、ということは愛の水差しで注ぎ込めば収まるだろう。そう考えた天使は、先ほど汲みあげた美知子の愛と、今まで溜めこんできた物が混ざり合った水差しの中身を美知子へ注ぎ込んでいく。


 しばらくすると美知子の動きは止まり、天使からは解決したように見え、高波からは疲れたか気が済んだかで攻撃をやめたように見えた。そんなこと、この場合はどちらでも良く、美知子が次にどうするかを考えるべきだった。


 安堵して気が緩んだのか、高波がへたり込んでいる桜子を気遣い側によると、その隙をついて美知子は再びフォークを振り下ろしていた。肩の辺りに激しい痛みを感じた高波は驚いて振り向いたが、そこには静かに涙を流している美知子が見えた。


「ミチ、もういいだろ?

 こっち来いよ、桜子はこれから出かけるから二人きりになれるんだぞ?

 飯食ってからいつもみたいに愛し合おうぜ?」


「でもタカシはウチを殴ったりしないよね?

 本当に愛してくれてるのか、ウチもうわかんないよ」


「なに言ってんだ? オレもよくわかんねえけど、どうしたらいいんだよ。

 ミチがSっぽいのは知ってたけど、マジ怪我はヤバいって。

 もうちょっとなんとかならねえの?」


「だから愛してほしいだけなの!

 どうしたらわかってもらえるの!?」


 そう言って美知子は家を飛び出してしまった。素っ裸の高波は慌ててパンツとズボンをはいて後を追うが、すでにエレベーターは動いている。桜子の部屋は五階なのでエレベーターを待つよりも階段のほうが早そうだ。


 そう考えて非常階段への扉を潜り抜け大急ぎで階段を走り降りて行った。

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