35.愛からはぐれた者

 久美にとっては辛く現実を知る一日となった。あの後高波は久美をしつこく誘う美知子を引っ張って帰って行った。金子も桃子と仲良く自転車二人乗りで去って行き、その後ろ姿を見送る羽目になったのだ。


 それぞれが電車や自転車で帰って行ったあと、徒歩通学の久美はトボトボと歩いて家についた。別に彼氏が欲しいわけじゃないが興味が無いわけでもない。しかし自分を安売りしたくはないし、できれば好きな人と両想いで付き合いたい。そんな乙女チックな夢を抱く程度には恋愛経験に乏しかった。


 自宅へ戻ってからベッドに寝転んでもやもやした頭を整理していると、浮かんでくるのは高波の姿ばかりである。やっぱりこれは気になってるなんて程度ではなく、明らかに恋をしていると認めざるを得ない。


 久美はスマホを取り出して高波へメッセージを送ろうと文章を考えてみる。しかしどうにも纏まらないし、こうして送ったところで何が変わるわけでもないはずだ。それにきっと美知子と一緒にいるのだから見られてしまうだろう。


 いったん冷静になった方がいいとメッセージを送るのをやめようとしたところ、手から滑って顔面の上に落下させてしまった。眉間の辺りにスマホの角が当たって一人悶える久美だったが、こういうときに彼氏がいればバカ話をして気がまぎれるのだろうと考えて余計にむなしくなっていた。


『恋とか愛とか好きとかっていったい何なんだろ……』


 久美はボソッと呟きながら鏡を覗き込んで、鼻の上にできた小さな痣を眺めていた。



 幸せカップルから仲間外れにされているのは久美だけではなく、ここでは高波の被害者だと思っている二人が慰め合っていた。高校生たちの最寄駅からは大分離れた大き目の駅は、洋服やアクセサリーなどのセレクトショップが並び、夜には居酒屋などの飲み屋やカラオケボックスが賑わう大人のテリトリーである。


 その喧騒の中に岸谷ちよ実と宍戸梅子はいた。大学生の二人は急な出来事で高波と言う生活の中心を失い手持無沙汰だった。そのため誘われるがままに合コンに参加し、適当な男を捕まえるつもりだったのだ。


 しかし適当と言うのはどうでもいいと言う意味ではなく、外見は程々いい男で内面も程々魅力的である必要がある。そんな相手がフリーのままそうそういるはずもなく、二人は居酒屋のトイレで作戦会議をしていた。


「思うんだけどね、その他大勢な扱いでもタカシに尽くす方がいいのかなって。

 結局いい男なんて全然いないし、いても彼女いるでしょ?

 その彼女から寝盗ったり二俣かけさせるなら十股だって一緒じゃないかしら」


「いやいやちよ実ちゃん、それは違うわよ?

 だってタカちゃんを泊めたらあの女がついてきちゃうじゃないの。

 目の前で見せつけられるのなんて耐えられないわ」


「それだって少しだけ我慢してたらその後構ってくれるんでしょ?

 ならなにもないよりはマシかなって考えちゃう」


「はあ、結局タカちゃん以上の男なんていないんだから妥協するしかないのかな。

 でも萌たちも結局二人を泊めるのは無理だから指加えて見てるだけらしいね。

 わずかな希望を持ってそんな生活つづけるの、私には無理だなぁ」


「思い切って広いところへ引っ越そうかしら。

 キャバなら稼げるって聞いたからカテキョのバイトよりは望みあるかも」


「ちよ実ちゃん、その考え方はやばいよ。

 ホスト狂いで風俗落ちした子たちと同じメンタルじゃない?」


「そう? なのかなぁ…… もうどうしたらいいかわかんないよ」


「とりあえず今日は適当にあしらって解散しようよ。

 やっぱ理系大学生は理屈っぽくてダメね。

 頭いいわりに将来性も官僚とかの道がある文系のが上でしょ?」


「そうね、今すぐにでも帰りたい。

 最近欲求不満だし、もうこうなったら美咲さんでもいいかな……」


 こうして欲の渦巻く夜は更けていった。



 さらにもう一人、孤独に耐えている者がいた。


「私ったらなんてことをしてしまったの……

 ああ、手から血が出てたけどタカシは何ともなかったかしら。

 これも全部あの子がいけないんだわ…… そうよ、悪いのはあの子……」


 山上麗子は自分がしでかした刺殺未遂が脳裏に焼きついたまま、その罪の重さに耐えかねて部屋で一人膝を抱えていた。自分がやってしまったことは理解しているが、それでも責を認めたくなく、美知子が現れたことが全ての元凶だと考えているようだ。


 しかしさらに罪を重ねる度胸は無く、あの日を境に、高波や関係者の前に二度と姿を表すことはなかった。

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