ぎやまん

明日出木琴堂

《山の手のお嬢様》編

カチャ。カランコロン。カランコロン。


「いらっしゃいま…。なんや、タクマか…。」

「なんじゃ、その言い草。ブレンドな。」

「300円。」

「先、金取るんか。」

「お前、払わんやんけ。」

「毎度、払とるがな。」

「噓こけ。」

「そんなことよか、これどうよ?」

タクマは薄茶色のベストの前をはだけて水色のトレーナーの胸を指さす。


「ボートハウスねぇ…。お前、いつからサーファーなったん?」

「今日からや。」

「あほか…。」


…そんなどデカいアフロ頭のサーファーなんておるわけないやろ…





俺がバイトする茶店さてん【ぎやまん】…。

別に特徴ある店やない。

…つうか、なんの特徴もない。

この辺りにあるぎょうさんあるごく普通の喫茶店の一つでしかない。

とりあえず、駅近えきちかの喫茶店激戦区にあるせいか、夕方までは閑古鳥が盛大に鳴いとる状況…。

やから、この2ヶ月程は、毎日、朝の8時から夕方の4時まで、高校生バイトの俺一人で切り盛りしとる。


カウンター席は六つ。

二人掛けのテーブル席が三つ。

俺がバイトし出して一度たりとも満席になったことはない…。

それと、カーテンで仕切られた店の奥に8人程が座れるテーブル席が一つあるけど…、これは俺がいる間には使わんのよね。

店内は木材や石を使こた「山小屋風」なんやけど、マスター曰く「オーストラリアのビーチ小屋をイメージして…。」つうことやった。

俺にはどっちでもええんやけど…。


【ぎやまん】のマスターは20代後半。

見た目は、長髪、色白、長身ガリガリの文化部野郎…。

正体は今、流行りのサーファーさん。

本職は、西宮とかでウインドサーフィンを教えてんねんて…。

大学生の頃に外国をウロウロしてたらしく、なんか、日本人の同年代の男性とは全く違うタイプ。

なんか、ボケ~ッとしとるっうか、マンガの浮世曇はぐれぐもの曇さんみたいやっうか、とにかく、とらえどころがない人やわ。


【ぎやまん】を始めたんも「いつでもコーヒー飲めるように…。」なんやんて。

俺にはよう分からん。

言う通り、フラ~っと来てはコーヒー飲んで、知らん間におらんようになっとる。

ほんま、幽霊みたいな人なんや。


国鉄の線路沿いに建つ赤い煉瓦の外観の小さなマンション。

その1階に【ぎやまん】はある。

入口には色とりどりの磨り硝子のはめ込まれた古めかしい扉がある。

この扉はマスターが喫茶店を開く前からあったようで、凝った作りを気にいったマスターが、喫茶店をやり始めてからもそのまま使ことるらしい。

この磨り硝子から店名の【ぎやまん】は付けられたそうや…。


そこに常連顔で偉そうに茶、飲みに来んのは同じ高校に通うタクマ。

タッパは180センチを軽々超えるアフロ頭の大男。

お調子者の軟派野郎やのに、中高6年間を彼女も作らず、バスケに捧げ、バスケと共に歩んだ男…。

…が、バスケ部引退して、私大の受験まで暇をもてあましとんのか、よう【ぎやまん】に遊びに来る。


俺とこいつは小学校5年からの腐れ縁。

中学まではたいして身長も変わらんかったのに、今では俺が下から見上げる程にデカなりよった。

なんか腹立つ。

ただ、この腐れ縁も、次の進路じゃあ別々なるけど…。


「…で、それ見しに来たんか?」

「ちゃうちゃう。このあと原チャリ取りに行くんや。」

「タクト来たんか?」

「そうそう。」


…なんかよう分からんかど、こいつの嬉しそうな面がなんかイラつく…


「ええなぁー。」

「タクマのタクト、語呂も響きもええやろぉ〜。」

「その言い方、なんかイラつくわ。」

「サムロウのオカンのお下がりのシャリーとはちゃうでぇ~。」

「めっちゃイラつく。」

「これで後輩女子からモテモテ間違いなしやん~。」

「あほか…。」


…ジャバー気取っるんか、工藤俊作気取っとるんか、はたまた泳げたい焼きくんなんか、よう分からんお前がモテるわけないやろ…


とかなんとか思いつつも、羨ましいのは間違いない。





タクマの親父さんは一流大企業勤め。

家も立派な庭付き一軒家や。

俺ん家は、オトンとオカンの共働きで食品加工会社の工場勤め。

家は古臭い県営の公団…。

その狭っ苦しい団地が嫌で、俺は15から近所のボロアパートでひとり暮らし…。

「高校の卒業祝い」にと、タクマの親父さんは、タクトを買ってくれた。

俺ん家は「大学入学祝い」にって、オカンが通勤用に使こてたおばちゃん臭いシャリーをあてがわれた。


…財力の違いは、如実やねぇ…


そんな嫉妬をタクマに覚られんように抱いとると、表でバイクの音がする。


…HAWK - Ⅱや…


「こーいちや。」

「こーいちちゃう?」

二人して同時に同じ答えを導き出す。

流石に長い付合いや。

程なく色とりどりの磨り硝子がはめ込まれた扉が開く。


「よっ、タクマ来てたん。」

ジージャン姿のこーいちの第一声。

いつ見ても目が眩むほどのハンサムさん。


「こーいち、オッス。」

「いらっしゃい。何にする?」

「ブレンド。」

「オーケー。」

「サムロウ、俺ん時とはえらいちゃうやん。」

「こーいちはちゃんと払うからな。」

「ふざけんな!」

また【ぎやまん】に同級生が遊びに来た。


中学まで一緒やったこーいち。

高校は隣の市の高校に通てる。

こーいちもサッカー部を引退して来年の共通一次試験までは暇なんか、よう【ぎやまん】に遊びに来る。

こーいちは、超の付く名門エリート進学校の学生で、その中でも成績はトップクラス。

身長は高こうて、柔らかい天パで、めっちゃハンサム。

外人さんみたいな彫りの深い顔しとんねん。

体はブルースリーばりの筋肉質。

ほんま「生きるギリシャ彫刻」つう感じなん。

てか、中国やギリシャや日本や、和洋折衷や古今東西や、何が何だかさっぱり分からずや…。

まあ、こーいちと友達であることは、鼻高々、自慢の種なんよ。


そんなこーいちは、中学でも高校でもサッカー部のキャプテン。

人望も厚いときたもんだ!!!

中型バイクの免許も超難関の実地試験を飛び込みで一発合格。

絵に描いたような絵になる男。

その上、お家はご両親揃てお医者さま。

どデカい豪邸にお住みになっとんのよ…。

その敷地内には4階建ての病院施設まで持ってるん。

俺もガキん頃はよう世話なっとたらしい。

そんなんやから女子からのモテモテぶりも半端ない。

生きてる世界が違います。


「サムロウさ。豪太、帰って来てたで。」

コーヒーカップを左手で持ちながらこーいちがさらりとビッグニュースを口にした。


「ほんま。」

「豪太って、豪太け?」

タクマがキャビンの灰を硝子の灰皿に落としながら聞く。


「そや。そや。お前のの。」

考えなく瞬発的に俺が返すと…、タクマは条件反射のように俺を睨みよった。


「めェェェェェっちゃ、変わってたよ。」

こーいちが珍しく言葉を強調する。


「どんな風に?」

キャビンを咥え、興味なさげに聞くタクマ。


「瘦せて、引き締まって、めっちゃデカなってたよ。」

「噓やろ!!」

思わず大きな声で叫んでしまう俺。


「あのチビ・でぶ・ブスやったの豪太が?」

キャビンを硝子の灰皿で揉み消し、急に食いつき出したタクマ。


「ほんま。ほんま。」

タクマに顔を向けて、笑顔で応えるこーいち。


今、話に出た豪太も中学まで一緒やった同級生。

高校は兄貴の通う県外の私学へ行ったんや。

中学ん頃のの印象やと、アホで、チビ・でぶ・ブスの四拍子揃った非モテ男子の代表選手。

その上、めっちゃ気が小っちゃい。

名前負けを見事に体現する男。

親父は土建屋やってて、家は美容室。

なぜかママとお母さんがいる複雑な家庭環境…。


こーいち、タクマ、豪太の俺ら4人は中学時代、ようつるんで遊んでた。

いろいろバカばっかやって、よう先生らに𠮟られた。

一度なんて学年の女子全員から吊るし上げを食らって、学年朝礼で4人で土下座した事もある。


…ほんまアホやったわ…






あんま接点の無かった俺ら4人がなんでそんなに仲良かったかつうと、それは楽器。

クラスも部活も帰る方向も違たんやけど、偶然、中学1年の時の文化祭で合唱の伴奏を担当することになったんや。


俺はなんでか、ガキん時から独学でフォークギターを弾いてたんや。


こーいちはお家柄からかピアノを学んでてんて。

楽譜は読めるし、ある程度の種類の楽器も弾けた。

ほんま、こーいちは格好ええよな。


小学校から仲良かったタクマは、親父さんがエレキ少年やったらしく、その影響でエレキができてん。


豪太はなぜか、幼い頃からお母さんから和太鼓を教わってて、小学校なるとママがドラムセットうてくれたらしく、ドラムが叩けよるねん。

ドラムを叩く姿は「嵐を呼ぶ、アホでチビ・でぶ・ブス男」なんやけど…。


今考えたら無茶苦茶な編成やったけど、練習も本番もおもろかったわ。

文化祭が終わった後もなんか気が合った俺ら4人は、時間がうたら集まって、ようバンドの真似事みたいなことやってたわ。

下手糞な演奏をカセットテープに録音しては再生して、ああでもないこうでもないって、やっとった。

今、思い出したら恥ずかしなるな。


そんな思い出話に花咲かせとると、もう夕方の4時近こうになっとた。

俺の今日のバイトはこれで終わり。

この後はマスターたちが来て、【ぎやまん】は大人の部、スナックへ。


急いで喫茶の道具を片づけとると、栗色のサラサラロングヘアーのヨーコさんが颯爽と登場。

ヨーコさんは現役女子大生で、マスターの彼女さん。

あのマスターにはもったいない程の美人さん。

本日の出で立ちは、ロシニョールの白のダウンベストにサッスーンの細いジーパン。

高そうな金のチェーンに黒い革紐が通された肩紐になっとるショルダーバッグ。

格好も仕草も大人の女性つう感じ。


「サム、お疲れぇー。」

ヨーコさんは俺のことをサムって呼ぶ。

俺をサムって呼ぶのはヨーコさんと、もう一人だけおるんよ…。

不釣り合いな男っぽい口調がこれまたヨーコさんの魅力を倍増しとります。


「ヨーコさん、おはようございます。」

「サムのお友達来てたんや。」

「こんちはー。」

「こんちは。」

タクマもこーいちも、綺麗なお姉さんに満面の笑みで挨拶しよる。


…まだまだ未熟やなぁ…

…まだまだ青いまぁ…


「サム、もうええよ。お友達と帰り。」

「ありがとうございます。お疲れ様です。」


この後の【ぎやまん】は、ヨーコさんと、ヨーコさんのお仲間の女子大生さんたちと、マスターで、深夜までスナックタイム。

カーテンで仕切られた奥の席には、最新のカラオケマシーンもあるし、カウンターには若いお姉さんもたくさんおるんで、結構流行ってるらしい。

国鉄の線路沿いに建ってる赤い煉瓦の小さなマンション。

その一階にある色とりどり磨り硝子がはめ込まれた古めかしい扉。

その扉から色とりどりの光線を放つ夜の【ぎやまん】は、連日満員御礼。

…って、これはヨーコさん談。

昼間の喫茶の部とはえらい違いやわ…。







タクマは、こーいちのバイクに乗せてもろてタクトを取りに行くらしい。

俺は2人と別れて国鉄の駅の駐輪場に止めたる愛車のシャリーを取りに行く。

晩秋の夕方の薄暗い中、ちょと離れとっても緑色の車体は、一目瞭然。

前には錆の浮き出た白いカゴまで付いてて、まんま「ちょっとそこまで、おばちゃんバイク」やで…、ほんま…。


緑色のジャージのポケットからセブンスターを取り出して咥える。

緑色の100円ライターで火をつける。


…俺は緑色好きかっ…


部活辞めてからは、俺もようタバコばっか吸うようなったわ。

体には良うないのは「重々承知の助」って…、俺って時代劇ドラマの見過ぎか???

なんてこと考えながら、いっちょまの咥えタバコで駐輪場からシャリーを引っ張り出そうとしとった時…。


「花薗君。」


女の声で名前を呼ばれた。


…ヤバい…


咥えたたばこを吐き出したい。

背中を冷汗が滴る。


…婦謦さんの補導かぁ…

…また、始末書かぁ…

…また、オカン呼び出しかぁ…


悪い想像が一気に俺の頭の中を埋め尽くす。

俺はシャリーのハンドルに手をかけたまま、微動だにせんかった。

いや。

今、起きとる事実を知りとうのうて動けんかっただけ…。


「ごめん。びっくりさせた?」

「へえ…?」

俺は、ゆっくりゆっくり振り返る。

そこにはうち高校の制服着とる女子がおった…。


…見覚えある…

…体の力が抜ける…


「え…っと…。な、な、中原…さん。だっけ?」

「うん。急に声かけてごめんなさい。」

「いや。ええよ。ちょ、ちょっとびっくりしただけ…。」

ほんまはめっちゃビビってた。

けど、補導員やのうてよかった。

咥えたたばこを思いっきり吸い込んだ。


…頭が落ち着く…


この女子、一回も同じクラスにはなったことなかったけど…、文系クラスの中原…、麗子…、さん。

やったっけ…???

成績優秀でうえ(山の手)のお嬢様やったと思うけど…。

…で、いったい俺に何の用?


「花薗君、話すの初めてだよね。」

「ああ。…サムロウでええよ。名字呼ばれんのこそばゆいから…。」

「ごめんね。サムロウくんでええ?」

「あ、うん。」

「この辺でなにしてんの?」


…へっ?事情聴取?…


「バイト。」

「どこで?」


…やっぱ、取り調べ…


「この道真っ直ぐ行ったとこの赤い煉瓦のマンション。その一階にある【ぎやまん】て、茶店さてんで…。」

「私ん家、ここのうえ(山の手)にあるの。」

「へえ…。」


…なんや、急に?…


「今度、お茶しに行ってもええ?」

「うん…。ええよ…。」

「いつおるの?」

「年内はずっとおるかなぁ…。」

「学校は?」

「俺もう推薦で大学決まっとるし…。三学期に出席日数合わせで出るだけやから…。」

「じゃあ、近々行くね。呼び止めてごめんね。」

そう言うと、中原さんはうえ(山の手)に向かって軽やかな足取りで歩いて行った…。


狐につままれたような気分の俺は、唇を焼く程に短くなったセブンスターを足元に落とし、溜息を一つつきながらアディダスのスニーカーで踏み消した。









ふたつのでっかい銀色のケトルに9分目まで水を張って火にかける。

次にアルコールランプのアルコールの量を確認する。

ガラスのロートとフラスコに汚れや傷がついてないかチェックする。

科学の実験の授業みたいやろ。

それが済んだらネルのフィルターをしっかり洗浄して乾燥させておく。

【ぎやまん】はコーヒーをサイフォンで淹れるんや。


ここでバイトするまで、俺はサイフォンでコーヒーなんぞ淹れたことが無い。

サイフォンで淹れたコーヒーを飲んだことも無い。

うちのオカンはようコーヒー飲みよるけど、もっぱらインスタントオンリー。

…んなもんで、マスターからはサイフォンを壊さんよう、厳重注意を受けとる。

サイフォンの扱い方も、徹底的に指導された。

今のところは、まだ、なんも起きとらんけど…ね。


開店の準備がでけたら、香り高いコーヒーを一杯、俺のために淹れるんよ。

それが俺のオープン前の日課…。

なんて、開店前に、ただ一息つくのに飲むだけです。


ホーローのキャニスターから計量カップ半分のコーヒー豆を取り、電動ミルにかける。

ガリガリって音が静かになったら挽き終わり。

ロートにネルのフィルターを付け、挽いたコーヒー豆を入れる。

フラスコにはコーヒーカップ一杯分よりちょっとだけ多い水を入れ、フラスコ外部に付いた水分を乾いた綿布できれいに拭き上げる。

そしたら、ロートとフラスコをドッキングさせ、アルコールランプに火を付けフラスコの水を温める。

この間に、銀色をケトルからコーヒーカップに熱湯を注いで…。


…ここが格好ええねん…


お湯でなみなみになった馬鹿デカいケトルを持ち上げて、その注ぎ口から糸のように流れ落ちるお湯をコーヒーカップに注ぐ。

熱いお湯をこぼさんように、跳ねやんようにコーヒーカップに注ぐ。

クソ重たいケトルを震えること無く持ち上げて、コーヒーカップにお湯を注ぐ。

サイフォンで淹れたコーヒーを冷まさんよう、コーヒーカップを温めておく。

一杯のコーヒーにここまで気を遣う…。


…そんな俺って、ダンディちゃう…


フラスコの水がアルコールランプに温められて、だんだんとお湯になり、膨張して足管を上昇していく。

ゆっくりゆっくりロートにお湯が満つる。

そん時、竹べらで挽き豆とお湯を混ぜる。

ゆっくり2〜3回、回すだけ。

そしたら頭の中で5を数える。

5秒だけそのままにして、直ぐガラスのキャップでアルコールランプの火を落とす。

挽き豆を煮出した焦げ茶色のお湯は、温度が少し下がるだけでポコポコと音を立て、足管を下り落ちる。

収縮つうやつやね。

煮出されたコーヒーがフラスコに全部落ち切ったら、ゆっくりと優しくロートを外す。

ほんで、温めといたコーヒーカップに、でけたてホヤホヤのコーヒーをゆっくりと注ぐ。

ほんで、コーヒーカップの口から1センチ位下の量でコーヒーを注ぐのを止める。

フラスコの底には5ミリ程のコーヒーとネルのフィルターを透過してきた挽き豆のカスが残る…。


…プロの仕事やねぇ…


「ほれ、量もぴったしやん。結構上手なったんちゃう。」

フゥーフゥー、ズルズル。

フゥーフゥー、ズルズル。


…ん…

…ちょい薄いかも…

…もう1秒つう感じかぁ…

…何度やっても納得いくもんはでけへんな…


自分自身に浸りながら、無意識に咥えたセブンスターに無意識に火をつけとった。






朝9時、コーヒーを飲み干して、色とりどりの磨り硝子がはめ込まれた扉に「OPEN」の看板を掛ける。

わざと少しだけ斜めに掛けるのが俺のこだわり…。

…なんて。

【探偵物語】のオープニングを真似とるだけ…。

すると、速攻、バイクの音がする。


…こーいちや…


ドアが開くと案の定、革ジャン姿のこーいちが登場。

相変わらず眩しいくらいの二枚目ぶりや。

「よお。」

「早うから…。ん…?!」

こーいちが入って来ると、その後ろからこーいちよか頭ひとつ背の高い、真っ黒で角刈りのガタイのええのが入って来た。

この寒い日にワイシャツ一枚…。


…外人さんか?…


その外人さん、おもむろに一言。

「サムロウぉ~。」

「だ、誰ッ????????」


…焦るわぁ…

…誰やいったい…


「サムロウ。これ、豪太やで。」


「…豪太やで。」

「…豪太やで。」

「…豪太やで。」

「…豪太やで。」

「…豪太や…。」


…こーいち…

…なに言うとん…


こーいちの言葉が耳に残らん。

思わず俺は、後ろにある食器棚に置いたるセブンスターに手を伸ばす…。


「えっ、誰なん。」

「だから、豪太やて。」


「…豪太やて。」

「…豪太やて。」

「…豪太やて。」

「…豪太やて。」

「…豪太やて。」

「…豪太や。」


やっとこーいちの言葉を理解した。


…けど、どれが豪太なん?…

…豪太はどこにおるん?…


俺はおもむろに咥えたセブンスターに火をつける…。


「サムロウ。変わらんなぁ~。」

めっちゃガタイのええ、知らん兄ちゃんにそないに言われても。


…って、これが…、豪太?!…

…豪太!!!!!…


ゲホゲホゲホゲホ。

ゲホゲホゲホゲホ。


…たばこ逆さまやん…

…めっちゃ動揺しとるやん…

…ドッキリちやうの…


「自分…、豪太…、なんか…。名前通りになってしもとるやん…。」

「そやろ。」

笑うと見える白い歯の眩しいこと。


「嘘やろ。」

俺はとにかく唖然。


「ほんまやて。」

そう言われても、俺の記憶の豪太は、これやない。


「ど、ど、ど、ど、ど、どないしたん?」

無意識にどもってまう。


「どないもこないもあらへんがな。」

めっちゃ爽やか笑顔で言いよる。

歯、めちゃくちゃ真っ白やがな。


「アホでチビででぶでブスの豪太はどこ行ったんや…。」

「ここにおるやん。てか、えげつない言われようやな。」

って、言い放った爽やかな笑顔にめっちゃ白い歯が、ムカつく。

一緒に笑とるこーいちの輝くハンサムな笑顔もムカつく。






このガタイのええ兄ちゃんは豪太に間違いなかった。

豪太は、ウルトラアホやったからこの県の公立高校は到底無理。

やから、中学卒業して兄貴の通う県外の私学の高校へ行きよった。


豪太の兄貴は全国級のラグビー選手で、豪太も期待されてその学校に招かれたんやて。


頭脳べんきょう、関係のうて良かったやん…


ほんでもって、兄貴のおるラグビー部へ入部。

中学時代はなんも部活動やっとらんかった豪太が、強豪校ラグビー部の練習についていけるわけがない。

初めはむっちゃしんどかったって。

毎日「死ぬわ。」って、思てたんやって。

食事も喉を通らん。

それやのに先輩たちから無理矢理食わされる。

体中が筋肉痛で寝ることもできん。

それやのに朝早う起きて練習の準備をせなあかん。

これじゃあ~矯正施設か刑務所やん。


何回も気、うしのうたって。

血のしょんべん出たって。

でも、だんだんついていけるようなって、ガタイもどんどん良うなって、2年の終わりにはキャプテンに指名されたんやて。

そんで3年では全国制覇を成し遂げてんて。


…自分、シンデレラかっ…


大学も推薦で早々に都の西北、早稲田に決定。

入学まではこっちで羽伸ばしとくんやて。


…自分、醜いアヒルの子かっ…





「ちょう待ってや。待ってや。そしたら今後、チビのポジションは俺ってこと?」

滅茶苦茶ショック。


「神様〜。神様〜。神様〜。神様助けて〜。神様〜。」

思わず新喜劇調になってまう。


中学3年間のタッパ別ポジションは、こーいちがトップ。

俺かタクマが次。

ケツが豪太。

…つうのが不動のポジションやったのにィィィィィ。

たった3年…。

たった1000と95日程で…。

いつしか俺が…。

この年代の3年間て…、めっちゃ残酷やね。






「な、何にする?」

嫌な気分を入れ変えて、営業スマイルでオーダーをとる俺。


…プロやん…

…あかん…

…顔が引き吊つっとんのが分かる…


「僕はブレンド。」


…相変わらずの二枚目やんなぁ~、こーいちは…


「オレはアメリカンやな。」


…なんか、注文しとるだけやけど腹立つなぁぁぁ、豪太は…


「ブレンドとアメリカンね。」


…てか、一緒のもん頼めや…





ほな、先ずはブレンドの豆、挽いて…。

次はアメリカンの…。


「なあなあ、一緒に作らへんのか?」

ニュー豪太がいっちょまに質問してきよった。

俺は人差し指を立てて「チッ、チッ、チッ、チッ…。」


「なんやねん。」

豪太が怪訝な顔しやる。


「薄めたコーヒーをアメリカンやと思とんちゃうか?」

なんも知らんお客さんはこれやから困るわ。って、顔して言うたったわ。


「そうちゃうんかッ。」

オレは何でも知ってるで。って、言わんばかりの豪太の返し。


…青二才が…


「チッ、チッ、チッ、チッ…。」

豪太の顔の前で人差し指を右に左に…。


「めっちゃ腹立つねんけど。」

簡単に挑発に乗る豪太。

つむは相変わらずの豪太やん。


「アメリカンはアメリカンちゅう豆が、あ・る・ん・や。」 

「嘘やん。」

「嘘ちゃうって。」

「ほんまに。」

こーいちまでツッコんできよった。


「ほんま。アメリカンっうんは、あんまローストしてない豆なんや。」

「へぇ〜。」

こーいちが珍しく感心しとる。


「だから、煮出しても濃くならんのよ。」

「ほんまに。」

「ほんまやて。」

つうて、ブレンドとアメリカンの豆を二人の目の前に出したった。


「ほんまや。豆の色がちゃうな。」

こーいちは目もええんやねぇ~。

キラキラ輝いとるやん。


「ほんでもって、豆の挽き方もちゃう。」

「それは嘘やろ。」

やっぱ、豪太はボキャブラリーが貧困や。


「嘘ちゃうがな。」

俺も豪太のこと言えん返しになってもたやん。


「サムロウにそんな細かい芸当できんの?」

変身した豪太はなんかメタ糞失礼千万。


「電動ミルのツマミ変えるだけやがな。できるわ。」

ガリガリガリガリって、音立ててミルマシーンがコーヒー豆を挽く。

二種類の挽き終わったコーヒー豆をロートに入れる。


「アメリカンの方が荒いんや。」

流石、こーいち。

ひと目で違いを見破りやがった。


…違いの分かる男やねェ~…


「そう。そう。」

「ダテに毎日バイトしとるわけちゃうねんなぁ…。」

こーいちが褒めとんか褒めてないんかよう分からんことを言う。


「サムロウも大人なってんなぁ。」

変態した豪太は完全に俺をバカにしとる。






「はい。お待たせ。」

「サンキュー。」

「サムロウの淹れたコーヒー。豪太、感激。」


…お前はヒデキか…


「ところで、豪太はこっちで何かやっとんか?」

「週明けからバイト。」


…バイト…

…どこや…

…アホを馬鹿にしに行ったろ…


「…で、どこでやるん?」

「サムロウのアパートの近所にある大きい中華料理店で…。」

「えっと…。あの…、元…、宝塚の大スターの…。」

「それそれ。」

豪太はアメリカンコーヒーすすりながら思慮なく答えよる。


「あかん…。」

心の声が思わず口からこぼれてまう俺。


「どないした?サムロウ。」

こーいちが二枚目の気遣いをみせる。


「豪太のバイトしとる姿、からこうたろ思たんやけど、その店、うちの両親の会社のお得意さんなんや。ケチなんぞつけれんて。つけようもんならオカンに殺さる…。」

目の前真っ暗な俺。


「サムロウ。残念なこって。」

豪太が、ツルツルの白い歯を見せて言いよる。






「なんか、俺だけおかしない。」

心の声が思わず口からこぼれてまう俺…。パート2。


「なんがや?」

なんも考えずツッコミ入れてくる豪太。


「俺だけ、全然、変わらんやん!!!中学から!!!」

俺の心の叫び。


「そんなことあらへんて。」

こーいちの傷ついた俺を包み込むような言葉…。


「ほんま、こーいち。」

思わずすがる俺。


「ほんま。ほんま。」

あくまでも肯定してくれるこーいち。


…ジェントル過ぎるやん…


「どのへんが?」


…聞いてまうよなぁ…

…聞いてまうって…


「おっさん臭なったやん。」

こーいちのピンクの唇から放たれた衝撃の一言。


「なんやそれ。」

条件反射でツッコむ俺。


「サムロウは緑色のジャージしか似合わん。短い足にジーパンは無理があるって。」

涼しい顔してこーいちの辛辣ジャブ、炸裂!!!


「それに坊主頭がいっちゃん似合うのに、今は七三の刈り上げ頭…、おっちゃんやん。」

真顔でこーいちの辛辣ジャブ、二発目。


「YMOやん。テクノカットやん。」

俺の反論。

反撃の一発。


「どこが…。うちの親父と一緒やん…。」

なんも考えよらん豪太が土建屋の親父と俺のテクノカットを一緒にしよった。

豪太のメガトン級のストレートが俺の顔面にクリーンヒット。

見事なクロスカウンターやで…。

ガクガクブルブル…、足にきた…。

もう、立っとれん…。

俺、ダウン。

…て、「もうエエわ。」


何年、うてのうても、姿、形が変わっても、相変わらずこいつらが集まると笑いが絶えへん…。

最高に、忘れ難い時間やわ…。


俺はセブンスターに火をつけて、ゆっくり苦い煙を吸い込い込んだ。






この週末も、いつも通り【ぎやまん】でバイトに励んで、勤労少年をやってっと…、


カチャ。カランコロン。カランコロン。

「こんにちは。」

「いらっしゃいまし…、えっ?」

「…どうしたん?」

「いやいや。そっちがどうしたんやろ?」

そこに立ってたんは中原さんやった。


けど、一目では中原さんとは分からんかった。

どう見てもヨーコさんと同じ女子大生に見える…。

なんも知らん俺でも分かる上等な茶色のトレンチコートに紺色のチェックスカート。

肩からはヨーコさんがめっちゃ欲しいて、マスターに強請ねだっとった、LとVがいっぱい描かれとる…。

ニュートラ…ル、ちゅうやつ???

よう分からんけど…。

ほんでもって、ちょこっと化粧もしとる。

学校とは全然ちゃう。

お姉さんやん。

驚きやわ。


「座ってええ?」

「ああ…、ごめんごめん。どこでも。」

中原さんのあまりにもぶりに我を忘れとった俺…。


『こりゃ~ノックもびっくりやで。エスコートも忘れるようじゃ、俺もまだまだやねぇ…。』と、意味不明な感嘆と反省に耽っとる間に、中原さんはコートを脱いで、俺の目の前のカウンター席に腰掛けた。


…なんかええ匂いがする…


俺はすかさず冷水とおしぼりを。

ほんでメニューを広げて、低い声で「お決まりになったらお呼び下さい。」って、マスターに教え込まれた定型句をば…。


「サムロウくん、おもろ過ぎ。」

中原さんはLとVのから淡い桃色のハンカチを取り出すと、それで口元を押さえて笑い出した。

客席が温まったところで…。


「今日はおごるから、何でも好きなもん言うて。」


…やるやん…

…俺、ジェントルマンやん…


「そんなんええよ。お金はあるから。」

中原さん、俺の格好つけを一蹴。


「そ、そうなん…。ほな、決まったら言うて。」

「どれがおすすめ?」

「そやなぁ…。コーヒーかな。」

「コーヒーかぁ…。」

「コーヒー苦手か?」

「うん。」

「ほな、紅茶は?」

「紅茶は好き。」

「なら、おすすめはティーオーレかな。」

「ティーオーレ…?紅茶を牛乳で割るん?」

「ちゃうちゃう。」

「ミルクティーともちゃうんや。」

「ちゃうよ。」

「じゃあ~それにする。」

「では、ティーオーレを、お一つ…。」


俺は雪平鍋にティーカップになみなみに入れた牛乳を注ぐ。

牛乳を計ったティーカップは熱湯を入れ温めとく。

牛乳を入れた雪平鍋を弱火にかける。

そこにオレンジペコを二匙。

ゆっくり竹べらでかき混ぜながら温めていく。

牛乳に直接入れた紅茶の葉は、めっちゃ戻り難い。

慌てて火力を強すると牛乳に膜が張ってまうし、焦げてまう。

イラチな俺には不向きな飲みモンやわ。


焦らず慌てずゆっくりゆっくり、沸騰させんよう、牛乳に紅茶を煮出す。

ゆっくりゆっくり、紅茶の成分を牛乳に抽出させる。

牛乳がキツネ色になって、紅茶の香が立ったら、火を止め雪平鍋の中身を茶漉しを使こてティーカップに注ぐ。

これででき上がり。

紅茶の香り高いティーオーレの完成や。


「お待たせしました。」

「すっごくいい香り。砂糖入れてもええの?」

「ええよ。」

中原さんはシュガーポットからグラニュー糖をティーカップへ一匙入れると、ティースプーンで滑らかにかき混ぜ始めた。

スプーンをカップに当てることなく、静かに優雅にかき混ぜる。


…やっぱうえ(山の手)育ちは違いますなぁ…


かき混ぜ終わっても直ぐに飲むようなことはいたしません。

ティースプーンを音もなくティーソーサーの上に置き、右手の人差し指、中指、親指の三本でティーカップの持ち手の上部を摘み持ち上げる。

そのカップをゆっくりと鼻先に持ってくると、香りを楽しみ、その後、上品にピンク色の艶やかな唇をティーカップに付ける…。


みやびやか過ぎるやろ…

うえ(山の手)の人らはちゃいますなぁ…

…なんか、いつまでも見とれますわ…


「めっちゃ美味しい。」

「そやろ。そやろ。」

なんでか笑顔になってまう。

うえ(山の手)の人にした(下町)の人間が作ったもんを普通に喜んでもらえるんはめっちゃ嬉しかった。

ましてや、半人前の俺が淹れたお茶を山の手育ちのお嬢様が喜んでくれるやなんて…。


…マスター、ティーオーレの作り方、教えててくれて、ありがとう…


俺は、嬉しさから知らず知らずのうちに後ろの棚に置いたるセブンスターを取ろうとしたが、ティーオーレの香りを邪魔することに気づき、取るのを止めた…。





「サムロウくんって、うちの高校の生徒らしないね。」

「やな…。落ちこぼれやしな。」

「1年の時の噂、凄かったやん。」

「ああ…。あれね。」

「めっちゃ怖い人やと思てた。」

「そうなるわ…、な…。」

山の手のお嬢様からすれば「驚き桃の木山椒の木。」つう話やろうけど、下町のましてや、俺の生まれ育ったじゃあ、日常茶飯事ちゃめしごとのありがちなこと…。

やけど、お坊ちゃん、お嬢ちゃんには刺激が強すぎる話…。


俺は高校入学に早々に、やらかしてる。

昔々むかしむかし、俺の町の中学から今の高校へ入んのには無理があったんや。

何でかつうと、まぁ…、俺の生まれ育ったした(下町)は、ろくでもないねん。

てか、ここの市には、この国を裏から牛耳っとるって言われとる【○○組】の総本山がある。

やから、あちこちにヤバそうな人間がゴロゴロおるねん。

そんな社会のクズのたまり場のひとつが、俺の生まれた町…。

俺がまだ、ガキん頃は、そこいら中、空き地だらけで、そこに勝手に住み着いとるヤバそうな大人がゴロゴロおった。

町中変な臭いしとったし、昼間から酔っ払らって道で寝とるおっさんもぎょうさんおった。

銭湯は刺青者ばっかやし…。


俺が10歳ぐらいの時に、やっと町の開発が始まって、クリーンなイメージに変わっていった。

新しい住民も余所から入ってきた。

その1人がタクマなんやけどな…。

新しい人らが増えると、ヤバい奴らは減っていった。

治安も変わった。

教育も良うなった。

時代のおかげで、俺らの通える学区も広がり、俺はええ高校に入れた。


やのに…、ろくでもない町は、俺を許さんかったんや…。

てかっ、かっちょいい!!!


まぁ…、話は単純。

高校入って直ぐの頃、帰り道でラリっとるチンピラ三人組に絡まれた。

そんでもって、俺は3対1で羽交い絞めにされて、殴る蹴るで、ボコボコにされた。

パーマはぐしゃぐしゃ。

顔面は青タン、赤タン、オンパレード。

入学用に高架下でうた学ランはビリビリ。


ダラダラの流血状態で帰宅した俺を見て、オカンは発狂…。

仕事中のオトンを帰宅させて、俺を連れて警察署に…。

単なる喧嘩が一気に傷害事件へ…。

警察署から病院へ移されて精密検査…。

結果は全治2週間…。

「自宅で安静に。」と、なぜかお医者様からきつく念を押された。


…いやいや、俺は被害者やって…

…もっと優しいしてや…


2週間後、高校行ったら、知らぬ間に有名人。

天性つうやつ。

生まれもってのスターはつらいよ…。

…なんて。


なぜか、全校生徒が俺のこっ恥ずかしい話を知っとった。

それもあることないこと、尾ひれはひれ山盛り付きまくりで…。

その理由わけは、警察署から学校へ連絡が入っとったからなんやけど…。

それを俺のクラスの先生がホームルームで話やって、あっという間に全校生徒の耳に入ることとなる…。

先生は、ウイークエンダーのレポーターかっ、つうの。


この高校は元々が、上等で、上級で、上品な女子のための進学女子校。

それが共学となり、県内有数の公立進学校の今に至るんやけど、そこで起きた前代未聞の不祥事…。

真面目な生徒諸君には、この件はちとエキサイティングようで…。

俺は腫れ物扱いにされる結果とあいなりました。


なんかそっから俺は「カエルの子はカエル。」つう感じで脱落、転落。

見事「落ちこぼれ」に…。

「トンビが鷹を生む。」ことはなかったんだなぁ…、これが…。






「そやのに、あん時、よう声かけれたな。」

「…ほんま不思議。…なんでやろ?」

「いやいや。こっちが聞いてんねん。」


なんのことないバカ話でよう知らん男女2人がケラケラ笑い合えてた。

同じ学校に通うだけの同級生。

最近まで、話したこともなければ、声を聞いたこともなかった。

住むとこも、住む世界も、全然違う二人。

経験も、背景も、そこから導き出される価値観も、全く違う二人。

それやのに、この空間では、まるで昔から知っとるように接せてる。

不思議な時間や。

なんか、ええ時間や。


ここでセブンスターを…、って思たけど、なんか吸えへん俺がいた…。







中原さんは、この日以来【ぎやまん】に毎日ように来るようになった。

私服でも制服でも来る。

ここで出会う、タクマとも、こーいちとも直ぐに仲良うなった。

なんか顔つきも明るなった。

彼女曰く、【ぎやまん】に来るのは「受験のストレスの気晴らし…。」なんやて。

まぁ、誰かの役に立っとるんはええことや…。






そして今日も来た。






「こんにちは。」

「中原さん。何にする?」

「ん…。トーストとティーオーレ。」

「分かった。」

中原さんもいつの間にか【ぎやまん】の常連さんや。

席につくこともなく、メニュー見ることもなく注文しよる。

しかし、それはなぜか?

それは俺の作業の遅い事がバレたからです。


どんだけコーヒー淹れんの上手うまなっても、段取りの悪さは変わらんかった。

特に、食べもんと飲みもんを一緒に頼まれた時…。

「サムロウくん。ここでバイトしてどれくらい?」

「夏休み入ったぐらいからやから…4ヶ月超えたぐらいやな。」

「その割りには手際、いまいちやね。」

「中原さんも言う。みんなと同じこと。」


中原さんとも気軽にツッコミあえるぐらいの仲になっとった…。








「あんね…。」

「ん?どないしたん。」

「…私、…好きな人おるん。」

「そ、そうなん。」


…唐突になに?!…

…今週のびっくり!ドッキリ!…

…ほんま、なんやなんやいきなり…


「1年時からずーっと好きなん。」

「へ、へぇ…。」


…もしかして、もしかするの…


「ちょっと悪ぶってんの…。」

「あ、うん…。」


…確定ちゃうかぁ…


「ほんまは真面目やのに…。」

「お、おう。」


…その先は言うたらあかんて…

…俺には…


「私、好きなん。」

「…。」


…あかんて…

…俺には…






中原さんが急に押し黙る。

視線はカウンターに向けたままや。

表情は読みとれん。

この沈黙の重さに耐えれん。

ボケかまして回避したいけど、そうは問屋が卸さん…、つう雰囲気や。

そんな重たい空気を打ち破ったんも中原さんやった。




「…好きなん、…福山君のことが。」

「へっ?」


…へぇ…ぇ…ぇ…ぇ…、マジで?!…


「ずーっと福山君のことが好きなん。」

「そ、そう…、なん…。」


…こ、こ、これはこれで、よかったやん…

…なに勘違いかましとるん、俺って…

…恥ずかし…


「1年時に一回、告白してん。」

「う、うん。」


…中原さん、なかなかに大胆…


「速攻、振られた。」

「嘘やろ?」


…中原さんのこと振るかぁ…

…まぁ、福山やしなぁ…


「ほんまにほんま。でも、今でも好きなん。」

「嘘やろ?」

「嘘ちゃうよ。きっつい言われ方して振られとんのに…。」

「何でなん?」

「多分、私…。…。…。…。おかしいんよ…。」


そう言うと、中原さんはカウンターに突っ伏して泣き出したんや。

中原さんが俺の前で隠すことなく泣いたことに単純に驚いた。

【ぎやまん】に茶しに来ても、生まれ持っての清楚でお淑やかさを醸し出していた中原さん。

その彼女が人目をはばかる事無く泣いた。

抑え込んどった「好き」つう感情が溢れ出たんやろう。

美人で優等生で山の手のお嬢様の中原さんの一途さに俺は衝撃を受けた。

それに過去に福山に告白してたことにも心底驚愕した。

本音で言うと…、「なんで福山なん?」つう感じ。


…中原さんて、福山の家のこと知っとんかいなぁ…


大泣きして、気持ちが落ち着いた中原さんはまた喋りだした。

「サムロウくん、お願いあんの。」

「なに?」


…なんか、嫌な予感しかせん…


「私らもう卒業やん。」

「そやな。」


…ヤバい…

…マジで嫌な予感しかせん…


「これで最後やん。」

「そりゃそや。」


…言うなよぉ…


「だから…、も一回…。」

「…。」


…言うな、それ以上は…


「卒業までに、告白したいの。」

「…。」


…言うてもた…


「だから、サムロウくんに手伝って欲しいん。」

「何を?」

「福山君を呼んで来て欲しいん。」

「自分でやったらええやん?」

「あかんねん。福山君に私、避けられてるから…。」

「ほんだら元々目がないやん。」

「それでもええの。」

「何でなん?」

「ダメでもええの…。自分の気持ちにケジメつけたいの…。」

「…。」


…それは嘘や…


中原さんは賢い。

二度も恥をかくだけのことなんかしーひん。

ある程度は勝算があると思てるはずや…。

悪うても、高校生活最後の美しい思い出ができるて、考えとるはずや…。

世間知らずのお嬢様が考えそうな妄想やわ…。

完全に悲劇のヒロインに酔うてるな…。


「新しく始まる大学生活のために、高校で引きずったもん終わりにしたいん。」

「…。」


…やっぱしな…


「お願い、サムロウくん。」

「福山はそんな玉やないで。」

「うん。」


…中原さん、全然分かってないわ…


「福山は、卒業なんかにほだされへん。」

「うん。」


…分かった振り…

…返事だけや…


「アイツは蛇や。蜥蜴や。冷血動物や。」

「何でそんなに言うん?」

「…。」


…呆れた…

…ほんまに好きなんやな…


「ちょっと考えさせて…。」

そう言うと、中原さんは「分かった。」って、帰っていった。


…中原さんはほんまに分かっとんのかなぁ…


一気に静かになった【ぎやまん】で、俺はなんの気無しに、後ろの棚のセブンスターを手に取っとった…。










福山…。

俺は1年ん時、福山と同じクラスやった。

苗字は知っとるけど、名前は知らん。

学校で会えば今でも挨拶ぐらいはする。

俺と福山はその程度の関係や。


福山は見た目は格好ええ。

脚も長いし…。

西城秀樹や川崎麻世みたいやし…。

家は金持ちやし、本人はお洒落やし…。

頭脳べんきょうは中の中ぐらいやし…。

入学当初、同学年の女子たちは結構気にしてたみたいや。

でも、その頃から福山には影があった。


その理由は直ぐに分かった。

福山ん家が、この市に住んどる者で知らん者の無い大人の歓楽街でト○コ風呂を経営しとるっうことにあったんや…。


…まぁ、気質かたぎの家ではないわな…


福山が1年当時、同級生の俺ら男子にいつも言うてたんは「童貞捨てんのやったうちに来い。親父に頼んで格安で捨てさせたるで。」って…。

この前まで、やっとチンチ○に毛が生えた程度の男子がそないな風に言われても「頼むわ。」なんて言わんやろ。

やけど、こんな家庭環境で育ったなら、まだ幼稚な同級生に対して、こんな大人びた下世話なことしか言えんでもしゃあないやろな…。


福山の口から常常つねづね出る言葉には、女に対する侮蔑、軽視のニュアンスが含まれとるんが多かった。

女を商品か商売道具としか思とらん印象があった。

自分の母親でさえ「お手伝いさん」みたいに言うとった。

他人の家庭の事をあれやこれやと詮索はしとうないが、福山の言葉の端々に出るニュアンスが本心なんやったら、ヤツもまた、犠牲者なんかも知れん…。


そんな生い立ちやから福山は女を真面目に好きになれんみたいやった…。

それどころか、恨んでいるようにも思えた…。

その福山の言動に、入学当初は気にしてた女子もどんどん離れていった。

それやのに中原さんは福山に告白した。

ほんで振られた…。


…見かけに寄らず行動力あるわ…


それでも今まで福山を好きでおれたんは、1年当時の福山にまだ甘い部分が残ってたからやろう…。

少しは年相応の子供らしさは残ってた。

やけど、今の福山にそんな甘さは微塵も残って無い。

オスとして成長すればするほどに、女に対する嫌悪感が膨れ上がっただけや…。

この3年間で、さらに福山は冷血漢になっただけや…。

過去に玉砕されとんのに、も一度なんて…。

今度告白したら、中原さんには100パーセントの苦いもんしか残らんて…。

ダメージしか残らんて…。

そこにはええ思い出なんてこれっぽちも存在せんて…。






しかし、次の日も次の日もその次の日も、中原さんは【ぎやまん】にやって来て、福山を呼んで来て欲しいって、頭を下げる…。

何度も何度も涙を浮かべながら懇願する。

「藁をも掴む。」つうのは、こう言うことなんやろなぁ…。

少しでも福山との接点のある俺に頼るしかないんやろなぁ…。

やからあの日、俺を見かけて、話したこともないのに、勇気を振り絞って声をかけたんやろなぁ…。

「一縷の望み。」に掛けたんやろなぁ…。

ほんで、受験で暇ないにもかかわらず【ぎやまん】に通い詰めて、お願いする機会を伺っとったんやろなぁ…。

そこまでさせる一途な恋。

「恋は盲目」つう通りやな…。


…健気やな…






あれから懇願される日々が1週間も続いた。

ええ加減、一歩も引き下がらん中原さんに流石に根負けした俺は「近々、福山に話す。今日はもう帰り。」つうた。

そして、中原さんを帰えらした。

中原さんの本気と、大学受験を考えると、ズルズル長引かせるのは得策やない。

できればさっさと決着をつけたい。

やけど、少しでも中原さんにとってええ結末を迎えさせてあげたい。

それには直接福山の気持ちを知る必要がある。

それで俺は、バイト終わりに電話帳で福山の親父さんの店を調べ出し、公衆電話から電話してみた…。


…本心を知らんことには…


思わず噛んだセブンスターのフィルターは、苦かった。










福山の親父さんの店に電話をかけ、息子さんの同級生だと伝え、実家の電話番号を教えてもらった。

そして、福山ん家に電話をする。


「もしもし…。」

しばらくの間、呼び出し音が続いた後、急に電話がつながった。

出たのは福山本人や。


…相変わらず陰気臭い声や…


「福山君のお宅ですか?」

本人やと分かっていたけど、あえて思いっきり明るい声で聞いてやった。


「ええ…。」


…暗ぁぁぁぁぁ…


「○○高校の花薗と言います。福山君、られますか?」


…どや、好青年やろ…


「オレや…。サムロウ、なんや?」


…初めから知っとるわ…


「今からお前ん家、行ってええ?」

「筆下しか?」


…3年なっても変わらんのぉ…


「ちゃうちゃう。話あんねん。」

「話?サムロウが俺に?気色悪いな…。まあええわ。店の裏に家の玄関あっから呼んで…。」

つうと、ガチャンと一方的に電話は切られた。


「悪りいな。30分ぐらいで…。」

この俺のセリフは福山には伝わらんかった…。


…せっかちなヤッチャで…


俺は無意識に、ジャージのポケットをまさぐってセブンスターを取り出しとった…。





緑色おばちゃんシャリーで歓楽街を走り回る咥えたばこの高校生…。

普通の街やと、お巡りさんから職務質問受けてもしゃあないで…。

しかし、ここは普通の街やない。

この街は、変な奴も、危ない奴も、ヤバい奴も、普通の奴も、ごちゃ混ぜで区別がつかん。

善悪併せ持つこの街では、一般的な常識なんて通らへん。






目的のネオン瞬く、どう見てもいかがわしい店を発見。

やっぱ子供の夢の国とは違う、大人の国のなんとも言えんあやしさが満ち溢れとる。

裏に回ろうと目がチカチカする店に沿ってシャリーを押して歩く。

店の横にはこれまた怪し気な駐車場。

照明のあんま無い薄暗い駐車場には、真っ黒なベンツがゴロゴロ停められとる。

そん中に一際目立つ1台の真っ黄色のスポーツカー。


…カッケェー。サバンナRX−7やん。初めて見たでぇ…


なんにしても、お金持ちはちゃいますなぁ。


ネオンギラギラの表の建物とは違ごて、背中合わせの裏にはごく普通の家屋があって、ごく普通の玄関やった。

こわごわ呼び鈴を押す。

思わず逃げたなる。


…ピンポンダッシュかっ…


「開いとる。入れや。」

家の2階から声がした。

見上げてみるとそこに福山が爬虫類顔を出しとおった。


「入ったら2階な。」

福山の指示に従いビビりながらドアを開けて入る。

めっちゃ広い三和土。


…靴、何足置けんねん…


家ん中から、なんかめっちゃ甘い匂いがする。

なんや知らんけど、無意識に体に力が入る…。


「悪いな。寛いどるとこ。」

ビビっとんのを覚られんように精一杯の虚勢を張る、俺。

上がった2階の部屋は、どデカいリビングやった。

その窓際のソファーで福山は寛いどった。


「話てなに?」

「中原さんておるやろ…。」

「懲りんやつやな。」

「全然、可能性ナシなん?」

「1ミリも…。」

「そか…。中原さん、も一回、福山に告白したいんやて。」

「しつこいやつやな。」

「会ってやってくれんか?」

「サムロウ、中原に惚れたんか?」

「それはない。」

「一途かッ。おもろないやつ…。」

「そうか…。で、どないや?」

「ええよ。」

「ほんまに。」

「ほんまや。」

「いつが?」

「いつでもええ。中原に合わせたるわ。」

「分かった。連絡する。」

「受験前のムシャクシャした気分、晴らさせてもらうわ。サンドバッグ代わりにさせてもらうわ。」


…福山はこういうヤツや…


良い意味でも、悪い意味でも、俺の予想を裏切らんヤツ。

「卒業」なんてことで急に変わることはない。

やっぱ、俺の思てた通り、ハッピーエンディングはないようや…。





「今日はありがとうな。」

俺はさっさと福山の家を出た。

ボーっと考えながらシャリーに跨った。


実際に福山本人にうて、このあと起こるであろう悲惨な結末が見えてしもた…。

多分、中原さんは恋を成就させることやなく、自分の記憶に美しい1ページを残そうとしとるんやろう。

「卒業」つう甘美な響きが、福山の心境に優しさをもたらすとでも思とるんやろう。

友達からでも、文通からでも、何でもええから一歩でも前進でけたら、なんて考えとんのやろうな…。


…ほんま、夢見とるわ…


その優しさが、中原さんの心に綺麗な思い出として残る。

その綺麗な思い出は、この3年間のケジメをつけてくれる。

福山を一途に思て来たことは間違いやなかった。

なんて…、そんな風に勝手に想像してるんやろう。


…ほんま、山の手のお嬢様やわ…


残念やけど、今の福山にはそないな甘さ、優しさの微塵もない。

中原さんの乙女チックな心は無残にもズタズタ、メタメタに打ち砕かれるやろう。

生涯残るキズになるかも知れん…。

受験も失敗してまうかも知れん…。

間違えても、【ぎやまん】に来てくれる彼女をそんな目には合わせられん…。


咥えたばこでシャリーを運転しながらそう思とったら、吐いた煙が目に入った。






次の日、【ぎやまん】に来た中原さんに福山が会ってくれることを伝えた。

中原さんは顔を真っ赤にし、その場に泣き崩れた。

「ありがとう…。」「ありがとう…。」つう、中原さんの震える声に彼女の本気の感謝と、並々ならぬ覚悟を感じた。


…それ程までに中原さんは必死やったんや…


俺はこれで良かったのかあかんかったのか分からんようになった…。

中原さんをカウンターに座らせ、ティーオーレを出す。

口をつけることはなかった。

ただ、小刻みに震えている彼女の渦巻く心中を想像すると痛々しく感じてまう。

バイト終わりに彼女をシャリーに乗せて家まで送った。


うえ(山の手)は静かでデカい家ばっかや。

道にはゴミ一つ落ちてない。

目の痛なるギラギラのネオンサインもない。

家から大声で話す声も聞こえん。

ここで育った中原さんと、大人たちの欲望渦巻く歓楽街のド真ん中で育った福山では世界観も、人生観も、そこから導き出される価値観も、なんもかんも違い過ぎる。


片や、夢見る少女。

片や、夢見ること無い心無い男。

か弱い草食動物と獰猛な肉食獣ぐらいちゃう。

どう考えても相まみえん。

俺の目には惨たらしい幕切れが見えてまう…。


シャリーの荷台に座る中原さんはずっと震えとった。

引き千切りそうな程強く、俺のジャージを握り締めとった。

彼女の一つ目の念願は叶ったが、この先の展開には否が応でも緊張せざるを得ないんやろう…。

中原さんの心が張り詰めとんのが感じ取れてまう…。





中原さん家のお屋敷の前で福山に会う日を決めた。

こんな調子の中原さんじゃあ、引き伸ばしてもしょうがない。

さっさと決着をつけな、受験にも影響してまう。

俺は明日の晩に会うことを彼女に無理矢理承諾させた。





当日。

【ぎやまん】でバイトをしてても気が気じゃない。

なんでか俺まで緊張しとる。

悩んで悩んで悩んだ結果、タクマに協力を仰ぐことにした。


…ダサ過ぎん、俺…


昨晩のうちにタクマに電話して、これまでの経緯いきさつやら、俺の考えやら、全てを話した。

結局のところ、俺一人では心細そうて、タクマを巻き込むことになってしもた。

タクマは「そんなんで会わせてええんか?」って、何度も俺に問うた。

その度に俺はタクマに「なんとかするし…。」つうしかなかった。


「お前に何がでけんのや?中原さんに何をしたれんのや?」

「中途半端な事が一番彼女を傷つけるんやないか?」

「つい最近仲良うなっただけで、そないに肩入れするか?」


電話でタクマにいろいろ問い質されても、どの質問に対しても俺には明確な答えを持ってなかった。


…自分のことは棚上げしといて、俺はまた、あやふやな事をしようとしとるんかなぁ…


なんの妙案もあらへんのに、俺はタクマに「福山を【ぎやまん】の近くにある区民公園の野球場に夕方の6時に連れて来て。」って、頼んだ。

タクマは電話であれ程反対してたのに「分かった。」つうて、あっさり引き受けてくれた。


…タクマにも嫌な思いをさせてまうんやろうな…

…タクマ、怒るやろうな…






【ぎやまん】の開店前に学校へ寄って、中原さんとは5時45分に国鉄の駐輪場で待ち合わせることにした。

こっからシャリーで行けば、区民公園の野球場には5分前には着けるから…。


バイトを上がって国鉄の駐輪場でセブンスターを何本か吹かしながら待っとると、5時30分には制服姿の中原さんがやって来た。


…気が急いてんのやろなぁ…


予定よりは全然早よなってしもたけど、駐輪場でボーっとしとるよりは先に着いといた方が心の準備もでけると思て、直ぐに区民公園の野球場に向こた。

シャリーの後ろで俺のジャージに掴まる中原さんは、やっぱり小刻みに震えとる。

彼女の張り裂けんばかりの緊張が否が応でも俺にも伝わる。

やけど、その緊張は福山には伝わらん…。

それどころか、その膨れ上がってパンパンに張りつめた心を福山はズタズタにしようとしとる…。

全ては己の欲求不満のはけ口とするため…。

シャリーを走らせながら、顔に当たる冬の風が俺の頭をましてくれる…。

やのに、どうするべきかなんも考えつかん…。


…どないしたらええんや、俺は…






暗なった区民公園の野球場には人っ子一人おらんかった。

国鉄の電車が通らん限りは、騒音もない。

ポツリポツリある外灯が野球場のだだぴろさだけを浮き上がらせとった。

俺の選んだロケーションには、間違いなかった。

邪魔する者はおらん。

「心おきなく!」っう感じかな。

ごく普通の告白なんやったら…。


野球場の外灯の当たる明るい場所に俺は中原さんを誘った。

外灯の明かりに映し出された中原さんの顔には血の気がなかった。

たいして寒ないのに、相変わらず小刻みに震えてる。

こんなに緊張して、こんなに怯えて、こんなに覚悟して来とる彼女を見てられんかった。

何一つ報われん事実を知っとる俺はいたたまれんかった…。


…早う終わってくれ…






約束の時間。

ヘッドライトを灯し、タクマの赤のタクトがやって来た。

その後ろから眩しいくらいのヘッドライトを灯した真っ黄色のRX−7。

その運転席から降りて来たんは福山…。


…あの駐車場の真っ黄色のRX−7は、おどれのやったんけ…


マジで何から何までいけすかんヤツ。

デカいアフロのタクマに並んで福山がこっちに向かって来よる。

高いタッパのタクマと並んでも見劣りせん福山の体格。

茶色の長めの髪。

爬虫類みたいなクールな顔。

そんでもって親はとりあえず大金持ち…。


…めっちゃいけすかん…






そのデカい2人が見下げるように俺らの前に立った。


…体格差あり過ぎやろ…

…お前ら反則やろ…


そんなアホなことを考えつつも、俺とタクマは静かに一歩下がる。

あとは主役の2人の時間や。








中原さんは上を向けない。

野球場のグラウンドを見たまま固まっとる。

握り締めた華奢な両手が震えとる。

ほんま「お母ちゃん、見てれんわ。」って感じ。


周りはどんどん暗なる。

耳に入る音は国鉄の電車が通過していく騒音だけ。

どんよりとした時間だけは容赦なく過ぎてく。

福山は革靴の爪先をパタパタさせだした。

タクマはキャビンを口にする。

俺は冬やつうのに背中に汗をかいとった…。

その時…。


「ごめんなさい。今日は無理言って…。」

中原さんの福山に対する第一声。

彼女が必死で振り絞った自分の弱さをさらけ出さないためのごく普通の常套句。


「別にええよ。」

あっさり返す福山。


福山の心無い一言が呼び戻す再びの沈黙。

野球場を包み込む静寂。

終わりの見えない重苦しい時間。

もう俺の耳に入るのは、俺の速い心臓の音だけ。

普通に息もできへん。

当事者やあらへん俺がしんどい。


そんな雰囲気の中、中原さんの胸が大きく息を吸いこんだ。

次の瞬間、彼女の胸の奥に置いていた言葉を吐き出した。

「福山君。私はずっと…、福山君の…。」

でも、一気には吐き出せんかった


この時、俺は見逃さなんだ。

この言葉が中原さんの口から出た途端「待ってました!」とばかりに福山の口角がいやらしく上がった。

その顔はまさに悪魔の微笑み…。


…ヤツは今、いたぶる獲物を見つけよった…

…ヤツは次の合図で容赦なく獲物に襲い掛かるはず…

…ヤツは俺らの前ではずかしめようとしとる…

…ヤツは獲物の全てを蹂躙するまで攻め続けよる…

…ヤツは息の根を止めた後でもそれを続けるやろう…

…ヤツは最後の最後まで、俺らにそれを見せようとしとる…

…福山はそういうヤツ…


こんなフレーズが俺の頭の中を駆け巡りよる…。

次の言葉は出したらあかん。出したら福山の思う壺や。出したらあかん。出さしたらあかん。



…どないすればええんや…

…どないすれば中原さんの次の言葉を止めれんのや…


俺の脳みそがわめき散らす。

普段使こてない脳みそをフル回転させる。


…焼き切れそうや…


頭に血が上る。

こめかみの血管が激しく脈打つ。


…目ん玉が飛び出しそうや…


そう思もて目を閉じた。

瞬間、

…先に体が動いとった。






「ずっと…、すッ…!!!」

中原さんは思いのたけの続きを声にすることはできなんだ…。






俺は俺の口で中原さんの口を塞いでた…。





誰かが巨大な力で俺の肩を掴んで俺を振り向かせた。

中原さんの唇から俺を無理矢理剥ぎ取った。

次に見えたんは巨大な拳骨げんこつ…。

見えた瞬間、それは俺の頬骨にクリーンヒット。

「グシャ。」つう音とともに俺は野球場のグラウンドに叩きつけられた。

女子の泣き声…。

「…らさん。送るよ。」

つう、タクマの声…。


「チッ。サムロウ。もう茶番劇はええか?」

バカにした福山の捨て台詞…。



野球場をあとにする足音たち…。



タクトのエンジン音…。




RX−7のエンジン音…。





各々に消え去る排気音エキゾーストノート…。








俺は仰向けに寝転がった。

左頬が熱、発してる。

ゲロゲロ痛い。

「やってもた…。」って、感じ。


緑色ジャージのポケットからしわくちゃのセブンスターを取出す。

最後の一本。

口に咥え緑色の100円ライターで火を付けて一息吸うた。


…全然、美味うまない…


咥えたセブンスターをグラウンドに捨てる。

吐いた煙が消え失せると、目の前には雲ひとつない満点の星空。


…こないにぎょうさん星てあるんや…


俺の頭にはおもいっきりもやがかかっとる…。


…やっぱ、あないなやり方、マズかったよなぁ…


反省しか浮かばん…、て。







「サムロウ、間違えとるで。」

知らん間にタクマが横に立っとった。

中原さんを家に送ってくれたようや。

地べたから見上げるタクマは一段とデカい。


「間違っとるぞ。」


…タクマの説教くらうなぁ…

…巻き込んで怒っとるやろなぁ、タクマ…


「間違ってる…。」


…ごめん、タクマ…


「間違ってる…。」


…ごめんな、タクマ…

…勝手に体が動いとってん…


「お前がどんだけ間違ってても…、







俺らはお前の味方やからな…。」







…あれ?…

…なんなん?…

…星が滲む…

…目が熱い…

…鼻水まで出てきょった…

…むせる…

…なんで…

…なんで…

…なんで、そんな事言うねん…


俺の目から関を切ったように涙が溢れ出る。


…格好つけんなや…





…ボケ…





…ありがとう…


言葉にでけんタクマへの思いが湧いてくる。





…こいつらとの時間がずっとやったらええのになぁ…





天を仰いで涙を流す俺…。

その俺の腫れ上がった唇にタクマはキャビンを差し込んだ…。











この件以後、中原さんは二度と【ぎやまん】には来いひんだ。

俺は、新しい・・・・を一人失ったみたいや…。








《山の手のお嬢様》編   終わり

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