第11話 恋心と雨の講演会


 ◇◇◇

 

 「ハイ、オマタセシマシター。シィアォロォンパァォ(小籠包)デス」

 

 「あ、どうも」

 

 在日中国人が作る本場の中華料理店に橘と来ていた五十嵐は、カタコトの日本語を話す中国人の女性店員から、頼んでいた小籠包を受け取った。

 

 「傑、こないだ大丈夫だったか?ごめんな。行ってやれなくて」

 

 「あぁ全然。こっちこそ悪かった。東京にいるとは知らずに連絡しちまって。あの後、あいつが来てくれたから、何とか乗り切れた」

 

 五十嵐は、梛七に鮭雑炊を作ってもらったことや、色んな物を持ってきてもらったことを橘に話した。

 

 「何ちゃっかし手料理食ってんだよ〜傑ぅ〜。もしかして、もうそういう関係?」

 

 「ちげぇーよ。あいつとは別に何も…。…俺は別に頼んだ訳じゃねーけど、作ってくれてたから…」

 

 五十嵐は、明らかに動揺している。親友の橘はそれを見て、ますます胸の内を聞きたくなった。

 

 「傑はさ、どーなの?ななちゃんのこと。何も思ってないの?」

 

 「…別に、何もって訳じゃねーけど…。そういうお前こそどうなんだよ?最近」

 

 また話をすり替えたなこいつ、と橘は半眼になって五十嵐を睨んだ。五十嵐は逃げ切ったと言わんばかりに、熱々の小籠包を水色のれんげに乗せて食べようとしていた。

 

 「じゃあ、俺の話。先日、その東京の総合病院の研修会で、俺が少し教壇に立って話す機会があったんだよ。そん時に、一番前で聴いてくれてた女の子がいてさ…。名前分かんねーんだけど、とにかく肌がすげー綺麗で可愛かったんだよね…。なんかずっと、忘れられねーつぅか…」

 

 「気になってんのか?」

 

 「まぁ、そんなところ。アレなんだっけ?シンデレラを探す王子みてーな感じ?」

 

 ぶはははっ。五十嵐は声に出して大笑いした。他人事のように笑う五十嵐を橘はまた半眼になって睨む。

 

 「ガラスの靴でも置いってってくれたらよかったになぁ〜」

 

 五十嵐は笑いながら茶化した。

 

 「ったく、お前って奴はいつも他人事になると…」

 

 「冗談だ。でもなぁ〜肌が綺麗だってだけでは、見つけようがねーだろ」

 

 総合病院に勤めている歯科従事者限定の研修だったとはいえ、全国の総合病院から探し当てるのは至難の業だ。

 五十嵐も橘も、唐揚げを皿の上で転がしながら頬杖をついた。

 

 「ハイ、イケメン、オニイサンタチ、シィンレェン ドォゥフゥー(杏仁豆腐)デス」

 

 中国人の女性店員は、小さなゴジベリーが二粒乗ったぷるぷるの杏仁豆腐をテーブルに置き、しれっと空いていた皿を持っていった。

 

 「ほんと、こんな感じに艶々だったんだよなー」

 

 橘は、杏仁豆腐をスプーンで掬いながらボソッと呟く。そんな橘の姿を見かねた五十嵐は「知り合いやスタッフたちの周りにいないか聞いてみる」と話し、テーブルの上にあった杏仁豆腐を口に含んだ。

 

 

 ◇◇◇

 

 

ゴールデンウィークなか日の夕方、五十嵐は自宅から車で30分ほど離れた実家へ向かっていた。

 

 五十嵐の実家は高級住宅街と呼ばれる高台にあり、代々続く大きな邸を構えていた。現在は、父の勝(まさる)、母の明美(あけみ)、妹の美央(みお)、祖母の静子(しずこ)がここで暮らしている。勝はクリニックを引退した後、渡修一の推薦で、私立大学歯学部の准教授(兼講師)になった。明美は隣町にある市民病院の助産師で、美央は大学病院のNICU(新生児集中治療室)の看護師として働いている。静子は歯科医の父を持つ家系の娘で、現役時代は美央と同じ看護師だった。

  

 実家のガレッジの前に着いた五十嵐は車を停め、門の警備を解除して玄関に続く中庭へ入っていった。

 

 「ただいま」

 

 「おかえり〜独身貴族の筋肉マッチョ!」

 

 「なんだ、美央もいたのか。ってかやめろ、その呼び方」

 

 広々とした玄関に入った五十嵐は、2階へ続く階段から降りてきた美央と鉢合わせ、兄妹だからこそ成立する挨拶を交わした。

 ケーキ買ってきたぞ、と五十嵐は大きな紙袋を美央に渡し、玄関に置いてある椅子に座って靴を脱いだ。

 

 「え?すぐ兄、Chez moi(シェ モワ)のケーキじゃん。よく買えたねーこれ。あーちゃーん、すぐ兄がケーキ買ってきてくれたよ〜」

 

 紙袋を抱えた美央は、キッチンで料理を作っていた明美のところへ声を出しながら走っていった。

 

 美央は、五十嵐のことを「すぐ兄」と呼び、明美のことは「あーちゃん」と呼ぶ。ちなみに、勝のことは「パパ」、静子のことは「シズ」と呼んでいる。

 

 リビングに入った五十嵐は、ソファーで新聞を読みながら寛いでいた勝に「よっ」と声をかけた。

 

 「お!傑か。やっと来たな〜元気か?」

 

 「元気もくそもねーよ。俺の電話は出ねーくせに、俺には鬼電しやがって…ったく」

 

 「ぶはははははっー。俺はそういう人間だ」

 

 陽気な勝は新聞を畳みながら、久しぶりに会う息子の顔を見て嬉しそうに笑っていた。

 

 「ほんと、いっつも電話出ないのどうにかしてちょーだい。傑、おかえり。ケーキありがとう。よく買えたね。凄い並んでたでしょ?」

 

 「いや、そーでもねーよ。前もって予約しといたから。シズは?」

 

 「シズさん、お隣のてる子さんと短歌に行ってらっしゃるわ」

 

 なんて自由な後期高齢者なんだろうかと、五十嵐は出してもらった珈琲を啜りながら思った。祖父が静子に残した膨大な財産もあってか、静子はご近所のご婦人たちと愉しく老後を過ごしているようだ。

 

 勝手口の扉がガチャっと開き、白髪パーマの静子が帰ってきた。

 

 「あらあら〜傑くん帰ってきてたのね〜」

 

 「おぅ。シズ!相変わらず元気そうだな」

 

 こうして、夜勤やら旅行やらで、家を空けることが多い五十嵐家の全員がようやく揃い、一枚板の檜テーブルを囲んで家族団欒の時間を過ごしていった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 実家の風呂から出た五十嵐は、リビングのソファーでウィスキーを飲んでいた勝の隣に座り、勝から一杯分を注いでもらった。

 

 「残っているスタッフたちは元気か?」

 

 「あぁ。頑張ってもらってるよ。あ、脇田が勝先生によろしくだってよ」

 

 「おぉ〜あの可愛い脇田くんか。彼女はちゃんと成長したか?」

 

 「あぁ。見違えるほどにな」

 

 勝は五十嵐の顔をチラッと見て、クスッと笑う。

 

 「そうか〜。あの子は、お前に残しておいた子だ。色んな意味でお前のことを支えてくれるだろう」

 

 「……」

 

 五十嵐は、ウィスキーの入ったグラスを揺らしながら揺れ動く液体を眺めていた。

 

 「まだ相手はいないのか?」

 

 「相手?何の?」

 

 結婚相手に決まってんだろ〜、と勝は軽く笑う。勝はウィスキーを飲み終え、キッチンのシンクにグラスを置きに行った。

 

 「まだいねぇーよ」

 

 「すぐ近くにいるかもしれないぞ。お前が気づいていないだけで。じゃ、わしは明日、渡たちとゴルフだから寝るよ。おやすみ」

 

 「……おやすみ」

 

 勝は歯を磨きに洗面所へ行き、静かに自室へ戻っていった。

 

 誰もいないリビングでソファーに寝転んだ五十嵐は、幾つもの照明が埋め込まれた天井を眺め、勝に言われたさっきの言葉を反芻した…。

 

 (脇田は…色んな意味で俺を支える…か…)

 

 梛七の顔が脳裏を過(よ)ぎる。

 上司と部下の関係から一線を超えてしまってもいいのだろうか…と、五十嵐は、らしくない自問自答を繰り返した。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 10日間のゴールデンウィークが明け、クリニックでは慌ただしい日常が戻っていった。ある日の昼休憩に、五十嵐から全員に一枚の紙を渡された。


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 美歯会会長 

 渡修一先生の定期講演会 開催のお知らせ

 

 6月25日(日) 13時より勤労者会館ホールにて、渡修一先生の定期講演会を開催いたします。

 会員の皆さまには、是非ご参加いただきたくお誘い合わせの上、ご来場心よりお待ちいたしております。

 

                   敬具

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 「ここにも書いてある通り、美歯会会長・渡先生の講演会がある。割と近くだから参加したい人はまた俺に言ってくれ」

 

 『分かりました〜』

 

 「じゃ、午後診も皆んなよろしく」

 

 五十嵐がスタッフルームから出ていった後、梛七は紙を眺めながら「私はきっと強制参加だろうなぁ〜」と呟いた。「だろうね〜」と後ろから南がニヤニヤと顔を覗かせる。

 

 「ユリは行くの?」

 

 「ン〜どうしよっかなー」

 

 「僕は行くよ〜」

 

 梛七と南が話していたところに、伊東がひょいっと顔を出した。南の目がキラキラと変わる。

 

 「え〜!じゃ、私も行きますぅ」

 

 ユリは本当に単純だなぁ〜、と梛七は南の顔を見ながら微笑ましく思った。南は、伊東を恋愛対象として見ているのではなく、推しの一人だと思って追いかけているらしい。

 


 午後の診療が始まり、梛七は五十嵐の横に立って新薬を使ったホワイトニング治療の助手に入った。

 初めて使う新薬の効果を確かめたく、梛七は五十嵐に頼み、敢えて助手として入らせてもらうことにした。

 

 「オープナー(開口器)」


 「はい」

 

 五十嵐は患者の口に開口器をはめ込み、液が漏れないようマスクを装着させる。梛七は、歯肉保護剤といわれるものを用意し、五十嵐に差し出した。

 

 「ジェル、準備しといて」


 「はい」

 

 保護剤が固まったのを確認し、五十嵐は歯の表面にジェル剤のホワイトニング剤を塗布していく。五十嵐と梛七はゴーグルをはめ、歯面に光を照射させる専用の機械をセッティングした。患者に、12分そのままで待つよう伝え、五十嵐と梛七もその場で経過観察をした。

 

 顔を上げた五十嵐と目が合い、梛七は首を傾げながら「ん?」と尋ねるように目を見開く。

 

 「渡先生の講演会、脇田は強制参加な」

 

 「はい。もちろん分かっています」

 

 「あ、橘も来るぞ」

 

 橘先生の名前を聞いて思い出した。ゴールデンウィークに泊まりに来た梢子が、橘青志が好きだと衝撃のカミングアウトをしてきたことを。


 (橘先生に恋人はいないのかどうか、先生に聞いてみたいんだけど…。今はさすがに無理よね…)

 

 「そうなんですね。またご挨拶させていただきます」

 

 梛七はマスク越しにニコっと笑みを作った。いつもすぐに目を逸らされるのに、今日はずっと顔を見られているような気がするのは気のせいだろうか…。

 

 また一瞬目が合い、次はさすがに逸らされた。

 普段の12分は秒で流れていくのに、今流れている12分はとても長く感じた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 梅雨の時期が例年よりも遅く到来したせいか、6月後半になってもぐずついた天気が続いており、渡先生の講演日の今日も、朝からどんよりと雨が降り続いていた。

 

 梛七は、化粧をして髪をふんわりと巻き、少し高い位置でポニーテールを作った。深緑のシャツブラウスに、綺麗めなベージュのワイドパンツを合わせ、ヒールの高いパンプスを合わせる。

 

 会場まで五十嵐が車で乗せて行ってくれると言っていたが、天宮に見張られていたら怖いと思い、予定があると嘘をついて初めて断った。


 (本当なら一緒に行きたかったのに…)


 玄関の鏡を見ながら、梛七は溜め息を吐く。

 腕時計で時刻を確認し、梛七は傘を持って最寄りの駅まで急いだ。

 

 久々に見る車窓からの景色。

 電車で大学に通っていた頃を思い出す。

 向かいの席で、お洒落をした若い女の子たちが、スマホを覗きながら恥ずかしそうにクスクスと笑っている。推しがカッコいいだの、ヤバいだの、興奮している様子だった。当時、梛七も好きだった芸能人の推しを梢子と一緒に眺めながら、こうやって笑い合っていた。梛七は、タイムスリップしたかのようなこの光景をとても懐かしんだ。

 

 会場までは、4駅。そんな可愛い女の子たちをぼんやり眺めていたら、あっという間に到着してしまった。

 改札口を出て、10分ほど傘をさしながら歩いていると会場が見えてくる。iPhoneを鞄から取り出し、画面をタップすると数分前に届いていた五十嵐からのメッセージが表示された。

 

 五十嵐━︎(着いたら連絡してくれ)既読

 

 梛七━︎(もう着きます。中に入ればいいですか?)既読


 五十嵐━︎(外の入り口で待ってる)既読

 

 

 門を潜った梛七は、遠くの方に五十嵐を見つけた。美容院へ行ってきたのだろうか。いつもより無造作のパーマがしっかりとセットされている。五十嵐は、ネイビーのカジュアルスーツから三首見せをし、また一段と様になっていた。

 

 (何でいつも、あんなにカッコいいんだろう…)

 

 梛七は、赤らめた顔を傘で隠しながら五十嵐の元へ歩みを進めた。

 

 「おい。ここだ」

 

 「あ、先生っ。お疲れさまです」

 

 今気づきましたと言わんばかりの嘘くさい返事を返す。

 

 「受付しなきゃなんねーから、早く行くぞ。伊東と南はもう先に行ってる」

 

 五十嵐のあまりのカッコよさに悶絶しそうな梛七は、五十嵐をあまり見ないよう目線を逸らした。

 

 「何避けてんだよ?」

 

 「いっ、い、いえ。そ、そ、そんな先生を避けるだなんて…そんなこと」

 

 すると五十嵐は突然、俯いていた梛七の顔を覗き込んだ。

 

 「体調でも悪いのか?」

 

 「ひっ、い、いえ。だ、だいじょうぶ…です」

 

 梛七は五十嵐の整った顔が間近に来たことに驚き、更に顔を赤らめてしまう。

 そこに、五十嵐の親友・橘青志が2階のホールに繋がる階段から降りてくる。

 

 「傑とななちゃ〜ん。あ、ごめーん。もしかして今、いい感じのシチュエーションだった?」

 

 「なんもねーよ。バカ」

 

 「ほ、本当に何も…ないです」

 

 この二人…やっぱり、と橘はクククと笑った。また後でゆっくり話そ〜と言って、橘は緊急の電話を折り返しに外へ出て行った。「とりあえずもう始まっちまうから行くぞ」と五十嵐に言われ、梛七はロビーで受付をした後、言われるがままに隣の席に誘導され、開演を待った。

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