第2話「ヴァン・ヘイレンとライダーキック②」

 新入生お披露目ライブから三週ほど経ち、梅雨の時期に入った。毎日続く雨が、ただでさえどんよりとしたたまきの気持ちを更に不快にさせていた。

「おはよう」

 眠そうに目を擦りながら部屋着のスエット姿のまま、環は父親のいるリビングの食卓へやって来た。

「おはよう環。昨日はえらい遅うまでやっとったなァ」

 テレビに映る朝のニュースを見ながらマグカップのコーヒーを飲むと環の父親、洸平こうへいは言った。

「いやー、嬉しくてなぁ」

「医者からOK出たからってやり過ぎやろ。捻挫やからって甘くみたらあかんえ」

「はいはい、そないに言わへんでもわかってるって。でもなぁ二週間振りやったさかい止まらんとなぁ」

「まあ、それは俺もわかる。でもな、親としてそこは注意せんとな。捻挫はクセになるし」

 環は食卓に並んでいるトーストにマーガリンを塗りながら答える。

「はいはい、わかったって。もう無茶はしいひんし」

 環はそういうと、先程のトーストに別皿のサラダとベーコンエッグを載せてオープンサンドにして食べ始める。

 父親の洸平はフゥ、と息を吐くとリモコンでテレビのチャンネルを変える。

「で、部活は今日から?」

「そう、昨日もろうた診断書提出して今日からやるつもり」

「あー、なんや、無理はせんようにな」

「そないに心配しいひんでもいけるって。ユーリもおるし」

「まあな、優里ちゃんいれば大丈夫かぁ」

 テレビのニュースは天気予報へ変わる。降水確率は夕方から60パーセントで、遅くなる方は傘を持ってお出掛けくださいとお天気キャスターの女性が呼びかけていた。

「環、今日雨降るて」

「そうらしいなあ」

「今日は学校に持って行かへん方がええんとちがうか?」

「ちゃんとレインカバー持って行くし大丈夫って」

「一応、思い出のギターなんやけど」

「大丈夫だって! それにもううちのギターやさかい」

「そうやけど、ほんまに大事にしてなぁ……」

 環の使ってるギターは、『Ibanez RoadstarⅡ RG50』というモデルで、日本のアイバニーズというメーカーが1980年代に出していたモデルで、製造はフジゲン。ピックアップはSSHで、ネックとミドルにIbanez製super07、ブリッジはIbanez製のsuper70を搭載している。24フレットで黒いボディに黒のピックガードが付いているストラトタイプのギターだ。父親の洸平が高校生の時に初めて買ったギターで、バンド辞めてもこれだけは処分しないで残しておいた思い出の品だ。小学生の時に環が譲り受けて5年になる。

「環もそろそろ自分のギター買えばええのに」

 父はこのギターに相当愛着があるようだが、環も負けてはいない。もうこのギター以外はいらないと思ってるくらいだ。

「うちのギターはこれしかないと思ってますから」

 と父に告げると、食べ終わった食器をシンクに持って行く。

「今日は遅くなるの? 浜田さんと会うんでしょ?」

 食器を洗いながら環は父に聞いた。

「そやね、少し遅くなりそうかも」

「夕ご飯はいる?」

「大丈夫。環はウーバーでも頼んどいて」

「わかった」

 環はキッチンに置いてある弁当箱を保冷バックに入れてリビングに置いてあるトートバッグに入れる。

「お弁当ありがとう」

「おう、今日も自信作やで」

 父親が得意げに言う。

「って、この前みたくキャラ弁と違うよね?」

「ああ、あれな。作ってるうちに楽しくなってきてな」

「ユーリにめっちゃ笑われてん。恥ずかしかったわー」

 環はギターの入ったギグバックを背負うとトートバッグを持って玄関の方へと向かう。

「じゃあ行ってくる」

「おう」

 環の父はテレビを観ながらいつものように返事をした。玄関を出てマンションの廊下で空を見上げる。どんよりとした空模様は気分が滅入る。でも今日から学校でもギターが弾ける。そう思いエレベーターを降りエントランスへ出ると、同じマンションに住む優里ゆうりが待っていた。

「おはよう、たまちゃん」

「おはよう」

 優里は環の背負っているギターに目をやり、眼を輝かせ、「久しぶりやな、ギター持ってくの」と微笑む。

「やっと病院で弾いてもええって許可でたし。昨日の夜なんてめっちゃ弾いてたわ」

「ちゅうか、ギター弾く人が手首捻挫してどないすんの。アホやろ」

 新入生お披露目会での見事なライダーキックの代償として環は着地の際に手首を捻挫し、全治3週間の怪我をしていた。

「アホ言いな。えらい腹立ったんやししゃあないやん」

「チビ言われたんに怒っとったらキリないやん」

 環の身長は145センチ。同級生の中では小さい方だ。小さい頃から伸びるのが遅くて、背の順は常に前の方だったのでそれをネタにからかわれる事が多く、環自身も気にしている。優里は158センチ。

 むぅ、と唇を尖らせる環。

「うちらまだ高一やで。そない気にしてもしゃあないし」

「そうやけど、あいつ副部長やねん。演奏中にあんなん言うやら人格的におかしない?」

「まあな、そらウチも思う。おんなじ軽音やのになァ」

「しかもあいつギタボやし」

 へ? という顔で優里は口をつぐむ。

「うちこの世でギタボだけは許せへんで。あんなんただの目立ちたがりやし、そないなヤツギター弾くってありえへんし」

 駅に着いてICカードで改札を通りホームに降りても環の勢いは止まらない。

「あんたなんか一生ボーカル以外全部募集しときって話やわ」

 さすがに混んでいる電車内では違う話題になったが、環の唇はとんがったままだ。奇跡的にライダーキックを綺麗に捉えた写真が校内のSNSに上がり、話題になったのもあって環はすっかり有名人だ。もちろん悪い意味で。

 最寄りの駅に着き高校へ向かう二人を見てコソコソと話す生徒もいる中、クラスメイトの鈴井すずい涼子りょうこが話しかけてくる。

「おはよ、ユーリ、ロック様!」

「ロック様ちゃうし」

「いいじゃん、カッコいいってロック様!」

 涼子は親の転勤で高校から京都に引っ越してきた。元々は神奈川県の横浜に住んでたらしく、カラッとした性格でクラスでも人気だ。

「りょーちゃんおはよう。今日も元気やね」

「雨だからねー、テンション上げないとさー」

「あはは」

「そういえばみんなライダーキックって言ってるけど、私的にはイナズマキックって感じでさー」

「イナズマキック?」

 聞き返した優里にふふんとした表情で涼子は得意げに答える。

「知らない? イナズマキックってのはね――」

「いや、やっぱええわ」

 これから面倒くさそうな話が始まりそうと感じた優里は被せるようにして涼子を止めた。

「それよりたまちゃん今日から部活? 久しぶりじゃんギター持ってくるの」

 涼子は全く気にせずにコロッと話題を変える。こういうところが憎めない。

「そう、昨日やっとお医者さんからOKが出てな。今日はミーティングだけなんやけど」

 言い終わらないうちに環と優里のスマホからLINEの着信音が鳴る。確認すると軽音楽部のグループチャットだった。

「たまちゃん、今日のミーティング9月の学祭ライブの打ち合わせやって」

「リベンジやなー」

「いや、今度はちゃんとやってや。うちなんかこの前ドン、ドドン、タンタンしか音出してへんから」

 二人の会話を聞いていた涼子が思わずケラケラと笑いだす。

「どうしたん?」

「いや、ユーリとたまちゃんが話してるの聞いてると面白くて」

 ポカンとする二人を見ながら涼子は一歩先へ進み振り返って。

「そうそう、今日私カルネ買ったんだ。お昼一緒に食べようね」

「はいはい」

 そんなたわいもないやりとりを見ながら、環はやっぱりこの二人といると楽しいなと感じた。高校入ってからお披露目会ライブでの事件で手首捻挫するわ謹慎3日間だわ変なあだ名つけられるわで少し腐ってたけど、次の学園祭ライブは頑張ろうって思えた。

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