第64話

「これは、これで、それはそれで」


 ぼんやりとした意識の中、女の声が聞こえ廣谷は瞼を開く。

 意識を失う直前の出来事、現在自分に何が起きているのか全くわからない。


『なに、が?』


 思わず廣谷は困惑を溢した。意識が未だにはっきりせず何度も瞬きを繰り返すが、意識は今も夢の中にいるような曖昧さ。そのせいも相まって上手く思考を切り替える事が出来ず、廣谷はほんの少し眉間に皺を作った。

 女の声は今も絶えず聞こえている。その声は廣谷に、誰かに向けられているものではなくただの独り言。焦っているような早口で何かをしていた。


『誰、だ』


 呼びかけるが返事は返ってこない。女は今も何かをしていた。

 女は廣谷を無視しているより気づいていない。それどころか認識されていない――そんな雰囲気を廣谷は感じとった。

 何が起きてるのかと立ち上がろうとしたが、やっぱり夢の中にいるかのように上手く動けない。かろうじて身動き、視線を動かす、発する事は出来た。

 

 ——これは夢? それとも幻? 


「馬鹿な奴ら。勝手に来て、勝手に傷ついて、勝手に魔女だって決めつけて。こっちはちゃんと棲み分けしてたのに。注意喚起だってした。それでも来たお前らの責任でしょ。この子達はここは悪くない」

『魔女? 君は……』


 視線を動かし、映ったのは一人の女。地面に手を付け何かをしていた。

 そして周囲に軽い違和感を感じた。


「ますたー! ますたー!」

「にげよう! にげよう!」

「ころされちゃう! ころされちゃうよー!」


『らん……アリエス? マスターって、まさか、こいつは……』


 周囲にアリエスと名付けられたランタン達が女に向かって騒ぐ光景が見えた。悲しさ、焦り、どうして。そんな感情の音が彼らから鳴り響く。

 女はそれでも手を止めない。何かをし続けている。


「いーえ、やめない。やめるわけないでしょ。アタシがいなくなったら、アンタ達殺されちゃうでしょ」

「やだ! やだ!」

「ますたーいっしょ、ますたーいっしょ」

「いかないで、おいてかないで」

「子離れの時間よ。ちゃんと護りは固めてあげるから。ほら、親の責任ってやつ? 心底メンドクサイけどね!」


 女は笑う。対してランタン達は嫌がり泣きわめく。女はランタン達を慰める事なく、地面に触れた。


「いずれ、次の後継者が来るはず。その時の為にアタシの情報を、あの子達は悪くないって分かって」


 その言葉と共に地面に水溜まりが現れだした。それは中央に溜まり廣谷が見たあの光景になっていた。

 そこでようやく廣谷は違和感に気づいた。新しめで分からなかったけれど、ここはあの試練の場所だ――と。


「アタシは元日本人の転生者リナ。このダンジョンを建てて、十二星座のモンスターを使役し、ここでひっそり暮らしてた人間よ。——この子達を頼むわ。アンタならちゃんと使役できるはずよ。じゃなきゃこれは見れないから」


『転生、者……』


 リナはそこで初めて余裕そうな表情から寂しそうな顔に変化した。そしてダンジョンから消えた。


「ますたー、ますたー!」

「いかないで、いかないで!」

「つれてって、つれてって!」


 悲痛な音をランタン達は鳴らす。だがリナは戻ってこなかった。


『…………』


 何も言えずじっとその光景を見ていた廣谷の視界が突如真っ白に染まっていく。

 全てが塗りつぶされる直前までランタン達の悲痛な音色がずっと、ずっと辺りに響いていた。

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