幸福論

さてさて、私も高校生くらいになればひとまず大人になっているかと思うと残念ながらそうではなかった。


前章にて、私の過去より人は不幸であると結論づけた気持ちは流石にすぐには変わらず、この頃は一発逆転の現実逃避型妄想は終わり、死にたい・消えたいという感情が常に付きまとう状態だったと思う。


見た感じは中学の頃のキャラもあったから道化であったが、本当は何も楽しくなかった。実際、今ではいい思い出ばかりのような気がするが、その時は本当に心から笑えなかったと思いながら生活していた。


思い出補正、最強説。


その頃に、「よく死にたいって言う人は実は一番生きたいと思ってるんだよ」的なポエムを話している頭ハッピー野郎どもがいたけど(今はそんなこと思ってません)、死にたいって言葉を発した時はまじで死にたいと思ってるし、死ぬほどの勇気もなくてそんな決断力のない自分を自己嫌悪してまた死にたくなるループに悩んでるんだよ、って心の奥で思っていた。


そんなこと友達に言えないけど。


今思えば私には友達もいたし部活にも入っていたからもっと辛いやついたんだろうなって思ってたけど、私は家に帰りたくないし何かしてなきゃ辛かったから部活とかやってるだけ

でなんか申し訳ないなって今更ながらに思う。


高校の時、もう一段階感情が変化した。

不幸論者ではあったが、運命論者ではなく、私が予想した結果以外のことが起きて欲しいという謎の行動基準が生まれた。


どういうことかというと、例えば絶対無理だとわかってる人をデートに誘ってみたり、ここで私が奇妙な話をしたらみんなどんな反応するのか、とにかくこうすればいいものをもしかしたら面白くなるんじゃないかなって逆の方をしたりする事が多くなったのだ。


厨二病というか、恥ずかしいことではあるが当時は大真面目だった。


そうこうしていると、いわゆるモラトリアム、社会に不適合になっていく…ことすら許されない環境から大学へ進むことになる。


ここで私の人生は変わる。


一人暮らしを東京で経験してしまったのだ。


全てが変わると思えるほど刺激の強い世界がそこにはあり、酒、クラブ、旅行、麻雀、タバコ、ギャンブルと大学生がやりそうなこと全てやった。


そして私は最後にインターネットの世界にのめり込んだ。


毎日、動画を見て、動画を作って、配信した。


この頃のインターネット配信界は今とは違い、キラキラしたものではなく、もちろん稼ぐ事はほとんどできない時代で、過激で底辺でそれでも面白いことしてやるっていうアングラな面白さのある界隈だった。


私の不幸論はここから幸福論へ変化していく。


比較こそが幸福を生む


嫌なことを避けている状況、これは幸福と言えるのではないかと考え始めた。


世界で一番不幸だと嘆けば世界一の不幸ものであるが、世界で一番幸せだと思えばそれは世界一幸せな人間になれるんじゃないか。


だからなるべく、最悪は今見てる底辺どものこれだから、今の私は少なくともこれに比べれば幸せだなと納得することができるようになった。


そして社会へ飛び出す私、ここからまた新たな不幸論に変わっていく。

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