こうふく論
桂
不幸論
一番昔の記憶を辿ってみると、それは保育園でお昼寝をしている場面が浮かぶ。
その頃の私は、世の中のことなど何もわからないただ生きることに全力の子供だった気がする。
毎日友達と遊び、時には喧嘩し、少なくとも自分は気弱な方ではなくむしろ一番になりたい人であったから、何をするにも活発であったと記憶している。
だが、これで悩みがなかったわけではない。悔しいこともあった。一番にはなれない、そういったことが悔しかった。まだ幼い頃で、それでも二番目三番目にはいたから頑張ろうと言う気持ちはあった。むしろそれが生きる活力だったのかもしれない。
なんでもできる気がした。
しかし、知恵と見聞は良いものとは限らなかった。
小学校に入ると僅かながら友達同士の環境に差ができはじめた。差ができたというより差を分かり始めた。世の中のことが少しずつ分かり、私の家は裕福ではない、欲しいもの買えず、しかもいわゆるスパルタというものだったとわかったのだ。
テレビも見れない、ゲームもダメ。2日続けて遊びに行こうものなら小言を言われる始末。
その頃から私は毎日生まれ変わりたいと願った。
毎晩、寝る前に実は私は都会の大金持ちの家の子供であり、中学校に上がる頃にはそのまだ見ぬ素敵な紳士が迎えにくる、そんな妄想を抱いていた。
中学生の頃は精一杯虚勢を張り、イキリ散らすクソガキとなった。頭も良かったし運動もできたし、多少はモテた。
好きな子ができた。
しかしその子は私の事が嫌いなようであった。
ああ、好きな子と付き合えないなんて、いやそもそも自分以外と幸せになる可能性がある時点で、その気持ちを持って生きなきゃいけない私は不幸なんじゃないのか。家でもやりきれない、何かするには田舎でありコンビニすら車で行かなきゃいけない、逃げ出すには未熟すぎた。
私はその頃、この話の元となる「不幸論」を書いた。
今はどこにしまったかはわからないが、確かそこには私がいかに不幸であり、どれだけ自分の運命を決めた神が憎いかを書いた。
当時の私は捻くれ者の中の捻くれ者であり、人は絶対に幸福になることはないという結論のもと生きていこうと考えていた。
自分の世界には自分しかいないわけだから、誰にも自分の辛さはわからない。
だから自分が世界で一番不幸だと思ったらそれは世界一不幸である。
世界には私より大変な人がいるらしいが、私はその経験がない。一生経験できない。
だから経験できる最大の辛さは今感じている私の辛さだ。
だから私は不幸なのだ。
そんなことを考えて、人は不幸の星の元で生きているんだなと考えていましたが、もう少し歳を重ねるとまた違った考えになっていきました。
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