第9話 救世主とは、
「…………なるほど」
友達として、ね。あくまで。
よくわかっていなかったけれども、一応の返事はしておいた。
一瞬誤解しかけたものの、義経が淡々とした様子だったのでそういう意味じゃないんだとはっきりとわかった。
そして続く言葉で確信した。
「向日葵はわしのことが好きだ。おいのことが好きだ。わしら幼馴染がみんな好きなのじゃ。だから、わしらがみんな縁を切ってしまった氷雨と、まだ縁を切れずにいる」
氷雨は、中学に上がってから変わってしまった。
立場が氷雨を変えた。
氷雨は僕が知る限り、一番の美人だった。親も会社の社長で社会的地位も高く、付き合う人間は選びなさいと言うような親だった。
そんな彼女は中学で荼毘という女の子に知り合った。
荼毘は政治家の娘で、社長である氷雨の父親と懇意にしている。その関係もあり、氷雨は荼毘との仲を深めていった。
そして攻撃的な性格になっていった。
元々プライドの高くて純粋な奴だったけど、荼毘と付き合うにつれて人の悪口を言ったり、平気で人を傷つけるようになった。
挙句の果てには、僕たちに荼毘のグループにいるように強要してきた。
大人の目からすると、あるいは客観的に見ると、僕と氷雨の決別のきっかけは本当に些細で、馬鹿馬鹿しく、程度の低いものだ。
僕がSNSのコミュニティグループに入るのを断ったのだ。
『LAME』という名前のSNSアプリの、荼毘が作ったコミュニティグループ「ダビンチファミリー」。そこに所属しろ、と氷雨から招待が来て、僕はそれを断った。
そしてはっきりと「僕は荼毘が嫌いだ。だから、氷雨も縁を切れ」と言った。
ただそれだけ。
ただそれだけのことだ。
その日から一気に氷雨と僕の間には心の距離が生まれ、「ダビンチファミリー」に入ってしまった向日葵はいじめられるようになった。
「向日葵は理由があって氷雨と距離を取ることができない。それは未練じゃ。向日葵は我々幼馴染四人の関係性を絶対のものと考え、それを崩したくないからこそあの扱いを甘んじて受けている。例えそのことに氷雨が気づくことないとしても。その優しさを向けている相手から気持ち悪いと思われていたとしても、向日葵はその理想を抱いて、いつかまたわしら幼馴染四人がまた楽しく遊べる日を夢見ているのじゃ。そんな中に氷雨と同じように向日葵の気も知らんおいが突っ込んでいっても、向日葵の心を救うことはできんだろう。下手をすれば向日葵は懲りずにまた氷雨に接近し、懲りた氷雨がいじめを陰湿なものへと変更し、攻撃を続けると言うことも考えられる。おいの間違った行動が向日葵を更に追い込むと言うことも考えられる」
「なら、どうしろっていうんだよ?」
助けに行かなければ後悔する。助けに行っても向日葵の気持ちは救えない。
じゃあ、僕に一体どうしろと言うんだよ……!
「悲しいな。おい、正解なんて何もないんじゃ……」
「義経?」
「この世界にはそんなもので溢れかえっておる。そうは思わんか、おいよ。正しい行動をしても、結果的にそれが正しくなるとは限らない。もしかしたら事態が更に悪くなるかもしれない。絶対的な正義がないように、絶対的な悪もない。だから、悪を成敗して終わると言うことができん。ずっとその問題の解決のためにずっと付き合っていかねばならなん。もしかしたら、〝問題〟には〝解決〟というものがないのかもしれん。〝問題〟とは誰かが悪いから起きたモノではなく、自然と発生してしまうもので、それを片付けるにはまた自然の力が必要で、人間にはどうすることもできんのかもしれん。人間は所詮、自然のなすがままに、川に流される木の葉のようにゆらりゆらりと流されるだけなのかもしれん。いや、そうなのだ」
義経は断言した。
「僕には結局、向日葵を救えないからここで黙って見てろって? 向日葵のことをずっと放っておけって言いたいのか?」
「わしはそうした」
義経の言うことは、正論だ。
義経は正しいのだろう。
「———だけど、僕はその正しいことをして後悔した人間だ。そうやって見ていることだけじゃなにも変えられない。なら、例えそれが悪い事でも僕は行動したい」
僕の言葉を聞いた義経は「クァクァ」と吹きだすように笑った。
「ならば行け」
「……? 僕を止めたかったんじゃないのか?」
「何を勘違いしておる? 言ったじゃろう。〝考えろ〟とわしはおいに少し考えて欲しかっただけじゃ。向日葵の気持ちと氷雨の現状とこの世界のままならなさを———。じゃから問うたのじゃ、おいは〝人間〟なのか〝神〟なのか、と」
「だから———人間か? 神か? っていう問いかけをしてるの?」
やっぱりわからない。
義経の言うことは難しくて、理解に時間がかかる。
「ああ、人間では人を救うことはできん。人を上から導く神でなければ救うことはできん。人に寄り添う人では、そいつの理想を叶えてやれんのだ」
———なんとなく分かった気がする。
いじめられている向日葵を救うには寄り添うだけじゃダメなんだ。
導かなけばいけない。
例え、それが傲慢な行動だとしても。
導かずに寄り添うだけでは、またその人は迷ってしまうから。
「おいにはそれができる。わしを救った神であるおいにはな」
「神のつもりなんてないけれども……わかったよ。決めたから。後悔しないって。僕は迷わない。僕は迷わずにためらわずに向日葵を救う」
心の奥底で、自分には救えないかもという不安が沸き上がったが、それを無理やり消す。
躊躇ってもどうにもならない。
義経の時のように、救えたのか救えていないのか、ずっと引きずるような気持ちを持っていてもどうにもならない。
自分なりのやり方で、自分が正しいというやり方じゃなければ、何も変わらないし向日葵の心も救うことができない。
何があっても意志を貫け、と義経はそう言いたいのだ。
「わかったよ。義経……って結局、最初とやることは全く変わっていないんだけど……この呼び止められた時間は何だったの?」
「だから、考えろ、と———、」
「ああ、わかったよ……わかった。僕の気持ちを改めて整理するための時間だったのね。わかったよ。ありがとう、義経」
僕があの荼毘たちのグループに介入し、向日葵が救われるのかどうかというのはわからない。やることは義経が話しかける前と何も変わらない。
だけど、義経と話すことで少し自信が持てた。
向日葵に全力の気持ちをぶつければ、少しはいい結果になるような気がした。
氷雨にも。
「おいよ———」
義経を残して屋上から出ようとした時、彼女に話しかけられた。
「何? 義経?」
階段に続くさび付いたドアノブに手をかける。隣には最近できたんであろう車いす利用者用エレベーターがあり、それと比較すると更に古臭く感じる。ガチャンと捻るだけでも大きな音をドアノブは立てた。
「———おいよ。今のお前さんになら、なんでもできる。人の心を救うことすらできる。だから迷うなよ」
「できるかな? 自信は……そうだね。持たなきゃダメだよね。僕はこれから向日葵を、幼馴染の女の子を救うんだから」
「ああ、一度死んだおいには天使が付いておる。だから、おいはおいの正しいと思ったことをしろ」
「……死んだ、ね」
流石に例えだとわかる。
僕は義経を救った。その時に車に轢かれた。
義経が死の可能性があった事故を僕も共有したのだ。その時に死んでもおかしくはなかった。
もしかしたら、僕はあの時に一度死んだのかもしれない。
だから、死ぬ気でやれ———とそういうことだろう。
そうしたら、天使の祝福があるかのように運も向いてくる。
「おいよ。キリストはな———」
「ん?」
いい加減にお礼を言ってここから立ち去ろうとしたらさらに義経は言葉を続けた。
「一度死んで、〝神〟になったぞ」
「……なっては、なくない?」
あれ? キリスト教ってそんな感じじゃないよな?
キリスト教信者じゃないからよく覚えていないが、確かキリストは一度死んで蘇って……それでも人間だったはずだ……。
「いや、〝神〟になった」
「そう、だったっけ? まぁ、いいや、わかった。じゃあね義経。また明日」
手を振る。
それに対して義経も手を振り、
「————」
と、告げた。
急に突風が吹き、古い扉が吸い寄せられるように閉じて、義経の言葉は聞き取れなかった。
ただ———。
◆
後野三蔵が旅立ち、夜見義経は夕焼けの空を見上げる。
「転生しろ、おいよ。おいよ、おいおいよ」
頬を紅潮させ、歌うように、いとおしそうに〝名〟を呼ぶ。
「わしを救う、世界の
夜見義経の影が、夕陽に照らされて屋上のフロアに真っすぐと伸びる。
そして———不可思議な現象が起きた。
まっすぐ彼女の身体から縦に伸びるだけではなく。横に面積を広げていったのだ。
まるで意志を持っているかのようにうようよと蠢き、フロアを這いまわっていく。
やがて、ポッコリと立体的に地面から空へ向かって小さな黒い山が突き出てきた。
それがドンドン空へ向かって伸びていき、形を整えていく。
人一人分の質量になった山は、形をそのまま人へと変質させた。
広がる義経の影から無数に現れた黒い
気が付けば、屋上はその黒い人形に埋め尽くされている。
義経と同じようにジッと空を———。
「世界を転生させよ……」
義経はゆっくりと両手を上げ、人差し指をピンと伸ばした。
「~~~~~♪」
指揮者のような動きで両手を振り回す。
鼻歌を歌いながら。
……………………♪
後ろの黒い人形の身体が揺れる。一定のリズムを持って、揺れ続ける。どこか統制されたような動きで。
歌っていた。
義経の鼻歌に呼応して黒い人形も歌っていた。
「タ~~タタタ~タ~タタタ~~~♪」
歌いだす。
ラヴェルのボレロを———。
スペインのセリビアという街で、一人の踊り子が初めて、やがて酒場中の人間を巻き込んで踊った歓喜の調べを———。
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