第3話 バスの中で綺麗なお姉さんにからまれた。その1
子供の大泣き騒動の後、ずっとあの白髪のおじさんからは恨みがましい目線を送られていた。それはまぁ当たり前だ。大勢の人の前で恥をかかせたのだから、それは仕方がない。僕は全く悪くはないとは思うけれどもほとんどあのおじさんの自業自得だと思うけれども事実としてはおじさんに恥をかかせたのは僕ということになってしまっているのだからそれは受け入れよう。
だけど、あの時見て見ぬふりをしていた他の乗客も僕に冷たい目線を向けていた。
なんだか気味の悪い不気味なものかのように。
後ろの席の大学生二人組は「今時ああいうやついるんだな……」と言った後に褒めてくれるかと思いきや「めんどくさ」と言った。隣の席のおっさんは心なしか僕から距離をとり、前の席のおばさんは静かにリクライニングシートを元の位置に戻した。
見て見ぬふり。
ここに僕がいることを認識しているのに、まるでいないものかのように意図して視界にいれようとしない。具体的に僕になにか危害を加えてくるというのはないのだけれども、居心地は悪い。
せっかくいい事をしたのに、それがまるで悪い事かの様に扱われてしまう。
皆、ことなかれ主義なのだ。
〝こと〟がなければないほど良い。悪い〝こと〟も良い〝こと〟も。
だからちょっとでも〝こと〟が増えそうになると、避ける。近寄ろうとせずに全力で逃げる。それが現代人というものだ。恨みというものを絶対に買いたくはない。それを買うぐらいだったら逆に売る。そういう静かに生きていたい人間の集まりが現代社会というものだ。
まだ十六歳の僕にでもわかる———それが現実だ。
みんな傷つきたくも傷つけたくもないから、何もしたくない。ただ静かに石のように穏やかに生きていたい。そう思っているのだ。
飛行機が無事に着陸した後、機内から出て搭乗橋を歩いている時にその大衆感情を強く感じた。
まるで僕がバリアーを張っているかの如く、、皆僕から距離を置いて歩いている。
こいつに関わったら面倒ごとにまきこまれる。そう皆が思っているのを強く感じる。
嫌だなあ。
居心地が悪い。
だけど、しばらくはこの視線にこの体を晒し続けなければいけない。
飛行機という移動方法に自由はない。
決められた時間と道を、かっちりと従って行かなければこの短時間で何百キロメートルと離れた地点まで飛んでいくとサービスは受けられない。だから同じ空間を共有している人間が例え嫌いであろうとも、その空間を共有し続けなければならない。
出発の空港に手荷物を預けて出発時間のだいぶ前に保安検査場を通過し、出発口の前で十五分ぐらい前には待機しておかなければいけない。その後飛行機に乗って空をびゅーんと飛び、着陸した後も決められたルートを辿って手荷物受取場に行き、ベルトコンベアの上を流しそうめんの麺の如く流れて来る手荷物を待ち続けなければいけない。いつかいつかとわからないタイミングで来る自分の鞄を運よく手に入れて、ようやく到着口という名のゲートを通り、自由な外へと出ることができる。
「ふぅ……」
何も疲れることはないのに、思わずため息が漏れてしまう。
とにかく精神がすり減った。
ただただ遠巻きに避難するような目を向けてくるあの人たちに対して。何か言ったほうがすっきりした。だけど、何も言ってこなくて、よくわからないモヤモヤが溜まる。挙句の果てにはあの母親ですら僕と目が合うと逃げるようにして人ごみの中に紛れこんでいった。
「本当に何なんだろうな、人間って……」
昔からいっつもこうだ。
ままならない。
そして、ままならない時間はまだ続いた。
隈元空港は交通の便が悪いことで有名だ。市街地から車で一時間近く離れ場所という立地であるのに最寄りの駅がなく、車でしか移動することができない。それゆえに多くの人は親族に車で出迎えてもらうのだが、家の両親は自分たちの都合で子供の転校を決めたのにも関わらず、忙しさを理由に出迎えを拒否した。
だから、僕は誰にも出迎えてもらえず、一人隈元空港バス停で先ほどの畿内という空間を共有した道連れたちと一緒に待たなければいけなくなった。
また、あの視線が刺さる。
一旦解放されたと思ったらまたこれだ。逆に辛い。
その上———すぐ後ろにあの怒鳴った白髪のおっさんがいた……。
空港からの交通手段も一緒かよ……。
しかもまだジッと恨みがましい目を向けている。その恨みが募ってヒクヒクと右目の下の筋肉が痙攣している。
なんかするつもりじゃないだろうな。
少し恐怖を感じる。
僕は人の視線に疲れていたので、早くバスに乗り込みたかった。だから、歩道のはじのギリギリの場所。車道まであと一歩という場所に立っていた。
プワーッとクラクションの音が右手側から聞こえてくる。
バスがゆっくりと迫って来る。
白髪のおじさんは———他にもバスを待っている人が多く、その人波に押し出されるように———僕のすぐ後ろに立っていた。
手が届きそうな距離に。
ブロロロ……。
音が大きくなる。バスが近づいてくる。
心なしか後ろに立っているおじさんの息遣いも「ハッハッ……!」と荒々しく聞こえてくる。
スピードを落としたバスが僕の目の前を通り過ぎようとする寸前———、
僕の身体は車道へと突き飛ばされ………、
『お待たせいたしました。隈元空港発、隈元駅行き……ご乗車の際は足元にお気をつけてお乗りになってください』
……なかった。
何事もなくプシューッとドアが開き、扉近くで待機していた人たちがぞろぞろとバスへ乗り込んでいく。
僕もおじさんも、特に何もなく普通にバスに乗り、だいぶ離れた席にそれぞれ座る。
「ふ~」
ようやく、心を落ち着けることができる。
流石にバスの座席となるとそれぞれの空間が仕切られていることもあって、僕に目線をくれる人もいない。皆、僕が視界に入ることもなくなって興味をなくし、それぞれの憂いごとに再び頭を支配される。
ここにきてようやくあの飛行機の中でのひと騒動の区切りがついた。
僕も僕の憂いごとに脳細胞を使うことにしよう。
「あぁ……、」
帰って、きたくはなかったなぁ……こんな場所に。
「お隣、よろしいでしょうか?」
「ええどうぞ」
すぐ横で衣擦れの音がして、隣の座席に人一人分の体重が乗ったことによって振動が僕の座席にまで伝わる。
窓の薄い反射で今、声をかけた人の姿が若干見えるが……見えずらい。暗めの色を着ているようであまり窓が姿を映してくれなかった。
OLさんだろう。
声は若い女性だった。それに会社勤めの人なら黒や紺といった暗めの服で身を包むはずだ。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
どうせ、隣の彼女とはこれから市街地までの一時間近くの間柄だ。間柄という言葉を使うのもおこがましい、話すことすらない、縁すら結ぶことのできない他人だ。
僕はそんな些事に気を取られるよりも、考えるべきことがあるはずなんだ。
三年ぶりに帰ってくる故郷のことや……昔は輝いていた友達のことについて。
「どうして、こんなことになっちゃったのかな……?」
「さっきのことですか?」
あ……。
しまった、お隣さんにすら聞こえないほど、本当に小さな声で独り言を言ったつもりだったのに、聞かれてしまった。
「ああいや違います。僕自身のことで……」
隣を見る。
息を飲むほどの美人が座っていた。
金髪で緑色の瞳をした、ハリウッド女優のようなお姉さん。
「うっわ……」
思わずそんな声が出てしまった。
「……今、引きました?」
「あ、いや違います……! 今のは引いたとかそんな感じじゃなくて!」
「嘘。皆、私を見たら最初は引くんです。慣れています」
そう言って金髪のお姉さんは苦笑した。
「こんな格好をしているんですもの」
そう言ってフリルのついた袖をふるふると振った。
お姉さんはゴスロリのドレスを着ていた。真っ黒の。
だから僕は「お人形さんが動いている!」と思ってしまったのだ。おもちゃ屋さんだったり、アンティークショップで飾られているような、そんなお姫様のような偶像が現実化したらこんなお姉さんみたいなビジュアルなんだろうと思って、素直に感心してしまったのだ。
それでもやはり「うっわ」という発言は失礼過ぎたのかもしれない。
「すいません……お姉さんが、その、まあ、
「
また、言葉のチョイスを間違えた。
人の容姿を褒める時に、丁寧で回りくどいい方で「顔立ちが整っている」とはよく使うが、それだけだと伝わらないだろうに……。
素直に「かわいい」や「きれい」という言葉を使えばよかったのだろうが、どうしても出てこなかった。
照れ臭すぎて。
その照れが続き、「あの、その、」と更なる言葉を探して戸惑っていると、お姉さんがこらえきれなくなったように「フフフ……」と笑い始めた。
「かわいいですね」
逆に、言われてしまった。
「……男に対してはあまり褒め言葉になってませんよ」
「褒め言葉ですよ。素直な好意です。好意を抱かない相手に対してかわいいなんて言葉は使いません、素直に受け取ってください」
グッと顔を近づけられる。
そのクリクリの瞳、いっぱいに僕の顔が反射してドキリとする。
「そりゃあ、どうも……」
「で、何がままならないんですか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます