コンビニ
大学を辞めて、三日程が経つ。
合わせる様にして居酒屋のアルバイトも辞めたから、家から出る用事がほぼ無い。
元来、それほど食欲の湧かない人間だったので、お腹が空く事もなければ空腹を満たす為の食材を買いに出掛ける事も無い。
幸い、冷凍庫には買い溜めしておいた一玉あたり一八円のうどんが幾つか残っていたので、少なくともひと月程は外出の必要が無い。
掃除も箒とちりとりが有れば事足りてしまう程に私の暮らす年季の入ったアパートは狭い。
だから、掃除機の紙パックを買う必要もクイックルのシートを買う必要も無く、外出の動機には為らない。
洗濯も然程しない質で、液体洗剤はふた月前に買ったものがまだ半分以上も余っている。
漂白剤は使い方が分からないので使っていない。
そんな節約主義者の私だから、洗濯に使う用品を買いに出る事も無い。
まぁ、何が言いたかったのかといえば、純粋に私が家から出る必要性を感じないタイプの人間なのだと表したかったのだ。
三日間ほどならカーテンも閉めきったままで布団からも出ず、本を読む事もなければスマートフォンを触る事もなく、人間を辞めた様に時間をやり過ごす事が出来てしまう。
そんな人間が私だ。
いや、少しだけ違う。
これじゃあまるで、私はやろうと思えば三日ほど人間を辞められると、そう言っているみたいでは無いか。
そうじゃあ無いのだ。
私は、やろうと思わずに人間を辞めてしまう様な人間なのだ。
朝に目が覚めると、言い様の無い虚無感に襲われる。
頭がぼうっとして、別段体調が悪いわけでも無いのに怠くて体が動かない。
そんな時間が気づけば三日ほど続いて、まるで置物の様に布団から出る事もなく、無為に時間をやり過ごして仕舞う。
それこそが、私という人間。
何か違うだなんて言う単調な理由で大学を辞めてしまう様な人間で、周りの人間が歯車となって構成される大きな輪の内に居ながら、誰とも噛み合うことのできない存在意義の見えない歯車。
思えば、大学に入る以前からもずっとずっとそうだった。
昔から、約束をして遊ぶ程度の関係にある人間は数人ほど居たが、彼ら彼女らは彼ら彼女らで、見事に歯車を噛み合わせて一つの大きな生き物みたいに日常というものを作り上げていた。
私はその日常の内側に居ながら、けれど堪えようの無い疎外感の様なものを感じていたわけで、そんな奇妙な感覚から逃れる意味も込めて、大学は誰も名前を知らない様なマイナーな場所を選んだ。
まぁ、その大学ももう辞めてしまったのだけれど。
とにかく、私は不思議なことに輪の内側に居ながら疎外感を痛く感じて仕舞う様な人間で、例えるならドーナツの真ん中の部分みたいなもの。
だからこそ、外に出る理由もほとんどなければ外に出たいとも思わない。
外に出たところで、疎外感の様な孤独な感情は拭えないから。
けれど、大学を辞めて三日目にして、私はボロボロのアパートから外に出た。
ここまでの私の話を知った人がいれば、私が出たくも無い外に出た理由をなんだと推測するのだろうか。
大方、真っ当な人間たちは「どうせ寂しくなったんでしょう」とでも言うだろう。
残念でした。
そんな下らない理由で外に出ようとは思わないです、私は。
ヒントは女の子の必需品。
まぁ、誰にクイズを出しているわけでも無いから言ってしまうけれど、食欲も湧かないし掃除も洗濯もろくにしない私が外に出る理由など、生理用品か煙草が切れた時というその条件しか無い。
何よりも重要なのは煙草。
別段、生理が軽い方だと言うわけでも無いのだけれど、ここ数ヶ月は生理が来ていないから特に気にする必要は無い。
だから、私がわざわざ出たくも無い外に出る理由は煙草だけだと言える。
煙草は良い。
美味しいとは思わないけれど、吸った時の口内のザラつきと吸い込む煙の苦さがどうにも癖になって、吸っている間は他のことを全て忘れる事ができる。
そんな煙草の最後の一本を吸ってしまったからこそ、私は重い体を持ち上げて煙草を求めて外に出た。
ちゃんと、いつもの通りに黒のロングスカートと黒のパーカーを着て。
「さっむ……」
外に出て直ぐ、冷たい木枯らしに自らを抱きかかえる様にして震えた。
アパートの中もそこそこに寒いけれど、外はやっぱり風が吹く分だけ体幹の温度が低い。
私はあまりの寒さに、数週間前に冬物の服の多くを処分してしまったことを悔やんだ。
現状で手元に残っている冬物の衣服は、厚手のロングスカートとパーカーが一着ずつ。
いま私が身につけているものがまさにそれだ。
コートもジャンパーも捨ててしまったから残ってはいない。
なぜこれから冬本番なのにそんな愚行に出てしまったのかというと、私もよくわからないとしか答えられない。
ただ何となく、ふと思いついてその勢いのままで捨ててしまったのだ。
だからこそ、今更悔やんでいる。
明確な理由があって捨てていれば悔やむ筈も無い。
寒さに震えながら五分ほどを歩く。
名古屋だなんて中途半端な都会に住んでは居るけれど、私の住むアパートの直ぐ近くには全くもってコンビニが無い。
まぁ、駅から少し離れた位置に住んでいるという事もあるけれど、それ故に最寄りのコンビニは五分かけて歩いて大通りに出ないと辿り着けない。
それでも、徒歩三〇分の位置にしかコンビニが無かった地元に比べればずっとずっとマシだ。
太陽は昇り始めてからそこそこの時間が経っている。
もうすぐ昼の頃合いだから、早めにコンビニに行かないと昼休憩の真っ当な人間たちにジロジロ見られてしまう。
それだけは何としても避けたかったから、私はパーカーのフードを目深にかぶって競歩さながらに歩いてコンビニへと向かった。
「オオ〜。赤マル三つでよね?」
コンビニのレジに行くと、いつ来ても必ず居るネパール人アルバイトの男性が、どこかおかしい日本語で聞いてきた。
私はそれに少し戸惑いながらも「は、はい」と答える。
全身黒のファッションでフードを目深にかぶっている私だから、きっと変に覚えられているのだろう。
いつも決まって赤マルを三箱買うものだから、そのうち彼は私が来たら直ぐに赤マルを手にとってバーコードを機械で読み取るように為った。
「ちゃんと食べテル? 顔色良く悪いよ。多分、体に肉まんが足りて無いネ」
レジの隣に置かれたホットスナックの機械を軽い調子で叩きながら、ネパール人アルバイトは言う。
前に来た時はハッシュポテトが足りていないと言われた。
その前はおでん。
さらにその前は焼き鳥のももの塩味だった。
「じゃあ肉まんも」
そう言うと、ネパール人アルバイトは嬉しそうにニカッと笑う。
「アイザイマス。食べるのは良い事だからネ、大切にネ」
まるで地元の母かと突っ込みたくなる様な事を変な日本語で言いながら、ネパール人アルバイトは赤マル三つと肉まん一つを袋に詰める。
「一六六六円にナリマス」
私は財布から千円札を二枚取り出し、手渡す。
ネパール人アルバイトはそれを受け取って素早くレジスターへ数字を打ち込むと、お釣りを渡してきた。
それを受け取ってコンビニから出ると、日差しが強いからか少しだけ暑さを感じた。
国道沿いの大通りには昼休憩の真っ当な人たちが増え始め、私はそんな歯車から逃げ出す様にそそくさと帰路につく。
途中で無性に甘いカフェオレが飲みたくなり、私は手近な位置にあった自動販売機に歩み寄ると、安物の折り財布を開けた。
その拍子に、ついさっき貰ったコンビニのレシートがひらりと財布から落ちて、私はそれを拾って何の気なしに見て、苦笑いした。
「おつり、間違ってる」
レシートに表示されたおつりは三三四円。
私は普段から小銭を持ち歩かないタイプだから、いま財布に入っている小銭はそのおつりと同額であるはずだ。
なのに、私の財布には三四三円が入っている。
別に大きな間違いでは無いのだが、それでも間違いは間違いだ。
さらに言えば、十の位と一の位の数字を間違える間違いは、もうかれこれ四度目。
わざとでは無いのだろうけれど、これだけ私に同じ間違いをするという事は他のお客さんにも同じ様な間違いをしてしまっているのだろう。
幸い、私は実際の釣り銭より少ない金額を渡された事は無い。
いつも、ミスが起きる時は実際の釣り銭の額よりも渡される金額の方が大きくなるばかり。
小さな金額とはいえ、そんな店側が損する様なミスを何度も重ねて大丈夫なのだろうか。
果たして、あのコンビニのオーナーは彼のよくやるミスを把握しているのだろうか。
もし把握していたのだとしたら、きっとそう遠くは無い未来にでも彼はあのコンビニをクビに為って仕舞うのでは無いだろうか。
そんな事を考えていると、十二月に入った途端にネパール人アルバイトの彼の姿をパタリと見なくなった。
どうして彼の姿を見なくなったのか、その理由は知らないけれど、別段知ろうとも思わない。
私は大通りにあるそのコンビニへ行くのを辞めて、少し遠い位置のコンビニに行く様に為った。
新しく通う様になったのは、これまで通っていたコンビニと真逆の方角にあるコンビニ。
そのコンビニにネパール人アルバイトの彼は居ないけれど、私は赤マルを買いに行った時、決まってホットスナックの中から目に付いたものを一つ買う様に為った。
ちなみに、今日買ったのはアメリカンドッグ。
脂っこくて食べるのがしんどかったけれど、今日の私にはアメリカンドッグが足りていなかったのだから、悪い買い物では無かったと思う。
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