第4木曜日のバス

ウミガメ

第1話 7月の第4木曜日

タイトル

第4木曜日のバス


7/28(木)


 このバスの中は、なんだか重い空気が流れている気がする。今日は月に一度ある関東圏の社員を集めての全体会議の日。働き方改革を唱えるくせに時代錯誤もいい所だ。


 目の前に座る髪の薄いオヤジは、毒々しい色のパズルゲームをこねくり回している。盗み見た画面のステージは226。きっと生産性はないんだろう。


 なんとなく溜め息をついて顔を上げると、すぐ左に威圧感。やけに背の高い男がいる。身長的にもはや太い銀棒を掴む方がちょうど良さそうなもんだが、律儀に小さく左手で吊り革を掴んでいる。


「……でか」


 思わず声が出てしまった。オレの馬鹿。

 小さい声のつもりだったが、どうやら気づかれたらしい。軽く笑顔を向けられたその顔に確かに見覚えがあった。


「……アンタ、もしかして、この前、新入社員代表の挨拶をしてた」


「あ、そうなんです。よくわかりましたね、日比野といいます。日本の日に、比べる、野原の野で」


 そういえば日比野という名前だったなあとオレはぼんやりと思い出していた。入社式の日、社長を前に堂々と喋るアイツの背中を見ながら、オレはあの時「何cmあるんかな」と眠気を必死に抑えていた。

 というか、初対面で漢字の書き方まで言うとは丁寧だなあ。


「いや知ってるよ、ていうかオレも同じ新入社員だからさ。伊藤和真、あー、えっと、漢字は」


「令和の和、に真実のマコト」


 自分の漢字の説明を考える前に、相手の口先から言葉が出ていた。


「え、お前なんで知って」


 その時、バスの運転手が『市役所前〜市役所前〜』と告げた。客がゾロゾロと降りていく。


「席空きましたよ、座りましょうか」


 そう言って、日比野は後ろに移動してしまったので、オレも仕方なく着いていく。そうしてオレと日比野は2人掛けの座席に座る。うーん狭いな。


「で、なんでお前オレの名前を知ってるんだ?」


 そう尋ねると、少しばかり日比野はバツが悪そうに、メガネの縁に手を当てた。スラリとした長身だが、伸ばされた手は少しゴツゴツとしていた。大の男の困った顔がなんだか少し面白くて、興味深くなった。


「新入社員の同期の名前は一応漢字で全部覚えたんですよ、ほら新入社員全員の自己紹介が載った社内広報を渡されましたよね」


「いやいや、あれ50人分だろ!? ただでさえ今年多いらしいってのに、全員分?」


 オレがそう尋ねると、日比野は逆に不思議そうに「はい」と答えた。オレなんて、新入社員代表である日比野の名前すら覚えていなかったというのに。新入社員研修があったとはいえ1週間。オレと日比野もその間、一度も話していない。なのに、話してない奴も含めて50人全員覚えたというのか。

 これがバカと優等生の差なんだろうか。


「ていうか、同期なんだからタメ語で話せよ」


 話せよ、という自分の語尾がいかにもバカに聞こえて少し後悔した。


「そうは言っても初対面ですからねえ」


 日比野は気にも止めずに、呑気にそう答えた。

 それから会社に着くまでの10分足らず、思いの外に会話が弾んでしまった。と言っても、日比野は案外おしゃべりという奴で、今の仕事の内容を楽しく話していた。

 いつも話役に回る事が多いオレのはずが、日比野相手には珍しく聞き役に回っていた。営業のオレには日比野の研究の仕事の話は全く理解できず、「へー」とか「すごいんだなあ」という返答で誤魔化していた。


 オレは22才だが、日比野は一浪した上に大学院に行ったらしく現在25才らしい。日比野は大学で学んだことが活かせるプロジェクトに今選ばれたらしく、楽しくて仕方がないらしい。

 もはや3年というギャップでは埋められないほどの。

 ……ほどの、なんだ、それを表す言葉がオレには出てこないほど、自分のバカさにうんざりした。


 思えばオレはノリと勢いだけで乗り越えてきた。今の会社に入ったのだって、別に内定貰えた中で給料がよかった。たぶん、それだけ。たぶん。

 そんなことを考えてるうちも横で話す日比野は笑顔だ。急にその声音と笑顔が眩しい気がした。

 オレが無駄に開けた、いくつものピアスの跡に、日比野が気づかなければいいと思った。

 

「……こんなバスで急に盛り上がっちゃって悪かったね」

「あ、いや」


 日比野が急に申し訳なさそうにこちらを向いた所で、バスは気づけば会社の前に着いていた。2人で慌てて降りると、会社の自動ドアへと続く道がもう、お出迎えだ。


「あ、日比野」

「うん? なんだい?」


 その瞬間、なぜだか急に緊張している自分に気がついた。


「い……いつもこのバスに乗るのか」


 今日も会社頑張ろうな、と声をかけるつもりが、気づけば違う言葉が出ていた。顔が暑いのは、この日差しのせいだと思いたかった。そんなことを言ったら、また日比野に会いたいみたいじゃないか。日比野の顔を見ることができなかった。


「……なに言ってるんだい? 営業の伊藤と違って、ボクは全体会議の日しか本社には来ないよ」

「あ、そうだよな……」


 本社に入って日比野とは別れた。エレベーターに1人で乗り込むと、オレは溜め息をついた。もうバスで会わないのか。


「ん?」


 全体会議の日『しか』。日比野は確かにそう言った。つまり、逆に言えば第4木曜日の日はいつもこのバスに乗るということなんじゃないか? やはりオレは天才かもしれない。


 会社PCを立ち上げると社員名簿を開いた。そこで日比野の下の名前が『優作』であることを知った。名前まで優等生かよ。

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